千六百七十九(和語の歌) 會津八一を、他人が論じた書籍を何冊か読む
辛丑(2021)西暦元日後
閏月二十五日(火)(2022.1.25)
會津八一に関する、歌以外の書籍を何冊か読んだ。いづれも他人が八一を論じたものだ。一番目は、會津八一が正岡子規とその弟子たちと関係が深いことだ。正岡子規と会ったことがあり、その後も手紙のやり取りをした。斎藤茂吉とも交流があった。
二番目は、歌人については歌で論じるべきだ。會津八一について、悪い話もある。よく云へば、喜怒哀楽が過ぎる。悪く言へば自分勝手だ。機嫌のいいときと悪いときの差が大きい。このままだと、會津八一が嫌ひになってしまふ。暫くして、文芸者は作品で論じるべきだとする私の方針を思ひ出した。
三番目は、正岡子規系統との対抗だ。「新潟県郷土作家叢書4 會津八一」は十八人が執筆する。その中の伊狩章「斎藤茂吉との触れ合い」に、八一はよく次のやうに言ったさうだ。
「斎藤茂吉は三代将軍家光の様なものだ(子規・左千夫との師弟関係から)(中略)一対一ならば天下無敵であるが、何しろ多勢に無勢でいかんともし難い」
閏月二十六日(水)
岩津資雄「会津八一」は、前半が「作歌研究編」、後半が「秀歌鑑賞編」「作品選」「八一紀行」に分かれる。前半で不明なのが
調子の清濁といふ如きことは、凡そ詩歌の最上最奥の問題にて、今日の大家と称され居る人にてよくこれを解し居るものは一人も無く候」(吉野秀雄氏宛書翰)
これは同感。私が會津八一の歌に注目したのは、これが理由だ。しかし
「同氏(斎藤茂吉)の歌も左千夫の歌も濁れる歌にて候」(中略)「正岡子規の歌はみな清澄にて候」(同上)
は、その根拠が不明だ。子規の歌には清澄のものもあるが、多くは濁れる歌だと思ふ。子規と、左千夫茂吉の違ひを調べてみたい。
道人が好意を示したのは万葉集と良寛を別にして、子規、左千夫、茂吉と、いずれもアララギ派の人々である。
子規左千夫 茂吉の組と 八一とは どの関はりが 絡み結ぶか
閏月二十七日(木)
「新潟県郷土作家叢書4 會津八一」の「斎藤茂吉との触れ合い」は一昨日も紹介した。本日は「南京新唱」に対し茂吉が
八一の歌調を「万葉調であるが、万葉調の良寛調に近い」と(中略)諸家の会津八一論にさきがけて、その短歌に最初の評定を下すものとなった。ただ「アラナギ」の中枢として<写生>と結びつけたふたりが多少問題になるところであろう。
八一が歌の濁りを評したことについて、吉野秀雄への書簡に
貴下が左千夫と茂吉とを好まるるは濁れるがためなるを自身御気づきなし、茂吉の注意によりて清澄に心を傾けらるることも我等から見れば奇妙にて候。貴歌及び斎藤君の歌は濁れるところに近代味もあり、かへって面白く候。
伊狩さんは、濁りについて
人間の苦悩、性とか我欲とかの醜なる面、すなわち百八煩悩をさす
とするが、私は歌調の問題だと思ふ。この点は、今後調べてみたい。
澄める歌 流れ変はらず 心地良く 濁るは流れ 変はると思ふ
ここで、流れとは内容の流れではなく、調べの流れを意味する。ところが、子規の歌には調べの流れが濁るものもあり、その解釈に迷ふ。(終)
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