千四百七十八 (和歌)西洋人は野蛮を脱しきれない、ノーベル平和賞に思ふ
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十月十日(土)
ノーベル平和賞の前評判は、一位が地球温暖化防止のグレタさん、二位は新型コロナ対策のWHOだった。それなのに蓋を開けてみれば、WFP(世界食糧計画)に決まった。世界中でほとんどの人が思ふことは、ずいぶん事なかれ主義だ。
グレタさんがノーベル平和賞なら、まだ西洋人にも見込みがあった。今回のノーベル賞で、西洋人は野蛮から脱することが不可能になった。
西洋の野蛮人ども改悛し地球を守ることこそが最優先のはずなのに またも今回機会を逃す
(反歌)野蛮人戦争の次は植民地原爆の次は地球を破壊
十月十一日(日)
平和賞文学賞は西洋の偏向多く 受賞者が適切なのか個々に異なる
(反歌)グレタさん前評判は一位だが裏の圧力露骨に示す
グレタさんが一位だと、困る企業も多い。裏で圧力があったのだらう。
十月十二日(月)
A作とキッシンジャーと健三郎 多くの人が疑問持つノーベル賞に値するのか
(反歌)ベトナムの多数犠牲者無視をしてキッシンジャーの受賞悪質
アメリカの大統領補佐官キッシンジャーはベトナム側と交渉し、アメリカ軍は撤退。それまでアメリカは、ベトナムに膨大な犠牲者を出させたばかりか、枯れ葉作戦と云ふ人類史上、原爆に次いで悪質な作戦をやってきた。
アメリカ軍撤退後も、北ベトナムと南ベトナムの戦争は続き、しかし北ベトナムが勝利し、ベトナムは一つの国になった。
キッシンジャーが受賞できる可能性は1%もなかったはずだ。
十月十三日(火)
今の若い人たちは知らないが、昔は革新系知事、革新系市長が全国に誕生した。しかし終戦直後の農地改革があった後なので農村部では自民党が強く、国会や農業県にまでは及ばなかった。
この当時、革新系には二つの流れがあった。一つは、社会党共産党総評の流れ、もう一つは学生運動だった。前者には、社会を作る夢があった。後者は、社会を破壊するだけだった。マッカーサの洗脳が適度に効いたか、過度に効いたかの違ひだ。
大江健三郎が社会を破壊するとは思はないが、ノーベル文学賞を受賞したあと、時が経つにつれ慢心を起こしたのではないか。私が労働組合に関係したときに集会で一度、大江が発言するのを聞いた。偽善言辞がひどかった。
戦争が起こりさうなときに、軍部に弾圧されても平和を叫ぶ。これは尊い。その一方で、平和なときに平和を叫ぶと偽善だ。
九条も同じだ。米軍に出て行ってもらって九条を有効化しようとする主張なら賛成だ(賛成なのは九条を叫ぶ人がここまですることに対してであって、米軍に出て行ってもらふことは無理だ。だから私自身は日米安保条約長期縮小論であって、即時廃止論ではない)。それなのに今の人たちは、米軍の存在を喜び九条を叫ぶ。これは欺瞞だ。
平和な世尊きことも 平和時に平和叫ぶと日本では米英化にて亡国となる
(反歌)米英を真似も労組は企業別与党交代これもできない
外国の真似をすると、元の国より悪くなる。
十月十四日(水)
日本ではソ連崩壊前後から平和運動変質し 米英化への羨望となる
(反歌)米英の戦勝国を賞賛しそんな運動平和に非ず
十月二十一日(水)
大江健三郎を批判したのは、文学賞を受賞したのにご本人が平和賞と勘違ひしたからだ。文学賞を受賞したことには、今まで何の意見ももたなかった。そもそも大江健三郎の小説を読んだことがない。
そこで大江健三郎の「飼育」を読み始めた。しかし数ページで読むのを止めた。人それぞれ小説観が異なる。私は小説で一番重要なのは、物語性(あらすじ)だと考へる。「飼育」は物語性がつまらない。しかも戦時下と云ふ特殊な時期だ。日本は負けたことを知ってゐる作者が、知らないふりをして村人たちを描く。
それより重大なのは、捕獲した敵兵は黒人だ。これが白人だったら、物語はまったく別の内容になっただらう。村人たちの言動は、如何にも日本は遅れて不合理を暗示する描写だ。大江健三郎が云ひたかったのは、白人が優れて、アジア人と黒人は遅れてゐると云ふことではないのか。これなら白人が選考するノーベル文学賞を受賞したのも頷ける。
「飼育」を数ページで止めたのには、あと二つ理由がある。小説は文章が簡潔でなくてはいけない。小説は文章が美しくなくてはいけない。「飼育」はどちらも欠ける。
詳細性、記録性、正確性を重視すると、簡潔と美しさが犠牲になる。どちらを重視するかだが、小説が簡潔と美しさを重視するのは当然だ。(終)
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