千四百七十七 (和歌)東日本大回り旅行記
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十月三日(土)
大人の休日倶楽部パスを使ひ、三拍四日の旅に出た。
ももしきの 大宮駅ゆ
盛岡さ 新幹線で
折り返し 新花巻ゆ
快速で 釜石駅さ 鉄鋼の街
(反歌)旅立ちは 枕詞と 助詞のゆと 東北のさで 古風に開始
この長歌は、解説が必要だ。今回は古今集を真似して言葉遊びにした。だから、大宮駅にももしきは変だ、現代人が万葉集みたいにゆは変だ、東歌みたいにさは変だ、と短絡してはいけない。
盛岡駅では、高橋酒造場の「堀の井」のカップ酒を買った。これは美味しい酒だ。私は昼に酒を飲むことは、会社最終日の納会と初日の新年会だけだが、コロナウィルスで酒造の経営が苦しいと聞いたので、旅行中に限り昼間も飲むことがある。かつて所属した労働組合の月一回の飲み会がないから、これでもその時より健康的だ。
「雪っ子」も売ってゐた。陸前高田で買って美味しかったことを云ふと、冬しか出荷せず今回が最初ださうだ。
このあと新花巻に新幹線で戻り、快速で釜石に着いた。一旦、盛まで行き、折り返しの発車時刻まで三十分のため、昼食を探して駅近辺を歩き、ケーキ屋の爺さんに昼食は無いか訊くと、暫く考へたあとウクレアがパンの代はりになると云ふ。一個税込み百十円なので二個買った。飲み物は無いか訊くと、コーヒーを沸かしてもいいと云ふが、発車時刻に間に合はない。この爺さんは親切だ。
店を出てしばらく歩くと、スーパーがあった。ウクレアだけだと栄養が偏るので、普通サイズ(私から見るとやや少ない)の中華丼390円を買った。ウクレアが少ない分の補助になるので良かった。
釜石では、往路に時間が無いので駅前の水産食堂みやげ物屋合同施設を少し見た。往路は逆方向を市街まで行って戻った。
釜石と 盛は様子が
似た街だ 山が張り出し
鉱山と 工業により 街が発展
(反歌)工業が 衰退しても 釜石と 盛は今も 工業の街
宮古では、三陸鉄道のショップが駅の右側にあり、あれだと客をKioskに取られてしまふ。しかもカップ酒が売り切れだった。場所については、三陸鉄道の駅舎が昨年春にJRと同じ位置に移転したためだが、それなら改札外に三陸鉄道ショップの案内を掲示するとよい。この辺り、第三セクターは少し営業企画が弱いのではないか。

三陸鉄道に乗って驚いたことがある。トンネルが立派過ぎる。昭和四十年辺りの鉄道建設公団は、税金を無駄に使ひ過ぎた。しかしこれは三陸鉄道が悪いのではない。
鹿島線 三陸鉄道
類似する 太平洋の
沿岸を 昭和四十
年代に 税金投入 建設される
(反歌)鹿島線 橋梁多く 一方の 三陸鉄道 トンネル多し
鹿島線は、旧国鉄鹿島線と鹿島臨海鉄道に分かれる。ここで言及するのは旧国鉄鹿島線だ。この日は、宿泊が八戸で、しかもチェックインが夜八時以降の格安プランだったため、八戸線は車外が暗くて見えなかった。
もう一度 行きたいものだ 八戸と 久慈の街は 暗くて見えず

Gotoキャンペーンの地元で使へる券が九月から始まった。1000円券をもらったので駅前のローソンで使用した。1000円を超えるやう、地元の酒造の濁り酒カップを二つ、夕食のほか明日の朝食も買った。買った後でホテルが朝食付きだったことを思ひ出した。明日の昼食に回すことにした。焼肉と野菜を含むが、賞味期限はまだ先だ。

