一五一、二二年ぶりの正信会寺院参詣記(その五、日蓮正宗はなぜ広宣流布に失敗したか)

二月二十日(日)「布教の段階」
創価学会の折伏大行進は昭和四五年一月二八日に中止した。その前年から言論出版妨害で国会やテレビや新聞に大々的に取り上げられたが、このときこそ創価学会は布教の好機だつた。教団の宣伝をテレビや新聞でするには莫大な金が掛かる。それでも国民が注目するわけではない。このとき金を掛けなくても日本中が創価学会に注目した。
第一段階として弱小宗団のときには各人が縁故に布教を進めた。第二段階として世間から大きく注目されたら大言論戦に移るべきだつた。しかし大言論戦を行ふには日蓮正宗に二つの弱点がある。それは戒壇の本尊と血脈相承である。

二月二十一日(月)「大言論戦の行方」
大言論戦はまず科学万能主義との論争になろう。そのとき科学万能主義は文化即ち世代間の連続を考へないと攻めればよい。
次に他宗派との論争となる。国が乱れたときは他宗の折伏、国が穏やかなときは他教他宗と共存の上で堕落した僧侶神官と虚無主義者への折伏がよい。
このように言ふと日蓮の教へに反するのかと非難する人も出よう。しかし江戸時代に大石寺が折伏をしたか。小ページの主張は江戸時代の大石寺と何ら相違しない。だいたい国が穏やかなときに日蓮が三災七難を主張する筈がない。
三番目に日蓮系内の論争となる。ここで戒壇の本尊と血脈相承を出してはいけない。論争は造仏と法華経一部読誦を攻撃すれば勝てるが、ここで日興が日向を一旦は受け入れた故事に因み、これらも効率は悪いが間違ひではないと受け入れる。向ふは日寛を攻めるから日寛の説は要法寺日辰の造仏に反論するためだと言ふ。

二月二十二日(火)「管長と一般僧侶と信徒の関係」
議論の内容を双方が後日検討すれば日蓮正宗の管長は有効な議論に参加してゐないことに気付くであろう。だから七百年前は八本山に分流したし、近年は宗会や元管長や有力な信徒がうまく抑へた。しかし最初はよくても次の管長のときは宗会や元管長の関係者や有力な信徒が堕落する。人間は煩悩を消滅することが得意ではない。
創価学会が出現したときはたまたま大学者の堀日亨元管長がゐた。戸田城聖氏はその状況下で管長絶対を主張した。当時はこれがよくても後は当てはまらなかつた。

僧侶妻帯は明治維新以降の出来事だから、これも二代、三代と年月を掛けて解決しなくてはならない。しかし牧口初代会長と戸田二代会長の時代はまつたく問題にならなかつた。それは僧侶と信徒の関係は寺院の経済状況と信徒数による。経済が貧しく信徒が少なければ信徒が大事にされ、信徒は宗門を立て直そうといふ気になる。戸田氏が総本山の貧窮を救うために登山会を始めたのはその典型である。逆に寺院が豊かで信徒数が多いと僧侶が威張りだし信徒は僧侶妻帯などを問題にするようになる。

二月二十四日(木)「知人縁故への布教は許されるか」
創価学会が昭和四五年まで急速に伸びたのは知人縁故への布教を繰り返したからで、この方法が許されたのは広宣流布を達成するといふ大目的があつたからである。この目的なしには本来は禁じ手である。
法論は各宗派の権威どうしがすべきで一般庶民が知人縁故に行つても、プロ野球の日本シリーズで西村監督と落合監督と両軍のレギュラーを欠いて試合を行ひ日本一を決めるのと同じになる。
言論出版妨害のときに大言論戦に突入したとしよう。反学会派は執拗に戒壇の本尊と血脈相承を攻撃するだろう。歴史的に八本山の優位争ひだつたとして八本山の交流再開が必要である。法華経のみを用ゐることも攻撃されよう。戦乱や飢饉のときと国が平穏なときは異なるとして各宗派との共存が必要である。大乗非仏説も攻撃してくる。仏教各派は釈尊滅後の長い歴史での分派だとして上座部仏教との共存が必要である。このとき僧侶妻帯が問題になるからいずれ国内で解決が必要である。

二月二十五日(金)「戒壇の本尊と血脈」
日蓮正宗では(一)戒壇の板本尊、(二)代々の管長が日蓮からの血脈を受け継いできた、の二つを理由に自派のみの正統を主張する。
しかし戒壇の板本尊は日蓮の著作には書かれてゐないから、日蓮は戒壇建立を遺命とし戒壇の板本尊も現存するが、一機一縁の本尊といふべきであろう。戦乱や火災や鼠にかじられたり白蟻の被害も考へられる。戒壇の板本尊が日蓮の本懐だとすると被害にあつたら日蓮の教へはなくなる。

