千四百七十七 (和歌)東日本大回り別伝
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十月三日(土)
「最初の計画」では、釜石から盛まで三陸鉄道に乗り、盛で折り返して久慈まで乗り、JRで八戸に一泊の筈だった。二日目は五能線経由で秋田、三日目は奥羽本線で米沢まで南下し、米坂線で新潟に行く予定だった。ところが奥羽線は遅く、秋田新幹線で福島まで戻ったあと山形新幹線で米沢に行くことにした。
ここが大人の休日倶楽部パスの強みだ。しかしこんなに鉄道に乗るより街並みを見るべきだ。そのことに気付き計画を変更した。
「第二次計画」として、一日目は盛には行かず、釜石、宮古、久慈でそれぞれ一時間三十分程度の街歩き時間を設ける。三日目も秋田から新潟に向かひ、象潟、村上、新発田に寄る。
ところが重い旅行かばんを持って街中を歩くのが面倒になり、一日目は「最初の計画」に戻り、盛まで往復することにした。
盛から久慈方面への三陸鉄道は、団体客が二回別の区間で乗った。どちらも数駅で降りて、駅前に観光バスが待機した。
三セクに団体客は良きことも 更に大きな問題はここだけに来る理由は如何に
(反歌)マスコミと特にテレビの影響は嬉しくはなく長期心配
長期が心配なのは、テレビドラマ「あまちゃん」の効果がいつまでも続かないことだけではない。テレビの影響が大きいと、テレビ関係者が慢心する。
三陸鉄道と、八戸線と、秋田から酒田方面への普通列車は、年配の人が多かった。大人の休日倶楽部パスの利用者だらう。列車は空気を運んでも無駄だから、空いた時季に年三回販売するのはよいことだ。
十月四日(日)
台風の季節なので、もし台風が来るときは旅館のキャンセルが無料なうちにキャンセルし、四日間台風の影響のない地方を旅行しようと考へた。自宅から日帰りで四日間を想定したが、関東が台風の時は別の地方で三日間のあと戻って来ることもあり得る。
だから大宮から盛岡までの指定席は五日前に取ったところ、窓側は満席で二人掛けの通路側だった。とは云へ、ノートパソコンを携帯したので、車内では原稿を書いて退屈しなかった。
青森から秋田までのリゾートしらかみも、午前の列車を予定したのに、まさかの満席だった。午前は弘前と青森で過ごし、午後の列車に乗った。
台風が来るに備へる対策で 保留のうちに指定席取れざることも午後で解決
(反歌)熱低が南の海に生じたが日本へ来るに数日掛かる
千畳敷では、広大な岩肌にはあまり興味がなく、つぶれたレストランらしき建物とその先の二つの営業中の建物に興味があった。新発田では、清水園に入りたくなかった。そのときは気付かなかったが、どちらも藩主や豪農による贅沢が関係する。私は、権力者や金持ちによる贅沢な話は嫌ひだから、そのやうに感じたのだらう。
千畳敷については、千畳みたいに広い岩だから名付けられたのであって、藩主が千畳の畳を敷いて宴会をしたと云ふのは、作り話だと思ふ。或いは事実だとしても、それが名称の由来ではないと思ふ。藩主の話は出さないほうが、観光地向きだ。
十月五日(月)
イヨボヤ会館は鮭に特化した展示施設だから、他の淡水生物は展示しないほうがよい。展示するのなら三面川に生息する生物をパネル解説するとよい。あと、海洋に出てからの生態をもっと詳しく展示できるなら、展示してほしい。
村上市鮭に特化の展示場 今は幾つも国内にあるがここでの特長は 村上藩の養殖と三面川の実の光景
(反歌)三面の支流を映すガラス越し一面を見て三面の価値
十月六日(火)
別所温泉駅は、女性の駅員がはかま姿で、八木沢まいと云ふキャラクターと同じ姿だ。上田電鉄の職員かと思ったが、別所温泉駅は観光協会に委託した。しかしキャラクターは上田電鉄が考案したものだ。
鉄道の地方路線は厳しくも 元の雰囲気まだ残る 旧国鉄は貨物跡 中小私鉄古い駅舎に
(反歌)
中小は中小のみの強み在り八木沢まいはその一番に(終)
メニューへ戻る
(その一)へ
和歌二十へ