千六百七十七(歌) 行動日記(迷子にならない方法、新しいパソコン、浅草と両国、志村橋と板橋駅前)


壬寅(西洋野蛮歴2022)年


ニ月十三日(日)
従妹(母の姪)が母を訪ねてきた。祖父(母の父)が我が家に一時住んだときに、黙って西浦和まで歩いて往復したことがあった。家では大騒ぎになったが、平気な顔で戻ってきた。道に迷はない理由は、どこを右に曲がって次にどこを左に曲がってと全部覚える、と祖父は話したさうだ。
これは参考になる。私も大通りではこの方法を無意識のうちに使ふが、路地では使はない。あと目的場所に着いたあと、帰りに方角を間違へることがある。この方法を使ひたい。

ニ月十四日(月)
二月十一日に新しいパソコンをインターネットで発注した。昨日はまだ新しいものが来ないので、古いパソコンを家の中で移動する途中で落としさうになった。手で押さへて大丈夫だったが、外付けキーボードが画面に当たった。
今朝パソコンの電源を入れたところ画面が変になった。

上の画像で
「ほ -」キーが無い理由 マウスの右ボタンが無い理由 画面が出ない理由は下記参照

あと数日で新しいパソコンが来たのに、さうすればデータ移行ができたのに、と慌てる必要は無い。コンピュータ業界が長いと、画面を見ただけでパソコン本体ではなく液晶が壊れただけだと判る。中央を斜めに走る黒い筋は、裂け目ではなく画面に筋が表示される。
外付けディスプレイに接続し、無事パソコンは使へるやうになった。それにしても、すべての根源は五年前の「ほ -」キーの故障だ。外付けキーボードが無ければ、ノートパソコンは閉めるから落とすことがない。とは云へ六年間使ったのだから、そろそろ替へ時だ。

ニ月十九日(土)
三日前に五反野に行く用事があり、近くの山田電機で新しいマウスを購入した。誰もが、すぐ交換したと思ふことでせう、右側が取れたマウスは不便だから。ところが三日経過してもまだ交換してゐない。右クリックは(三)ボタンでほとんど代行できるから、まったく不便を感じない。
(三)ボタンで代行できないのは、Googleマップで距離を測るときと、難しい漢字を入力するときにIMEパッドを起動するときだけだ。これらのときは、上の写真でマウス右ボタン跡の凹んだところの白い突起をボールペンで押す。

ニ月二十日(日)
昨日新しいパソコンが到着した。本日データを移し、設定も終った。今までと同じでハードディスクのランプが無い。
そればかりか電源ランプだけになった。今までは、電源ランプ、 バッテリ充電ランプ、ワイヤレスランプがあった。電源ランプ以外は見ないから無くて構はないが。
あとUSBの差し込みが三つから二つに減った。今まで三つ同時に使ふことは無かったから、二つで大丈夫だが。
NECのWebショップで四万円台だから仕方がない。
パソコンは ホームページを作るほか 人のページを閲覧し メールを読みてたまに動画を

(反歌) パソコンでホームページを作るときメモ帳なので安い機種にて


ニ月二十二日(火)
浅草に行く用事があった。新仲見世のすぐそばで、しかも浅草公会堂の前で警視庁が爆発物を所持した犯人を逮捕し爆発物処理をする公開訓練を行った。警察犬が犯人の残したかばんに反応し、処理班が出動する。
二回目も同じだが、外国語ボランティアが日本居住者が逃げ遅れないやう五か国語(このときはスペイン語と中国語)でアナウンスする場面が加はった。
浅草寺境内と、言問ひ通り、馬道通り、浅草まつやに寄った。
馬道は トロリーバスが単線で一周により折り返す 池袋発浅草が 言問ひ通り今井から上野までとは 少し重なる

(反歌) 二路線の交差点では副題の停留所名馬道観音
トロリーバスは男の車掌が乗務し、馬道の交差点で停留所の正式名のほかに、今井と上野を結ぶ路線は「馬道観音」と案内した。当時は小学校低学年だったので、浅草観音のほかに馬道観音があるのかと思った。
両国に行く用事もあった。両国は、総武、房総、成田の各線への客車、気動車の発着駅だった。国技館と江戸東京博物館の場所は、貨物扱ひ所と両国客貨車支区があった。私の記憶は、小学校の臨海学校で両国から岩井まで従来客車に乗ったことだけで、貨物や客貨車支区はまったく分からない。
臨海学校で両国へは、都電の貸切車で神明町車庫の車両が三十七系統に沿って美土代町まで行き、折り返して両国駅前に着いた。帰りは国電(と云ふ語が当時はあった。私の父方の祖母は、省線と云った)で秋葉原まで乗り、ここで各自切符を貰って都電に乗った。
両国は五回行くはずだったのに、私自身が濃厚接触者になったため、一回で終了した。返す返すも残念だった。

ニ月二十四日(木)
志村橋と板橋駅前に行く用事もあった。志村橋は、浮間舟戸駅から近いので驚いた。浮間水再生センターの横を歩く。かつての浮間下水処理場とは別だ。かつての浮間下水処理場は一次処理で、隣に二次処理の新河岸下水処理場が昭和五十年頃に建設されて統合された。
一次処理浮間の下水処理場は 工場街の廃水を主に受け入れ 二次処理の施設を作り統合される

(反歌) 円高で新日鉄と下請けの工場が減りマンションになる
中山道を少し日本橋方向に歩くと、志村警察署を新築中だ。かつての都営バス志村車庫の跡地だ。少し先にアルピコ交通の車庫があり、看板がアルピコ交通東京営業所でアルピコ交通東京ではないので、子会社を統合したのかとインターネットで調べると、今でもアルピコ交通東京がある。
板橋駅前は、昼食を近くのミャンマー人が経営するタイ料理店で弁当を買った。この辺りは店舗兼住居の木造が並ぶ街並みだが、区画整理組合の張り紙を見つけた。いつかビル街になってしまふだらう。
板橋の駅西口の繁華街木造二階店舗が続く
(終)

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