千五百十五 (和歌)上層部の言ひなりと、さうではない人は、どちらが会社を去るか
庚子西暦元日後(2021)
閏十一月二十三日(土)(2021.1.23)
前編で、書き足りないことがあった。まもなく再雇用が終了するので、その前に書かうと思ふ。
上層部の言ひなりの人と、さうではない人は、どちらが会社を去るだらうか。実は前者だ。
私は、会社の足を引っ張ることは一切やらない。それなのに入社早々に悪い噂を流されて、退職勧奨が始まった。
そして退職勧奨行為を実際に行った人は、全員が会社を去った。これらの人たちは、上層部に気に入られたい、などと邪心があったのだらう。一方で、私は退職勧奨される理由がない。そもそも解雇する理由がないから、退職勧奨を掛けてくる。
仕事には 正しい心が
必要だ 退職勧奨
引き受ける 或いは逆に
押し付ける そんな社員と
上層部 存在すると 組織が腐る
(反歌) 外資系 真似てはだめだ 退職を 強制できると 勘違ひする

閏十一月二十四日(日)
昨日述べたやうに、私は会社の足を引っ張ることは一切やらないし、仕事は正しい心で誠実に行ふ。しかし都労委中労委に申し立てたではないか、と疑問を持つ人もゐることでせう。
都労委中労委に申し立てたのは、団体交渉の申し入れを無視したからだ。経営側の担当取締役が前任者のときは、きちんと団体交渉を実施した。それなのに前任者が中途退職したとたん、申し入れを無視するやうになった。
この場合は、必ず都労委に申し立てなくてはいけない。申し立てないと、団体交渉を無視した人を称賛することになる。そんな公序良俗を破壊することをしてはいけない。
都労委に申し立てた後に、社長が亡くなった。これは私と何の関係もない。社長が海外旅行で熱帯地方に出掛け、ゴルフをやった。終了後にビールを飲んだのだらう。暑いときにゴルフをやり、脱水状態でビールを飲むと、飲んだ量以上の水分が排出されて危険だ。そしてその翌日に亡くなった。
私は何の関係もないのに、労働騒ぎが長引いた。それは今から三年前まで続いた。
都労委と 労政事務所
監督署 有効利用
活用し 皆で造らう 明るい職場
(反歌) 労使には 協調が合ふ 万が一 違ふときには 別の対応

閏十一月二十五日(月)
日本DEC(今は日本HPと合併)は、私が転職したころに一番の取引先だった。しかも会社はDECとともに、DECを超えてと標語を掲げた。DECと取引が多いが、下請けには留まらないと決意を示す、実によい標語だった。
その日本DECから、マーケティングの人が定年で、私と同じ部に顧問の肩書で来た。初めて顔を合はせるなり、下心があると直感した。事実、何の説明もなく私にDECの技術者と合ふやう手配するから、何のことか判らなかった。その顧問は同行せず一人でDECの事業所に行き、帰る間際になって、DECに私を派遣させるつもりだと気付いた。そもそも派遣は労働者派遣法に基づきやらないと会社に云ってある。この技術者はOpenVMSと云ふOSでは国内で有名ださうだが、さう云ふ話は合ふ前に云ふべきだ。
-----------------------ここから固定思想二百六十一の二-------------------------------------------
その次に、インテルの転職先があると云ふ。インターネットで調べて、この職種ですねと云ふと、履歴書を直接くれと云ふ。転職業者に渡すつもりだと直感したから断ると、「このまま勤めてゐると心身ともにぼろぼろになるよ」と言った。ずいぶん失礼な言ひ方だが、そこは南伝仏道の経典学習会に出席するので、まったく怒らなかった。我慢するのではなく、文字通りまったく怒らなかった。

閏十一月二十六日(火)
二ヶ月のタイ出張があった。これは本社が西新宿七丁目(七丁目は青梅街道の北側にあり、南側の高層ビル街と異なり、雑居ビルが多い)にあったとき、少し先に衛星写真画像処理会社があって、DECのコンピュータに詳しい人をいっしょに加へたいと云ふことで、受注した仕事だった。
七丁目 本社のビルの
一階に タイ料理店
閉鎖跡 その後南北
バス通り 面してタイの
店が出来 本社へ出張
するときに いつも寄っては お昼を食べた
(反歌) 現在の 七丁目には タイ料理 四店在って 人気は高し
私が南伝の仏道に熱心なのは、このときの二ヶ月出張の影響が大きい。

