千六百ニ十(歌) 良寛関連の書籍を読み終へて
辛丑(2021)
九月二十八日(火)
良寛関連の書籍を読み終へて一番の収穫は、良寛は寒山拾得を目指したことだ。寒山と拾得は国清寺の僧だから、良寛が曹洞宗を越えた理由もこれだ。天台宗が日本に伝はり、後に比叡山では法然、栄西、親鸞、道元が学んだ。
良寛は曹洞宗の僧だから、栄西と道元の影響は元々あるが、法然と親鸞にも寛容になり、在家に合はせて阿弥陀仏と書を記すこともあるやうになった。
僧Xを挙げなかったのは、僧Xからは影響を受けなかった。良寛は、僧Xを非常時の教へと見抜いたのだらう。日本が非常時に入るのは、幕末だ。太平の江戸時代は、僧X信仰は堕落した。法華讃と法華転は、道元からの影響とも考へられるが、国清寺、天台宗の影響だらう。
寒山詩には、当時の僧団を批判するものが多い。良寛の詩に、江戸時代の曹洞宗などを批判するものがあるのも、寒山詩の影響だ。
良寛の 目指す理想は 寒山と 豊干拾得 三人は 天台宗の 僧にして しかしはみ出し 名づければ 寒山詩宗 原始仏道

(反歌) 良寛は 曹洞宗を 超越し 清貧目指す 寒山詩宗
釈尊の原始仏道は、山中での清貧だった。後に村や街にお寺が作られるやうになる。つまり寒山詩宗と原始仏道は等しい。だからと云って、すべての僧が寒山詩宗になってもいけない。衆生を教導する僧と、これまでの流れを次代に引き継ぐ僧も、必要だ。

九月二十九日(水)
寒山と拾得は僧だ。豊干を含めて三隠、或いは三聖と呼ばれる。豊干は国清寺の高僧だから、残りの二人も高僧かどうかは別にして、僧であることは間違ひない。
日本では、江戸時代の寺請け制度の影響で、正式に得度したかどうかを気にする人が今でも寺院関係者にゐる。正式かどうかは、寺請け制度で僧が特権階級化し、僧の数が増えたためだ。役所ではあるまいし、本来の信仰とは無縁だ。
中国大陸でも、税金逃れに出家する人がゐて、正式かどうかで取り締まる時代もあるが、寒山や拾得の時代はそんな制度はなかったのだらう。国清寺は炊事係の僧が何人もゐて、拾得はその一人だ。寒山と拾得は、同列に論じられるから、寒山も同列だ。

九月三十日(木)
北伝にも、釈尊時代の仏道が何だったかを示す経典がある。豊干、寒山、拾得はそれらから原始の仏道を知った。豊干は国清寺に留まったが、寒山と拾得はそれを超越した。だから豊干は、二人を普賢菩薩、文殊菩薩と呼んだ。そして後世の日本で、良寛が二人を倣った。(終)

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