千四百九十二 (和歌)行動心象日記(バスタ新宿の社員は優秀だ、新宿駅西口バス観察)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十一月三十日(月)
本日朝の出勤時は、西口中央通りに観光バスの姿はなかった。昼は私用外出し時間が余ったため、バスタ新宿に寄った。そこで感じたことは、バスタ新宿の職員は優秀だ。まづ椅子席のバス乗車口に面したところに座ったところ、アルピコの長野、善光寺行きが乗車中だった。
荷物を積み込む職員はアルピコかバスタ新宿のどちらかと考へたが、それより中央高速を走るなら松本に停車しないのかが気になり、その職員に聞くと軽井沢を回るとのことだった。
単に行くとか行かないだけだと、中央高速から下に降りないだけかも知れないと云ふ疑問が新たに起きる。しかし軽井沢を云へば、二つのことが一度に解決する。
(1)バスは上信越道を走る、(2)旧川中島バスの路線だ。
アルピコ交通は、松本電鉄、諏訪バス、川中島自動車を合併したので、元はどの会社だったかが判る。更に胸の名札に「バスタ新宿」と書いてあったから、所属も判った。
目を反対側に向けると、切符売り場で来たお客さんを空いてゐる窓口に誘導し、何々行きです、と声を掛ける。お客さんが窓口に着くときは、既に検索が出来てゐるから、これは親切だ。もう一人を案内したあと、三人目は自分が窓口に立ったので、なるほどと判った。
荷物を積む職員は、運転手に任せるのではなく路線を理解してゐるし、窓口を案内する職員は、窓口も担当するから路線を理解してゐる。
業務に長けた人が案内するから、すべてがうまくゆく。ここで近年危惧するのは、多くの会社で電話対応の担当がパートや派遣なのか業務に長けてゐない人が多い。それでも構はないのだが、自分では無理だと思ったらすぐ上位の者に引き継ぐことが必要だ。

十二月一日(火)
朝は、西口中央通りに4台停車してゐた。昨日は一台も無いので心配したが、月末のせいだと推定した。
昨日は 中央通り
ツアーバス 一台もなく
観光の 異変を懸念
だが今日は 四台停車 乗客を待つ
(反歌)昨日は 月の終りで バスは無く 師走の始め 忙しくなる さう願ひたい

十二月二日(水)
朝は、工学院大学前のバス停に1台のみ。しかし旧ツワーバス兼Weバスの停留所に止まるのを見たのは初めてだ。
昼は中央公園の駅行き、車庫行きの両方のバス停まで行き、Weバスと異なり都バスは入出庫線が1時間に1本くらいあることに気付いた。

十二月三日(木)
朝は、西口中央通りにバスはなかった。コロナ騒ぎの影響か。
新たな疑問が出てきた。京王の新宿西口バスターミナルはバスタ新宿開始とともに廃止されたが、臨時発車ホームの26番は残った。その数m先の27番と、交差点を曲がった28番も残った。その先にはとバスの停留所がある。ここまではよい。問題はその先の70番だ。なぜ番号が急に大きくなるのか。

十二月四日(金)
朝は、バス3台。うち1台は都バス出庫線の新宿駅西口中央通りバス停の少し前に停車してゐた。都バスのバス停に掛かる位置の停車は初めて見た。
数日前から、明治安田ビルの正面が工事用の壁で覆はれた。ビルの背後は既に覆はれたが、どうやら一体化した大きなビルを建てるやうだ。

十二月九日(水)
朝の出勤時は、中央通りを歩き、ツアーバスを観察した。月曜は中央通りにツアーバスは無し。
火曜は近くのインターネット授業の高校がチャーターしたバス3台が工学院大前バス停付近。その後方にツアーバス1台。
水曜は工学院大前バス停付近に係が2名、まもなくバスが右折して来た。
70番バス停について、新たなことが判った。70と書いてある塗料が少し剥げて、東京都交通局の印章がすこし見える。照明式プラスチックにも70とあるが、これは関東バスのものだ。つまり70は、新宿駅西口の通し番号ではなく、関東バスが独自に付けたものだった。
バス停の 一本毎に
変移あり それを探れば
西口の 膨大な数の
人びとの 人生支へた 歴史が浮かぶ
(反歌)通勤や 通学買ひ物 所用など 思ひ出乗せて 発車時刻に

十二月十一日(土)
昨日は帰宅のときに、小田急ハルクの前を歩いてみた。ここには35番と36番のバス停があるからだ。東京都交通局の バス乗り場の図を見て、新たなことが判った。28番の中央通り反対側に31番がある。元の西口高速バスターミナルは26番の前の24番、25番かと思ったら50番だったらしい。それなら70番も判る。

(終)

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