千四百八十四 (和歌)「福井県民歌(旧版、新版)」「神奈川県民歌、横浜市歌」から、戦前戦後の混乱を考察
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十月二十七日(火)
福井県民歌(旧版)は優れたものだ。最初聴くと祭りの笛の前奏で、旋律も西洋音楽の範疇ではあるが、とまどふ人もゐることだらう。慣れるといい曲だと判る。
しかも、作詞は三好達治だから、名文である。サンフランシスコ講和条約を記念し昭和二十九年(1954)に制作された。
ところが平成二十六年(2014)に、新版が作られた。歌詞は従来のものを用ゐたが、二番と五番が廃止になった。新版の大合唱を聴くと、悪い曲ではない。
しかし良い印象はここまでだった。新版に二つ疑問が出てきた。一つ目は、あの曲を独唱で聴いたら良い印象になるか。大合唱でごまかした。
二つ目は、「ここにして 新しき世は 古き世に 替わりて興る」の歌詞は変だ。新しき世が、古き世に替はりて興るのではなく、古き世の不都合を改廃することで新しき世になる。例外が二つあり、明治維新と終戦だ。
福井県民歌(旧版)を聴いたときに、二つ目の疑問は出なかった。その訳は、二番の「遠き世を 今もさながら 悠久の ときこそうつれ」で、平衡が取れた。その前に「白雲や そこになびかひ 白波や かしこにあがる」があるから、白雲や白波は昔と変はらないとした上で、「新しき世は 古き世に 替わりて興る」。これなら問題はない。
サンフランシスコ講和条約を締結して、日本は再び独立国になったので、昔と変はらないとした上で、しかし戦後の世の中になったから、もちろん薩長の作った明治政府とは異なる。
日本には 三つの偏向
まづ幕府 薩長政府が
二つ目に 戦後も続く
マッカーサー 多くの人が 三つ目気付かず
(反歌)県歌には 戦前戦後の 偏向が 現れるので 勉強になる

十月三十一日(土)
神奈川県民歌を聴いたのは十年前だ。このとき私は横浜に住んでゐたが、聴いて何とも思はなかった。つまり、あまりいい作品ではなかった。今回これを取り上げるのは「横浜市歌」と組みにした場合だ。
「横浜市歌」は作詞が森鴎外、作曲が東京音楽学校助教授南能衛。錚々たる顔ぶれだ。当時の県歌や市歌の思想がよく現れる。横浜市歌を聴いた上なら、神奈川県民歌を何とか許容できる。
横浜市歌が作られたのは明治四十二年で、日露戦争の四年後だから、まだ日本が尊大になる前だ(と思ふ。歌詞から尊大さは感じられない。膨大な数の戦死者の家族や負傷者がゐる時代だ)。
神奈川県民歌が作られたのは、昭和二十三年。その八年後(昭和三十一年)に「もはや戦後ではない」と云はれたから、まだ経済が混乱する時期だ。しかも日本が独立する前で、米軍占領下だ。
この曲の悪いところを赤色にすると
光あらたに雲染めて
七つの汐路真向いに
国のあしたの窓ひらく
ああ神奈川はおおらかに
希望の
虹の立つところ

一番悪いのが「光あらたに」で、これだけで全体が失格。「朝の光が」ならまだ許容範囲だ。「ああ」は無駄な上に、感情が上滑り。「おおらか」「希望」は空虚で、終戦後に作られた歌詞に多く見られる欠点だ。
もし中国の北京が、日本軍占領時代に作られた市歌を今でも歌ってゐたら、世界中の笑ひ物だ。神奈川県民歌は、米軍占領下で作られた。
神奈川に 二十五年
住んでみて 県民の歌
聴く機会 歌ふ機会が 一回もなし
(反歌)神奈川の 県民歌なる 作品は 恥を七つの 汐路に流す(終)

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