十月四日(日)
ホテルは駅ビル内なので雨に気付かず、新幹線の改札を入った。時間があるので、一旦改札を出て、駅の外に行かうとして雨に気付いた。駅の中であちこち移動の後に、新幹線に乗った。
新青森からは、在来線特急の自由席に座った。特急に乗れるのは快適だ。大人の休日倶楽部パスは、JR東日本の快挙だ。現在JR東日本批判記事を特集中だが、批判すべきは批判し、褒めるべきは褒めるべきだ。
弘前はあいにくの雨だった。十時から循環バスがあるので、これで弘前公園に行き、少し見て次のバスで駅に戻らうと予定を立てた。循環バスは10分おきだ。ところが時間がぎりぎりだ。青森に戻るのに特急ではなく普通電車に乗れば、54分後でも間に合ふ。それをしなかったのは、雨が原因だ。
弘前は 住みよい街だ
一番は 循環バスか
100円で 本数多く 優れた企画
(反歌) 雨の日も 市の中心を 走るバス 観光客にも 優しく便利
特急の車内で昼食を取った。青森駅でも待合室で食べればよい。それをしなかったのは、今回の旅行では上着を忘れた。持って来ようと予定した物は、夏用だといふので妻が別のものを持ってきてくれた。それを家に忘れた。
昨日は 寒さと無縁
雨降らず しかし今朝から
雨が降り 特急車内で 体が冷えた
(反歌)青森は 駅舎の外も また寒い 我慢するのは 二時間半だ
青森駅到着は11時14分。全車指定快速リゾートしらかみの発車は13時51分。弘前にもっとゐればよかったが、雨天と上着を忘れたことが響いた。今までずっと寒くはなかったのに、社内の温度設定が悪いのか。
弘前で リンゴジュースを
自販機で 買って車内で
飲んだのが 弘前二位の 満足事項
(反歌)弘前で 一番いいのは 循環の バス全国の モデルケースだ
青森駅ではバス案内所の中を一通り見て、JRと市営バスだった。駅前通りをアーケードのある分、1ブロック往復した。それでも時間がある。駅隣接の商業施設の椅子に座り、パソコンで旅行記を書いた。
青森から秋田まで、リゾートしらかみに乗車した。これは弘前の循環バスと同様、優れたものだ。午前の列車は満席だったので、午後の指定席を取った。空席が目立つが、午後も満席ださうだ。途中で乗り降りする人が多く、これはよいことだ。
日本海 窓は雨天で
うす暗く しかし海は
遠くまで 時間も遠く 皆が満足
(反歌)車内には 売店があり 酒類は 完売になり 大盛況だ
海は地平線まで続く。列車の走行ととも横軸にもずっと続くので、皆が満喫した。途中の千畳敷で、二十分ほど停車した。実は私は始めて見る千畳敷を好きになれなかったが、そこで営業する民宿などは好きになった。
民宿の 先に廃屋
その先に また民宿が
二軒ほど 名勝地だが 寂れが滲む
(反歌)海岸に 太宰治の 津軽から 一節があり 駄文に安堵
(反歌)駄文には 誉める意味あり 冗長を 如何に盛り込む 努力の跡だ
ホームページに記事を書く際に、心象を忠実に書かうとすると、冗長になる。だから最近は心象日誌と名付け、これは簡潔に読みたい人に読み飛ばしてほしいと伝へるためだ。
太宰治の小説「津軽」に冗長を見て、誉める意味で駄文と評した。
快速の リゾートしらかみ
活気ある 関係者たちに
支へられ 新規企画か
調べたら 二十三年 称賛あるのみ
(反歌)熱意ある 地域おこしの 精神が 惰性を避けて 新鮮保つ
五能線は、一度は乗りたいローカル線と呼ばれる。そのタイトルも熱意に繋がるのだらう。

