千五百二十二(和歌) 今の会社に転職して二十八年間で何が変はったか
庚子西暦元日後(2021)
閏十二月十一日(水)
間もなく再雇用が終了する。二十八年間で何が変はっただらうか。まづ、鶴見にあった横浜事業所には、定温のコンピュータ室があった。昔のコンピュータは定温室が必須だったが、私の勤務する会社は、日本DECのミニコンが主な仕事で、ミニコンは常温で設置できることが特長だった。
しかし集積度の高いミニコンとして、定温室に設置された。私が入社して二年ほどで、定温室は無くなった。
次に横浜事業所の一階北半部分が無くなった。横浜事業所は、一階北半分、二階と三階の全部を賃貸で使用したが、一階北半部分を返却した。次に、二階部分を返却した。更に本社の事務部門を横浜事業所内に移転し、窓に向かった細長い状態で勤務した。余った本社には池袋事業所が移転した。
これは今までで、会社が一番縮小した時代だった。
辛丑(2021)
二月十二日(金)
その後、池袋に事業所が再移転し、新たに本社内は新宿事業所ができた。これは中国人技術者日本派遣事業の会社が経営難のため救済を兼ねて買収したもので、そこから来た日本人一人が事業所長、普通の日本人以上に日本語の得意な中国人営業職一人の二人体制の小さな事業所だった。後に中国子会社へと発展した。
新中野に、横浜事業所のプロジェクトルームができた。これは或るプロジェクト用に貸りたものだが、終了後は新中野事業所になった。同じビルの上の階が空室になったためここも賃貸し、本社が移転した。その翌年は、下の階も空室になったため、横浜事業所が移転してしまった。
横浜は会社で最大施設にて 社内の会議はここでやり 発表会は公会堂借りて開催したものの その後移転で消滅となる
大阪事業所の人たちは、鶴見で会議のあと新横浜から新幹線に乗るので便利だ、と喜んでゐたのに移転した。
事業所の近くマンション賃貸は後に中古の一軒家買ふの直後に新中野 故に毎回定期券経路を変へて購入し 新橋渋谷中目黒目黒に休みの日にはよく行く
(反歌)
国会の図書館都立の図書館も休みの日にはよく訪れる
二月十三日(土)
私が転職したときは、会社に三つの特長があった。(1)輸入ソフトウェアの国内販売、(2)当時は英語ができる人が稀、(3)DECのOS(VMS)に特化。
その翌年辺りからインターネットの電子メールが出だして、海外との取引が簡単になった。海外旅行で英会話熱も起きた。DECのOS(VMS)が激減した。そのため、三つの特長が消失した。
私自身もこの当時三つの特長を自称した。(1)仕事の速さは他の2割増し、(2)新規技術の習得は他の5割増し、(3)新規技術の教育効率は他の2倍。
この三つで、他社が出てくる前に新規技術へ進出しませうと、会社上層部に進言したが、実現しなかった。
私は無関係だが、中国子会社があるので、これが会社の一番の特長かな、と自問自答した。ところが中国子会社は不採算で解散し、日本人一人と中国人一人は退職した。そして、本当に特長が無くなってしまった。
若い人たちには、再び特長のある会社にしてほしい、と期待し今回の特集を終へたい。(終)
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