一五一、二二年ぶりの正信会寺院参詣記(その三、矢野絢也と島田裕巳批判)

二月三日(木)「矢野絢也の叙勲」
国会議員とは国民を代弁して政府を糾す役割である。だから叙勲なぞ必要ない。公明党と共産党が受賞を辞退するのは立派だ。ところが矢野絢也は昨年秋に旭日大綬章を受賞した。それも仙石の公設秘書に矢野の息子が就いたためだといふ。
菅政権のよくないところはせつかくの政権交代を無意味にしたことだ。与野党が同じ事を言つては戦前と変らない。国民はあとはデモか暴動で政府を倒すしかなくなる。菅直人は議会政治の敵である。矢野はなんでそんな政権に擦り寄るのか。

しかも矢野が長期に亘つて国会議員でゐられたのは学会員が交通費自己負担、電話代自己負担で選挙活動をしてくれたおかげではないか。議員のときはいい思ひをしながら辞めると叛旗を翻す。野党の時は反自民のふりをして首相になるや消費税を自民党案を参考に倍額にすると言ひ出す菅直人にそつくりである。

二月四日(金)「表層しか見ない島田裕巳」
島田裕巳は事象の表層しか見ない。その典型は『民族化する創価学会』である。題名だけ大げさで中身がない。書店で購入した人の不満だけが残る。
今回取り上げるのは「創価学会もうひとつのニッポン」で学会員の構成について述べてゐる部分である。
・昭和でいうと三〇~四〇年代にかけて(中略)大企業中心の総評などにすくい上げられることもなく、未組織労働者、中小零細業者として(以下略)。
・いまでいう派遣切りにあいそうな境遇の人たちばかりが集まってきていた。
まず総評は地区労など未組織労働者の組織化に努力してゐた。地区労は厳密には総評の下部組織ではないが、島田はそういふ文脈で論じてはゐない。
昭和四〇年代までは人手不足だつたから中小のほうが大手より給料の高いことも多かつた。大手もプラザ合意までは現業職が多かつた。中小零細業者の経営者は当時は労働者にはなかなか買へない自家用車に乗るなどしてゐた。
総評から見捨てられたのではなく家族的経営といふ言葉が流行つたが、労使協調を望む人たちが経営者も従業員も創価学会に多かつたといふのが正しい。

島田の態度は中小労働者と創価学会を見下してゐる。島田は現在、東京大学先端科学技術センター客員研究員だがこんな表層しか見ない者に税金を使ふ必要があるのか。
あるいは客員研究員は非常勤で人件費は高くはないかも知れない。だとしても客員研究員の肩書きで表層だけの書籍を売るから、国民から金銭を収奪することになる。

二月五日(土)「四派の今後進むべき方向」
創価学会と正信会と旧本門宗の連携を先に提案したがこれは宗門と対決する為ではない。まず三つが連携し、その次に宗門とも連携するのが第一段階である。

今の時代は七百年前と異なる。飢饉疫癘を叫んでも飽食の時代で誰も振り向かない。折伏や他宗攻撃はすべきではない。勿論地球温暖化で人類は滅亡寸前である。今こそ折伏だともいへるが、今まで黙つてゐて今更急に言ひ出すのは困難である。他宗との不受不施は宗祖以来の伝統だからこれは守るべきだ。
釈尊が仏教を説いてから二千数百年。各国には各時代の文化に合つた宗派が広まつた。この違ひをキリスト教、イスラム教、ヒンヅー教にも拡大して認め、共存するのが第二段階である。

日蓮の時代には唯物論はなかつた。だから日蓮の批判が他宗に向いたのは当然である。 今の時代は唯物論が地球を滅ぼそうとしてゐる。だからこれと対決すべきである。ここで共産主義は唯物論を自称してはゐるがこれは当時の西洋のキリスト教と対決する必要のあつた時代の話であり、現在では必要ない。ましてやアジアの共産主義は民族解放闘争で文化の重要さを学んだからましてや唯物論ではない。
科学万能の現代にあつては、創造主の有無で唯物論を定義するのではなく、文化の必要性の有無で唯物論を定義すべきである。つまり先代から引き継いだ文化を次代に伝へる必要はないと考へるのが唯物論である。そして宗教は文化の一部である。