十月五日(月)
今朝は秋田から普通列車で象潟に行った。特急列車がほとんど無いためだ。一番列車が10時35分発「いなほ8号」では話にならない。しかも一日三往復しかない。諸悪の根源は、東京を枢軸とした新幹線だ。
象潟は 芭蕉も詠んだ
名勝地 地震の為に
消滅し 岩のみ残る 自然の魔力
(反歌)象潟の 隆起のことは ほとんどの 人知らずして 今に至る
駅構内の観光案内所は親切だ。発車寸前のコミュニティバスに乗り、ねむの丘に着いた。ここから田圃に点在する多数のかつての島は圧巻だ。これが岩なら更に良いが、上に草木が茂り岩と見えないところが難点だ。
10分と短時間だったが、帰りの路線バスにも乗れて駅に戻った。バスの経路は大回りだが、国道はかつての海だ。ここで芭蕉の足跡について疑問を生じた。どうやって寺まで行ったのか。
案内所は爺さんがコーヒーを飲んで雑談をしてゐたが、顔を出すとインスタントコーヒーを入れてくださって雑談に加はった。寺には船着き場があり船を繋ぐ杭もあるさうだ。
爺さんは東北訛りだが、二十五年前までの特にスとシの区別がないころとは異なり、気付かない。しかし異なる語彙が混じるので、私を含めず話すときは半分しか理解できない。
このあと「いなほ8号」で次の訪問地、村上に向かった。二時間弱の乗車だ。駅前から巡回バスが出発するところだったので乗車した。弘前と同じで100円だ。大回りと小回りがあり、今回乗車したのは小回りのため、イヨボヤ会館まで少し歩いた。
最初の映写室では魚の捕獲と殺生なので、私の嫌ひな場面だ。入場してはいけない展示施設に来てしまったのではと最初は思ったが、二つ目の映写室で人工授精と養殖をしてゐることを知り、安心した。三面川の分流を横面からガラス越しに観察する施設はすごい。圧巻だ。鮭はゐなかったが、二種類の小魚の群れを見た。
養殖は 江戸の世からの
大偉業 鮭は下流へ
大洋へ シベリア沖へ
回遊し 再び戻る ふるさとの川
(反歌)孵化の川 魚は戻り 恩返し 科学も未だ 仕組みが解けず
(反歌)人類は 魚に恩を 返さずに 山川海と 棲む生き物にも
このあとバスが無いので歩いて古い街並みに行った。一通り見たあと時間の余裕がないので三分の一くらい走って駅に戻った。
普通電車で新発田に行った。清水園と足軽長屋は入場せず外から見ただけで、新発田城に行き、中を見学した。
新発田城 国替へなしに
維新まで 徳川の世では
珍しい 善政の故か 人徳の故か
(反歌)幕末に 奥州同盟 民衆が 阻止した話は 疑問が残る
奥州同盟は悲惨な結果に終ったが、参加しなくて良かったと考へるのは、結果を知る後世の人たちだ。その時代を精一杯生きた人たちを、物知り顔で批評してはいけない。勿論、学術的な批評、真面目な批評なら大歓迎だ。
今回の話は、藩主が奥州同盟の話合ひに出発するところを民衆が止めた話が、広場の説明にあったため一言述べた。


十月六日(火)
朝7時37分の在来線「しらゆき2号」で上越妙高まで乗る。それなのに新幹線改札に入り、電光掲示板に7時 49分と8時25分しかないので、しばらく考へたあと在来線乗り場に戻った。六十三歳辺りからかう云ふ間違ひが多くなった。
新潟から「しらゆき」に乗ると、新津まで遠回りした気分になる。それより四両編成でも乗客は少なく、上越新幹線と北陸新幹線が、新潟県を二つに分断した印象を受けた。
上越妙高から新幹線は四十六分の待ち合はせだ。改札外の観光案内所で上越教育大学までの交通機関を訊くと、紙の時刻表を調べて一日三本しかないと云ふ。
そのときは何とも思はなかったが駅から外に出て、地図を見ると一番近い駅は春日山だ。先ほどの一日三本の回答は失格で、春日山駅まで越後トキメキラインに乗り、ここからバスに乗り換へることを答へなくてはいけなかった。