血脈については、前管長は血脈断絶に備へると宗制宗規に書かれてゐる。ところが昭和三四年に管長堀米日淳が病気で倒れ細井日達が血脈を相承してから前管長不在の状態が二十年続いた。宗制宗規に明文化されてはいないが前管長は必須である。前管長がいなければ現管長が引退すべきだ。現管長だけだと押へが効かない。そんな状態で信徒が百万世帯から七五〇万世帯に急増した。そして次期管長に相承せずに亡くなつた。阿部日顕師が実は秘密に血脈相承を受けてゐたと名乗り出て次期管長になつた。騒動はここから始まつた。

二月二十六日(土)「戒壇の本尊」
まず正信会が管長地位不在裁判を起こして破門になつた。十年後に創価学会も破門になつた。そして戒壇の本尊は後世の作だつたといふ阿部日顕師の発言を記したメモが創価学会から暴露された。
戒壇の本尊が後世の作だとしても何ら問題はない。戒壇建立を願ふ僧侶や信徒が日蓮の本尊を写して作つた。最初のころは事情を知つてゐても後に日蓮の作といふことになつた。
板本尊は化粧直しを数十年ごとに行ふ。そのときは仏具の職人が漆や金箔の塗り直しをするが、このとき専門家による鑑定をすべきだ。事実を明らかにすれば後世の作だとしても対策はある。布教を再開することもできる。

二月二十七日(日)「平時と乱世」
日蓮は三災七難の世に生まれた。そして仏法は広まつてゐるのになぜ災難が続くのかを考へた。だから日蓮の教へが広まるのは元寇、南北朝、応仁の乱と続き天文法難で灰燼に帰すまで、明治維新以降の列強による侵略の虞のある時代、敗戦後の混乱の時代といずれも災難の続くときである。
平時に他宗攻撃はすべきではない。平時におけるすべての宗派の存在意義は民俗文化にある。釈尊の始めた仏教が多数の分流となり今に伝はつた。パンダや朱鷺を保護する必要があるのと同様、これらすべての分流は貴重な民俗遺産として保護すべきである。しかし分流間の伸張は堕落を防ぐためにも推奨すべきだ。ここに布教の意義がある。

創価学会の他宗攻撃は二つの側面がある。一つ目は他宗の教義を攻撃するもの、二つ目は他宗の堕落を攻撃するものである。後者は今後も大いに進めるべきである。
私は三年前に武州多摩郡八王子のスリランカ上座部仏教寺院のカティナのお祭りに参拝した。しかしその後二度と行かなくなつた。それは堕落した他宗の僧侶に遭つたためである。この日はスリランカの大使夫妻も来られた。参拝者は五十人くらいなので大使と話そうと思へば幾らでも話す時間はあつたが、私はシンハラ語を話せないし大使が日本語を話せるか不明なので話しかけなかつた。アジア人どうしでは必要があるとき以外は英語を使わないことにしてゐる。私以外も話しかける日本人は一人もいなかつた。カティナの祭りは徹夜で読教するから皆が疲れてゐるなかを翌日の昼に日本の僧侶が現れ「いやあ、一日間違えたよ」と大声を出した。
その次がよくなかつた。この僧侶の寺は静岡県だが「駅に創価学会の団体列車がよく止まつてゐた。変な連中が乗つてゐるんだよな」と大声を出した。このままではこの僧侶を批判せざるを得ないからそうならないようにこの僧侶と話をした。臨済宗だといふので「白隠禅師の地元ですね」と真面目な方向に水を向けようとしたのに「白隠禅師とうちの寺は交流があつたから酒でも飲みながら話したのだろう」と元に戻した。
創価学会は真面目に信仰する者は他教他宗でも共存し、堕落した者は大いに折伏してほしい。

三月二日(水)「八本山の協調」
亡くなる前の細井日達師は手塚寛道師に連絡し、どうしたらよいかを相談した。手塚師は創価学会と別れることを具申した。この話は二十年ほど前のお講のときに手塚師が話されたのだが、それだけでは不十分だと聞いてゐて思つた。
血脈と戒壇の本尊を強調する限り日蓮正宗は弱小宗団に留まる。といつてこれ等を否定しては第四世日道以後の七百年の歴史に反する。大石寺は八本山の一つに戻り、八本山の相違は伝統として尊重するのがよい。大石寺は途中で切れたとしても周りの協力で復活させた血脈と、後世に戒壇建立を願ふ人々によつて作られたかも知れない戒壇の本尊を特徴とし、他の七本山もそれぞれ特徴を持つ。信徒は自分の性格に合つた本山を選び信仰するとよい。

創価学会は今のままでは不安定である。八本山を均衡に後援することで組織は将来も安定する。友人葬は定着し宗教界はこれをもつと賞賛してもよい。僧侶を呼びたい人は呼び友人葬がよい人は友人葬にすべきだ。


(その四)へ (その六)へ
メニューへ戻る 前へ 次へ