二月六日(日)「H師と激突、その一」
伝統は大切だと主張することに対して、そんなに昔がよいなら何でも昔式にしろ、と反論する人が現れることだろう。私の主張は伝統は永続する確率が一番高く人心も安定し、しかし人間は堕落するからその補正は必要だといふものだから、何でも昔式にしようといふのではない。
ところがそういふ反論をした人が一人だけゐた。それが三十年前のH師である。H師は昨年まで日蓮正宗の僧侶であり、先々代管長の日達師が宗門側信徒組織の青年部指導教師に任命した。
しかもあの当時H師は日蓮正宗の僧侶で博士号取得第一号か、と騒がれた。実際はそれから三十年かかつた。このH師が私に「昔がいいのなら僧侶のいふ事は絶対だ」と言つた。私が「なぜ僧侶のいふ事は絶対なのですか」と聞くと「昔はそうだつたのだから仕方がない」と答へた。H師は青年部の会合で「住職どうしで仲が悪いことがあり『私はあの住職が嫌いだ』と住職がいふ。すると信徒が『そうですね」と追従する。」といふような講演をしばしばした。だから僧侶のいふ事が絶対といふことはあり得ない。
私は「読経を早口ですべきではない」と主張したこともある。H師は江戸時代に大石寺から異流儀を主張して分離した三鳥派が「速読禁止」も唱へたと論文に書いた。これについては解説が必要である。鼻から息を抜いて早口に読経する方法がある。創価学会でこの方法を知つてゐる人はほとんどゐないが、私は野村光照師から教わつたし後年になつて手塚寛道師からも教わつた。三鳥派が批判するのはこの方法だが、私はこの方法は批判してゐない。鼻から息を抜かずに高速で読経すると早口言葉の練習みたいで見苦しい。このような状態をいつまでも持続できる筈がない。私が言ひたかつたのはこのことである。
日蓮正宗だけではない。日本全体にも当てはまる。西洋のポツプスを我慢して聞いてゐると社会全体がおかしくなる。若いうちからああいふものを聞かせてゐると本人はよいが世代間が変になる。
新自由主義も同じだ。ああいふものをアメリカで流行つてゐるからと日本に取り入れてはいけない。消費税増税も同じだ。欧米の真似をして日本に入れてはいけない。不快に感じるものは持続できない。

二月七日(月)「H師と激突、その二」
三番目に、指導は住職から受けるのか管長からなのかで対立した。管長に一信徒が意見を述べる機会はない。だから一方的な話になる。マイクとスピーカーが発明されたのは近代だから、多人数を集めて一人が話す方法は定常期に達してはゐない。だから日頃に対話のできる住職を通して指導を受けることが大切である。

四番目に僧侶は法話をすべきだとH師に意見を述べたがH師は、僧侶の中にもそういふことをいふ人はゐる、と述べるだけだつた。
五番目にH師が管長本仏論を述べた。青年部の大会で「ホトケは何々なのです」「ホトケは何々なのです」と四つくらい言つた。ちょうど元日に初詣で賑はふ鶴岡八幡宮や明治神宮の参道でキリスト教が「神は何々なのです」と録音を流してゐるあれと同じ口調である。H師の演説では仏とは管長だとしなくては話が合わない。
半年ほどしてH師は青年部指導教師を解任させられた。前管長が任命したので人事を一新するといふ理由だつた。これ以降H師は反管長となり正信会に行つてすぐに戻つたり宗会議員選挙に立候補して一回当選したり反管長言辞を三十年繰り返し、昨年つひに還俗した。

