八百十四 定年を迎へて

平成二十八年丙申
二月十七日(水) 一昨日で定年
一昨日定年を迎へた。六十歳になつたのはその少し前だが、給料計算の締め日で定年になる。今日で再雇用二日目だ。今年の誕生日は感慨深いものがあつた。今までは毎年一つづつ年を重ねるだけだつたが、今年は六十歳といふ節目だ。
だから一昨日まではかなり長く感じた。しかしこれからは短くなる。給料が半分に減るといふ現実があるからだ。

二月二十日(土) 転職時の悪い噂
今の会社に転職して二十三年間が経つた。残念だつたのは転職の時に悪い噂を流された。入つた数日後に或る営業部長(この当時、ほとんどの営業は第二営業部長など営業部が五つくらいあり、一人一部長だつた)が私の前の会社に行つてくると出掛けた。私は秘密にすることは何もないからにこやかに送り出した。真実を話してもらへれば何の問題もない。ところが戻るやよそよそしい態度になつた。前の会社は社長と営業部長兼技術部長(といふことは実質仕切つてゐた)の仲が悪く、私は社長と仲が良かつたので、部長が逆恨みして私を退職させないとこんな会社辞めてやるとすごみ、社長が取引先の今の会社に私を引き取つてもらふといふ経緯があつた。この営業部長は部長に聞きに行つてしまつた。
数日後に、今の会社の社長(当時)が私の前々職(コンピュータ専門学校)のときの上司に会ひに行つた。この上司はかつてこの会社の課長だつたが、校長と専門学校時代の同級生といふことで、新設された専門学校に転職し、しかしこのとき既に退職した。この人は私の名前を聞くと顔面蒼白になつたといふ。これは当然だ。
私が専門学校教師のときホームルームの時間に、一回だけ労働組合の話をしたことがある。偏らないように労働組合法から始めて、コンピュータ業界は偽装請負やうつ病、胃潰瘍、退職勧奨が多いから、そのようなときは都道府県の労政事務所に相談するか、場合によつては労働組合に相談することを話した。労政事務所にも労働組合のパンフレットが置いてあるし、相談員が労働組合に行くことを勧める場合もある。何の問題もない。
ところがこの上司が私に退職勧奨を掛けてきた。この男は前科がある。或る非常勤講師が年度末で契約更新されなかつた。「あの人は冗談が通じないで本気にするからなあ」と非常勤講師は私に云つた。何しろ校長の同級生だから権限がある。しかし池袋校舎管理問題、情報処理試験の合格率、教科書問題と、次々と不手際を起こすので翌年に役職を解任され、まもなく退職した。

二月二十日(土)その二 悪い噂の顛末
悪い噂が流れると、本人に確認せずそれを信じる人間が出る。転職三年目の上司は取締役事業部長兼部長だつた。たまたま私が休暇を取り、実家でテレビを観てゐると地下鉄サリン事件を速報した。翌日会社に行くと、その上司が「昨日は休んだね。あの事件は君がやつたのではないのか」と質問した。即座に否定したが、如何に悪い噂を流されたかがよく判る。
頭の悪い男の発言なら「あの人は非常識だから」で済む。この上司は東北大学の原子核工学の修士を出て、同級か一年先輩か後輩にあの有名な小出裕章氏がゐる。この当時の修士は今の博士より希少価値があつた。本人も課長以上と営業全員の集まつた経営会議で「営業は頭が悪いから」などと発言し、営業は逆に「うちの会社にはこんなすごい人がゐるのだ」と羨望の声を上げるといふ共振現象さへあつた。自他ともに優秀を認める人がなぜ、たまたま当日休暇を取つたといふだけでサリン事件と結びつけるのか。

