千六百八(和語の歌) 渡辺秀英「良寛詩集」「良寛 遺墨鑑賞を通して」
辛丑(2021)
八月二十五日(水)
渡辺秀英「良寛歌集」は、はしがきに
詩には初唐頃から(中略)押韻と四声の論がきびしい。良寛の詩には押韻だけはふまえてある。だが、これも比較的自由な古式に準じてある。

四声は日本にないから、これは良い事だ。本文に入り、この書籍の良いところは、一部の詩は原書の写真が載る。五言句だからといって五字で改行することはなく、全体が一行だ。推敲の跡があるものもある。
良寛の詩に文法の誤りが稀にあることを指摘する本を読んだことがある。しかし良寛は詩の推敲をきちんとしてゐた。漢詩の資料や字典が無い事が原因だ。恵まれた今の時代の感覚で批判してはいけない。
唐(から)歌を 我が国に合ふ 作り方 読んで感じる 美しさあり


八月二十六日(木)
3 曹渓の道に 参じてより
千峰 深く 門を閉ざす(以下略)

について渡辺さんは
比定すべき場所は理解に苦しむ。第一の尼瀬の光照寺では千峰深閉門とか、藤纏、雲埋はあたらない。第二の玉島円通寺も千峰とか、雲埋はあたらない。第三の国上山は場所はあるが、無人間消息、年々叉年々が少しあたらない。

渡辺さんは
この詩は寒山詩に天台隠棲の境涯を説いたものがあり、これを背景としてまとめたため、こうした無理な作品となったのであろう。

と想像する。私の想像は、これこそ清に渡航したときの詩ではないか。年々叉年々とするには、到着月によるが最低だと一年数ヶ月だ。或は無人間消息が年々叉年々か。

八月二十七日(金)
「良寛 遺墨鑑賞を通して」は、内容を知らず間違へて借りた本だ。しかし借りてよかった。歌は、漢字を表音文字として書いてある。しかも草書だ。
詩は漢字だから、表音文字よりはるかに意味を取り易い。どちらも草書が読めないと意味不明だが。良寛の書を好む人々は、当時の知識階級だった。そのことが判ってよかった。
当時は、仮名の手本帳が良くなかった。まづ
良寛の仮名はもちろん「秋萩帳」(ささなみ帳)より出ている。

その一方で
良寛が二重の苦心をしたのは仮名書道ではないかと思う。(中略)法帳は今からみると非常によくない。(中略)それでも此等は原帳をそばにおいて、それをまねればよい。

それに対し
「秋萩帳」は(中略)宮家の奥深く秘蔵され(中略)特に恵まれたものが、監視人の立会のもとで、それを短時間ながら臨写を許される。この臨写をもとにしたのが「秋萩帳」の法帳として巷間に出、それをまた摸刻して「秋萩帳」として伝わってゆく。
(終)

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