新幹線で上田駅に到着した。まづ上田城に行った。真田対徳川の戦闘が二回あり、どちらも真田が買った。上田城は、実際に戦闘が行はれた城として、貴重だ。天守閣はなくて構はない。史実こそ貴重だ。
上田城を出てすぐの所に、タイ料理店があった。来るときに気付いたので、帰りに寄って昼食を食べた。スマホにたまたま東京のタイ料理店の写真があったので店の経営者に見せて盛り上がった。店内はテーブルが三つあるだけで、定員10人くらいだが、経営の安定した店だと見た。ご飯とおかずが多く、久しぶりに昼食をお腹いっぱいに食べた。900円だから価格満足度は高い。
上田城 真田の時に
徳川を 二度打ち破る
史実にて 名将名城 国の史跡
(反歌)千曲川 上田城の 堀として 備へに固く 時に水害
上田交通別所線で別所温泉に行った。昨年の台風により、上田と城下の間はバス代行輸送だ。別所方面に向かふときは、バスの送りを見込んでダイヤを組んであるので、城下駅で電車の発車までかなり待たされる。上田方面の時は、待ち時間はほとんどない。
温泉が 終点の電車
乗る前の 一駅だけが
上田バス 去年の水害
千曲川 復旧工事が
終はるまで 一駅先で
乗り換へる 三十分で 温泉に着く
(反歌)上田バス 十年前に グループを 離れたとは云へ 代行バスだ
私の記憶では上田交通だ。しかし実際の電車は上田電鉄と書いてある。上田交通の関係会社が上田電鉄と上田バスだと思ひ、調べたら事情が複雑だ。バス部門を分離のあと、上田バスを投資ファンドに売却した。二年後に、草軽交通と地元役員数名が株を購入した。
草軽交通は、上田電鉄と同じく東急グループだったが投資ファンドに売却し二年後に地元出資者数名が株を購入した。
駅前は 静かな雰囲気
商店や 旅館はないが
上り坂 上に銭湯
その近く 旅館が点在 温泉保養地
(反歌)駅前に 歓楽街と アーケード 無いが保養の 温泉が湧く
別所温泉では、温泉街を見たあと、銭湯に入った。150円で安い。男湯は私以外に三人入浴中だった。女湯は話し声から、複数の入浴客がゐた。露天風呂も男湯の先にあり(女湯にもあると思ふ)、これにも入った。
最近、保養地と云ふ言葉を聞かないが、今回の記事を書くため調べると、リゾートが保養地のことださうだ。リゾートと云ふと、保養地に娯楽施設を加へたものを連想する。保養地のほうがよい。
温泉の 湯質を問へば
別所の湯 透明にして
硫黄泉 山の向かうの
浅間の湯 透明で湯華(ゆばな)
あるものの 単純泉で 逆の現象
(反歌)近年は 鹿教湯(かけゆ)が知られ 湯治場(とうじば)の 印象あるが 単純泉だ
美ヶ原の松本側は浅間温泉、上田側は別所温泉が、二つの都市の奥座敷だった。ところが国道254号が整備され、自家用車が多くなると、鹿教湯温泉が湯治場として脚光を集めた。
浅間は単純泉だが湯華が混じる。別所は硫黄泉だが湯華が混じらない。鹿教湯の単純泉は、今回の記事を書くために調べて初めて知った。単純泉や透明の硫黄泉が、単なるお湯だとするのは間違ひだ。たくさんの成分を含む。

十月七日(水)
昨日の夕方家に帰ったあと、母に上田交通に乗ったと云ったが、判らなかった。千曲自動車か、と云ふ。上田電鉄と云ひ直しても判らない。
本日、会社から帰宅の後に、上田丸子電鉄と云ふと「丸子電鉄か」と合点が行った様子だった。上田は都市名だが、私鉄名としては印象に残らない。丸子だと印象に残る。
大人の休日倶楽部パスについて思ふことは、かつての均一周遊乗車券に似てゐる。一般周遊券が周遊指定地を二ヶ所以上周るのに対し、均一周遊乗車券は目的地の周辺が乗り降り自由区間だった。
均一周遊乗車券の特長は、急行に乗れることだった。その後、特急が増えて急行が激減したため、衰退した。今の特急は、昔の急行と同じだ。私は均一周遊乗車券で急行に乗ったことがない。しかし今回、大人の休日倶楽部パスを使ってみて、かつて均一周遊乗車券を使った人たちはこんな気分だったのか。(終)

和歌十九その二

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