千七百七(歌) 下町のマンション
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
三月十日(木)ウミネコが来るマンション
下町のマンションに行く機会が三回あった。一つは両国である。先月始まったものの私がコロナ濃厚接触者になったため、一回だけで終了した。ところが今月再び仕事が入り、両国に行った。ここはカラスのネットが不要だ。ウミネコが屋上にゐることが原因だ。朝の早い時間帯は、ウミネコの鳴き声が聞こえる。
下町の雰囲気そしてウミネコの声がする街人の住む街


三月十六日(水)元銭湯のマンション
先々週、上野と浅草の中間に位置するマンションに行った。ゴミ出しをオーナーの老婦人が手伝ってくださるさうだ。私が担当するのはゴミ出しのない日だ。しかしその老婦人が私の担当日にも、法被を着てゴミ庫の整理を自らされた。感心するばかりだ。
先週は、会社の巡回員が来られた。ここは元は銭湯で、以前は十一時におやつを出してくれたさうだ。家に帰った後、検索してみると銭湯の名前が分かった。
本日オーナーの老婦人に会ったときに、子供の時に台東区の真島湯に行った話をしたところ、旧浅草区と旧下谷区は組合が違ふため、ご存じなかった。同じく台東区の六龍鉱泉に行った話もした。ここは今でも営業中だから分かるみたいだった。同じく台東区の善光寺湯に行った話もした。
銭湯が時代遅れとなりつつも戸毎の風呂は地球を破壊


三月十七日(木)目黒
目黒に行く用事もあった。昔「時間ですよ」と云ふ銭湯を舞台としたテレビドラマがあった。確か目黒が舞台だったと調べると、一つ先の五反田だった。
五反田駅と目黒駅。これらの山手線外側はれっきとした下町である。ただし台東区や墨田区が江戸時代から続くのに対し、関東大震災の後かな。
目黒には権之助坂雅叙園に大鳥神社名所が多い
等々力と東京駅を夢結ぶ東急バスだ目黒を通る


三月十九日(土)二つの思ひ出
一昨日の文章を後から読み、名場面集の動画を見て、二つ思ひ出した。まづ劇中歌の「街の灯り」は、流行した翌年に家族で旅行したときに、旅館のゲームコーナーのジュークボックスで聴いた。私がジュークボックスで聴いたのは、この一回だけである。思へば、今はジュークボックスが無くなった。旅館のゲームコーナーも、ほとんど見かけなくなった。尤も私がビジネスホテルにばかり泊まるからかもしれない。
旅館には 土産物店その横にゲームコーナーたくさんのマシンが並ぶ その中にジュークボックス昔はあった

(反歌) 旅館からホテルに代はり更にまた退化したのかビジネスホテル
二つ目は、勤務先が鶴見にあったときはバス通勤のため定期券が無かった。だから東京に行くときは、東横線の都立大学駅から等々力発東京駅行きのバスによく乗った。当時は、都バスと東急バスの共同路線で、私は都バス一日乗車券を使ふことが多いので、都バスの時刻に合はせて出かけた。勤務先が鍋屋横丁に移転する前だから、あれから十九年が経った。
等々力は渓谷にして中通るかつてどぶ川今清流に

今から四十年前に、等々力渓谷の中を流れる谷沢川は、生活雑排水で白濁し泡が立った。今は下水が整備され清流に戻った。(終)

追記三月二十日(土)両国駅ギャラリーを観て
十日は、仕事が終はったあと、両国駅のギャラリーを観た。かつて、総武本線、房総線、成田線の中距離列車が発着したホームへの通路に展示してある。
私の頭の中では、錦糸町は客車操車場と貨物扱ひ所、両国は貨物扱ひ所と貨車検修設備。さう結論付けてゐた。実物を見たことが無いだけに苦しいが。
ところが展示には、両国に客車の洗浄線と検修線がある。錦糸町は「客車区」とある。これは混乱した。両国は客車の留置線ではないか。洗浄線は不明だ。錦糸町は客車区だったのを、両国貨車支区と統合したのか。

追記三月三十一日(木)両国マンション最終日
本日は両国マンション最終日だ。朝、秋葉原のミルクスタンドで初めて飲んだ。私が小学生くらいのときから存在は知ってゐたが、買ふ機会が無かった。雪メグのコーヒー(180ml瓶)百円を初めて飲んだ。明日から百二十円に値上がりになる。最終日に飲むとは、運がいい。
帰宅時に、両国駅のギャラリーに寄った。これで三回目だ。昭和四年の写真は、遠くの転車台の手前に洗浄線。昭和四十年の構内図は、貨物線九線が北側。その手前に、検査線が一つと洗浄線が三つ。
個人が提供した昭和二十九年気動車の写真に錦糸町客車区とある。検車区と車電区を統合し客(貨)車区としたのが昭和二十六年だから、一時的に錦糸町客車区があったかも知れないが、気動車の留置してゐる線は、写真から駅構内ではないかと思ふ。
秋葉原で、中野方面行きホームでも、ミルクスタンドで雪メグのコーヒーを飲んだ。

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