それでもこの発言は一笑に付すことができた。許し難いのは、私は社長から指名されてある輸入ソフトウェア製品の担当になつたのに、この仕事を私から取り上げようとしたことだ。まづ第一回アメリカ出張を別の人間に割り振つた。第二回は私が勝ち取り、このときは八か月に及んだ。翌年には、私は労働者派遣法に規定された派遣労働者ではないとないと云つてゐるのに、週二回コンサルタントとして行くだけだと嘘をついて派遣に出さうとして、大変な騒ぎになつた。そしてこの組織から外されてしまつた。

二月二十七日(土) 意見を云はない会議
プラザ合意の10年ほど後までは、どんな会社でも幹部、技能職といふ分け方があつた。私の勤務する会社は入社当時、プログラマ及びSEを社員、それ以外を経営職と呼んだ。私はソフトウェア製品の輸入・技術・販売支援だから経営職だつた。私の勤務は横浜事業所だつたが毎週月曜早朝に本社で行はれる会議に入社五年目くらいまでは出席した。東京は社長、横浜は専務の主催でそれぞれ早朝会議を行ふ時期もあつた。
どちらも会議は営業、技術、事務がそれぞれ無関係な内容を主催者に報告するに留まつた。それではいけないから、私は本社に出席のときに議論になりさうな内容を含めるようにした。例へばあるとき「一人が単独で上げる利益を1とすると、二人だと2+アルファ、三人だと3+2アルファになり、このアルファを会社の利益とするよう事業を進める必要があると思ひます」と発言した。時間にして十秒たらずだつた。ところが社長が目の前のノートパソコンをすごい勢いでパタンと閉めた。会議が終つたあと「今後、頭のいい人間は入社させるな」と事務本部長に不機嫌さうに云つた。
私は、自分のことを云はれたとは露程も思はなかつた。まづ私は自分で頭がいいとは思つてゐないし、発言は十秒だし、他人を不愉快にさせるようなことは一言も云はなかつた。万が一私の十秒の発言に間違ひがあるなら、会議で指摘すればよい。しかし数日後にあの件は私のことだと気付いた。
この話を何のきつかけだつたか雑談の中で、名古屋事業所の責任者に話したことがある。会社が名古屋に進出することになり、責任者を雇用した。技術者も二十名くらいまで増へた。
更にすごいことになつた。当社で二番目に歴史の長い大阪事業所と組織を統合し西日本事業本部を新設し、この名古屋の責任者が本部長に就任した。当社のナンバー4になつた。本人も張り切つて名古屋と大阪を往復して奮闘した。しかし数年後に解任され、名古屋事業所は閉鎖。名古屋で採用された人たちは退職した。

二月二十八日(日) 続出する退職者
私が今の会社に入社したときの上司はA取締役で、大阪事業所を一人で立ち上げてここまで大きくした立役者だつた。この年に大阪事業所営業部長だつたBさんが大阪の責任者になり、Aさんは東京に転勤した。Aさんは社長が富士通xxxx(差し障りがあるといけないので省略)にゐたときの部下でもあつた。そのAさんが翌年退職した。横浜事業所は組織では我々とは別組織だが、事業所長のCさんが数年後に退職した。前事業所長はシステム管理部長や営業部長になつたりしたが10年ほどして退職した。次に横浜事業所長になつた人は退職して個人タクシーの運転手になつた。大阪事業所長になつたBさんも後に退職し、大阪で騒ぎが収まらなくなりまとめ役としてAさんが再入社したが数年で退職した。

この退職者の多さはいつたい何かと驚いてしまふが、そのような中で私が今日まで在籍できたのは「受注は会社に、仕事は会社から」といふ原則を崩さなかったためだ。私はコンピュータの仕事をずつとしてきたが、ソフトハウスに入社したのはこの時が初めてだつた。といふか会社の製品販売部門に就職したから、入社したときもソフトハウスに入つたといふ感覚はなかつた。
ソフトハウス以外の普通の業界は、会社に受注が来て、仕事は会社が配分する。そこに管理職の采配の妙味がある。これは労働者派遣会社も同じで、会社に受注させるために事前面接は法律で禁止される。もし事前面接を許せば、受注は個人の力量になつてしまふ。そんなことを認めたら、仕事がないのは個人の責任、1時間当たりの単価が安いのも個人の責任といふことにされてしまふ。偽装請負と事前面接は絶対に認めてはいけない。その理由はここにある。