二月八日(火)「僧侶と学歴」
日興が亡くなり後継の日目が次いで亡くなると日興門流は八本山に分流した。日興から薫陶を受けた弟子たちが仏法に背く筈がない。管長絶対は必ずしも正しくないことを史実は語る。
しかし正信会は日顕師は血脈相承を受けてゐないとは主張するが、管長の権限の歴史的推移まではなかなか踏み込めない。その中で正信会でも異端視された伊芸益道師がこの点に踏み込んた。
私は十九年前に益道師に会いに土佐まで行つた。遠路の旅行をする価値はあつた。益道師が亡くなつた今となつてはいい思ひ出である。

益道師は僧侶の学歴も取り上げた。日蓮正宗の僧侶は高卒がほとんどで一部が立正大学などを卒業した。その後経済が豊かになると大卒が急増した。宗制宗規では修行を終えると権訓導、訓導、小講師、講師と僧階が上がる。しかし大学を卒業すると講師に補任される。益道師はこれを不条理だと主張した。これは正論である。正信会は宗務院が決めた僧階を無視するから決して自分の待遇への不満を述べたものではない。もつとも僧籍剥奪時の僧階で序列が固定されたといふことはある。民間でも例へば富士通は高卒が執務職二級、一級、一般職二級と昇格するのに対し大卒は一般職から始まる。宗教が利潤を目的とする団体と同じではいけない。
余談だが日興の門流は身延を離山し富士に来たので富士門流とも言はれる。私は富士通グループに勤めたので例に出したが家内は日興證券に勤めた。偶然があるものである。

宗門でも日蓮宗の立正大学みたいな大学を作る計画が持ち上がつた。しかし文部省の基準を満たさず富士学林大学科と称して発足した。だから卒業しても大卒ではない。しかも外部の大学卒の講師昇格を廃止し富士学林大学科卒のみを昇格するようにした。H師がこれに噛み付いた。宗門の僧侶は皆高卒だ、世間からも海外からも評価されない、と。そして博士号取得を機に還俗した。
しかしH師は許し難い。まず日本全国の高卒に失礼である。今でこそ大卒が多くなつたが以前は高卒が普通だつた。二番目に富士学林大学科で学ぶ僧侶に失礼である。

二月九日(水)「日本を駄目にした西洋教育」
西洋式教育は日本を駄目にした。かつてはタイピスト学校や簿記学校が流行つたが、第一段階として大学をこれと同じ扱いとし、第二段階として小中高を日本式に変へる。第三段階として各国独自の方法をアジアアフリカに広め、この地域の人心の安定を図る。経済成長による人心安定は地球滅亡と引き換へだから駄目である。
島田裕巳の「いまでいう派遣切りにあいそうな境遇の人たちばかりが集まってきていた」と言ひH氏の僧侶高卒発言と言ひ、他を見下す根底に西洋式の教育がある。

二月十日(木)「寺崎素道師の質問」
私が正信会側に移つた後に寺崎素道師が「僧侶の間でも皆がH師を批判してゐる」と私に言つた。私とH師の激突は正信会にまで伝はつてゐた。
寺崎師は今後どうしたらよいか私に尋ねた。この当時、正信会は管長地位訴訟がうまく行かず手詰まりだつた。私は「全国の寺院が住職を中心に信心を持続するのがいいと思ひます」としか答へられなかつた。あの当時は創価学会と総本山が別れるとは誰も予想してゐなかつたからである。
宗祖七百御遠忌のときに私も総本山に参詣した。御影堂の法要で私の十メートル先で宗門側の総講頭を兼務する池田大作氏が賛文を読み上げ、管長の日顕師に合掌した。日顕師も軽く会釈した。あの光景を目の当たりにして、まさか分裂するとは予想できる訳がない。
しかし寺崎師への答は今でも間違つてはゐないと思ふ。日達師の時代なら布教活動をすれば学会から退会者を集められる。日顕師の時代は無理である。無理に布教を強制すれば脱落者が続出する。僧侶や信徒の幹部がマイクで多人数に命令すれば不満者や組織の分裂が起こる。ここは住職の法話を中心に地味に信心を持続させるしかない。

そして時がきた。創価学会と総本山は別れた。今こそ宗門と創価学会と正信会と更には日本の宗教界全体のために活動をすべきである。


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