固定思想(二百六十一の一)固定思想(二百六十ニ)
-----------------------ここまで固定思想二百六十一の二-------------------------------------------
間もなくこの人は「顧問として仕事ができないので退職することにしました」と皆の前で挨拶して退職した。
タイ出張は普通の仕事だから何の問題も無かった。その半月あとにドイツへ一ヶ月の出張があった。こちらは帰国後に、会社を辞めた(辞めさせられた?)営業部長の紹介だと聞いて、唖然とした。あの男及び四流銀行から押し付けられた男と、喫茶店で激論になったことがある。
そんな男にコンサル料(と云ふ名目の中間搾取)を払ふ必要はないですよ、と強く言ったので、その後の筋書きは実行されなかった。筋書きとは、続きの仕事は派遣で、と云ふ事だと想像した。

閏十一月二十七日(水)
海外出張ではアメリカのサンフランシスコ郊外に九ヶ月が一番長い。このときも滞在の最後に「帰国したら派遣に行ってもらふ」と云ふので、派遣はやらないことをはっきり言った。それにも関はらず「派遣ではなく週に二回コンサルタントに行くだけだ」と言っておいて実際は派遣だったため、大変な騒ぎになって、営業部長と四流銀行男との激論になった。そしてこれ以降、まともな仕事が来なくなった。
長期海外出張に行かせたのだから派遣に行け、と考へたのなら、最初にさう打診すべきだ。私は勿論「海外出張は行かなくて構ひませんので、派遣はお断りします」と回答する。
そもそも派遣を拒否するには、理由がある。未払ひ残業手当と、部内で誰も派遣に出てゐないのに私だけ派遣に出さうとする理由、派遣から戻ったあとはどうなるのか。
騒ぎで私を追ひ出した部は、数年で消滅した。結果として、私が最後まで海外業務を行った。
海外と 連絡手続き
商品の サポートまでを
最後まで 私が受け継ぎ 完了させた
(反歌) 輸入した 商品最後に 使用する 顧客が終了 八年前に

閏十一月二十八日(木)
今の会社に転職するときに、給料、賞与の額を書いた書類を受け取った。賞与は85万円程度で、会社や本人の業績で増減があると書いてあった。このとき会社は倒産寸前で、実際の賞与は極めて少額だった。それなら賞与を高く見せかけて入社させてはいけない。
それでも不満一つ云はず、業績回復の方法を探らうとした。それなのに悪い噂を流され、聞えよがしに「とにかくプログラマーと云ふことで」と大声を張り上げる人がゐた。ソフトウェア業界では三十五歳定年説があり、このころは三十歳定年説も出始めた。このとき私は三十七歳だからプログラマーをやっては駄目だ。
間もなく、お客様用に開発したソフトウェアを商品化する話が出た。私は部が違ふので関はらず或る取締役が責任者だったが、社長秘書の女が「聞いてなーい」とすごく怒った。或いはこの女は優秀なのかも知れない。
経営職向け社内講習会で、普段は大阪に勤務する監査役が「私が前にゐた商社は、業績が悪い人は給料泥棒と云はれた。業績の悪い人は給料泥棒だぁー」と叫んだ。あまりにひどいので社長秘書の女と雑談のとき、この件を持ち出したところ「いい話だった」と云ふ。あの話のどこがいいのか。
入社半月でこの会社の限界が判った。商品開発では採算、将来性、リスクが重要だ。聞いたか聞いてないかは重要ではない。
声を張り上げる話がもう一つある。日本DECから来た顧問に、今後の仕事について訊かれるから答へたところ「ヤリまセン」と素っ頓狂な声を出した。誰かから、派遣に出せと云はれたのだらう。
提案に 派遣以外は 素っ頓狂
素っ頓狂 声を張り上げ 顧問逝く

今から二十年近く前に作った川柳であった。

閏十一月二十九日(金)
会社を退職した人が出たときに、会社側に原因があるかどうかを調べられることはない。会社側が悪いからといって、その会社と取引を停止したり、職安や学校が就職紹介を停止することもない。
それなのに、従業員側は退職回数が多くなると転職が困難になる。不公平だから、会社は退職勧奨を掛けてはいけない。
外資系は、日本の法律に従はなくてはいけないものの、従業員に転職意識が強い。勤務しながら、取引先やこれまでの外資人脈を見ながら次の転職先を考へる。国内の企業は、かういふ例外の真似をしてはいけない。(終)

前編  関連情報02へ

メニューへ戻る 和歌(五十五)へ 和歌(五十七)へ