二月二十八日(日)その二 富士通「はみ出し組」
社長が富士通xxxxに勤務した当時、Dさんといふ同僚がゐて、この人が創業した会社の製品を、当社でも販売することになつた。富士通xxxxは後に富士通に吸収された。そのとき退職したのが当社の社長、Aさん、Dさんと、それらの上司のEさんだつた。Aさんが「Dさんは富士通xxxxだつたからやつて行けたが富士通ではやつて行けなかった」と云つた。
私の場合と事情は似てゐる。富士通の半導体だからやつて行けたのに、パソコンが電算部門に移管されたためあのような大きな組織ではやつて行けなくなつた。数年前まで富士通xxxxをインターネットで調べると二つの後継会社が検索できた。一つは富士通の子会社、もう一つは富士通とは無関係でEさんの創業した会社だつた。資本関係がないのに後継会社を名乗るので問題が起きたのだらうか。今は後継会社を名乗つてはゐない。
Eさんはこの会社のほかに兄弟会社として、もう一社設立した。その経営を社長が任され後年、株を買ひ取ったのが、私が今、勤務する会社である。私が人事採用担当だつたときに、個人経営の会社が大きくなつたのではないことを強調したほうが応募者が集まると進言したが、なぜか社長は好まなかつた。

二月二十九日(月) 新規事業
新規事業は、その会社の資源を活用できないと失敗する。私が入社してすぐに、パソコン用の4GL(第四世代言語)を販売することになつた。一つはDさんの会社の製品、もう一つは或る商社の子会社が輸入した製品だつた。4GLはCOBOLやFortranのようなコンパイル言語と比べて開発効率が数倍高い。私は二つの製品の言語仕様を短期間に覚え、社長もその速さを絶賛してくれた。しかし開発効率が高いのはデータベースのアクセスと画面、印刷、入力の部分で、それ以外はコンパイル言語と比べて効率が悪い。その理由は二つあり、流通規模が小さいため、バグを潜んでゐて一つバグがあると発見に2時間、回避策に2時間掛かり半日は余分に掛かつた。二つ目に機能に制約がある。コンパイル言語なら1行で済むのに、20行書かなくてはいけないこともあつた。そのことを把握したのは一年後だつた。

当社はこれまでも4GLを得意分野にしてきた。ミニコン用の4GLだ。そのノウハウを新規事業に活かさなくてはいけないのに、1秒たりとも1ページたりともノウハウを伝へてはくれなかつた。組織は最初、同じ事業部だつたが教へてくれず、しかもすぐ独立させられて名ばかりの小さな事業部になつた。

その数年後、中国事業、自然言語の新規事業があり、私の所属する部が担当なのに、部長が独り占めした。私は中国経験はないがアメリカやヨーロッパからのソフト輸入はずつと担当してきた。販売した製品のサポートで海外との連絡は今から六年ほど前まで続いた。だから海外業務の経験がまつたくない部長が独占するのではなく、私に仕事を回してくれれば、幾らでも役に立てるのに回してくれなかつた。1年間やつてこの部長では埒が明かず、数年後に別会社の事業を引き取り中国事業に詳しい日本人と、日本人以上に日本語が堪能な中国人が入社し大々的に展開することになるがそれは後の話である。
自然言語は或るコンサル会社のノウハウを使つて海外の技術で開発するといふ。新規技術は私の得意分野なのにこれも部長が独占した。私は、販売までそのコンサル会社にやらせないと失敗すると見た。実際製品は開発したのに売れず失敗した。(完)


メニューへ戻る 前へ (その二)へ