千五百二十二(和歌) タイ出張を受注した会社の発展
庚子西暦元日後(2021)
閏十二月八日(月)
退職がいよいよ近いので古い名刺を処分すると、タイ出張の仕事を発注してくれた会社を見つけた。その後、この会社は会社名が変はった。これは「株式会社+カタカナ13文字」と長かったので、短くしたものだ。その後、本社が二回移転し、全国四ヶ所に進出し、Jasdacに上場した。
設立当初は、画像処理関連機器及び電子計測機器の輸入販売。その五年後、衛星画像事業に進出。その三年後、医療診断画像処理機器の輸入販売を開始。
タイへの出張は、その四年後くらいで、衛星画像事業だった。今では、これらに加へ、各種医療機器、小型無人航空機、分光放射計の輸入、風力発電にも進出した。
二ヶ月の タイ出張は
その前に アメリカ中期
八ヶ月間 四分の一の
長さにて だが懐かしさ
思ひ出は 同じ重さで 心に残る
(反歌)
アメリカは 妻子を連れて 行ったため 家庭の続き 軽い気持ちに
(反歌)
アメリカの ソフトはその後 担当を 外されたため ますます軽く
閏十二月九日(火)
私の勤務する会社も、かつてソフトウェアの輸入を行った。風力発電にも進出した。Jasdacも目指した。
それなのに、ここの会社は成功し、私の勤務する会社は失敗した。その理由は、下請けと云ふ楽な方法があるため、本気で取り組まなかった。
更に、この当時の営業職は個人商店みたいに、何を売ってもよいしどこに売ってもよい。売上高と粗利だけを管理するため、全社の戦略を立てられなかった。
閏十二月十日(水)
ハードウェア販売で売上高が桁違ひに大きい営業職は、取締役営業推進部長のMさんだったが自宅の浴場で亡くなられた。これでハードウェア販売が駄目になった。
ソフトウェア販売は、それまでコンピュータの規模に応じて価格が比例したのに、LinuxとWindowsNTの出現で、価格が定額固定になった。
それでもソフトウェア輸入販売は粗利率が高い、と期待されたこともあったが、まもなく衰退した。そして三本柱のうち、ソフトウェア受託開発だけが残った。
閏十二月十一日(木)
タイの仕事を発注してくれた会社の株主構成を見ると、上位株主二つは風力発電の二つの会社だ。これは心配になる。衛星画像事業の一環として風力発電の適地を見つけるのならよい戦略だが、まったくの新規だとノウハウが活きない。債務が悪化して風力発電の傘下に入ったのではないかと心配になる。
私の勤務する会社が、風力発電に進出し、そして撤退したのも、ノウハウが活きないからだった。
ノウハウと シナジー効果が 必要だ 新規事業を 始める時は(終)
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