一四五、私が二番目にうるさい男になった経緯

平成二十二年
十一月二十四日(水)「穏健派ホームページ」
当ホームページは穏健派を自負している。だから「日本における社会主義への道・平成版」でも「企業別組合を禁止し同一労働同一賃金を確立すべきだ。そして企業別ではない本当の労組は失業対策にも目を向けることだろう。これだけでも日本の社会主義は達成できる」と穏健な主張をしている。

強硬派に見える理由が、先日の日本航空のニュースを見てわかった。日本航空は会社更生法の適用を申請して倒産した。希望退職が目標に足りず三百人を解雇することになった。二つの労働組合がスト権投票を始めた。ニュースはこのような内容だった。
日本航空の従業員は単独で一万五千九百四十三人、連結で四万七千九百七十人。このうちの三百人だから単独で1.9%、連結で0.6%。これに対して中小企業はどうか。私の勤務する会社は従業員が四百名。倒産したわけではないのにここ二十年ほど退職勧奨や実質解雇で三百人は辞めただろうか。自己都合退職はこれ以外に千名はいるだろう。このような状態に長く勤めていれば、だんだん主張が過激になる。

十一月二十七日(土)「アメリカ」
私は本来は知米派であった。反米になった一番目の理由は船橋洋一の英語公用語である。更にもう一つ理由がある。私の勤務する会社は或るアメリカ系コンピュータ会社と取引が多い。この会社は中型コンピュータで有名だったが、パソコンの台頭とともに地盤沈下がずっと続いている。そして組織の切り売りや退職勧奨が十五年間続いている。
あろう事か私の勤務する会社が真似を始めた。外資系は給料が破格だが解雇も多い。もちろん日本の労働法規は守ってもらわなくてはいけないが、労使ともに暗黙の了解がある会社が多い。私の勤める会社は日本の中小企業で給料は安いのに、退職勧奨や実質解雇はアメリカ並みに多い。アメリカの真似をしてはいけない典型である。経営側は都合のよいところだけを真似をする。

十一月二十九日(月)「経済団体は日本の恥だ」
日本の経済団体は世界の恥である。まず二酸化炭素削減に反対する。労働者派遣に賛成する。消費税増税を狙う。すべてアメリカの猿真似である。

アメリカの真似をするのだったら大企業の年功序列の経営層には退陣していただかなくてはならない。企業別労働組合との癒着は許されない。談合は許されない。下請けの利用も許されない。勲何等とかをもらって喜んでいる老衰者も許されない。
一昨年の年越し派遣村騒動を見よ。経済団体は社会のことをまったく考えていない。しかも二酸化炭素問題で地球を亡ぼす。地球の癌細胞のところまでアメリカの真似をしなくてもいい。

十一月三十日(火)「新しい制度は力のある側が得をする」
成果主義が日本に導入されて十年以上を経過した。この制度の欠点は配属先や仕事内容は会社が決める。それでいて成果で評価される。私の場合も新しい配属先でがんばろうとすると半年か一年で横槍が入って別の部署に転属となる。思想や信条で差別するからこういうことになる。だから中労委にまで進んでしまった。
新しい制度はまず力のある者が有利になる。長い年月を経て平衡に達する。それまでの間に儲けてしまおうというのが西洋近代社会の本質である。

十二月二日(木)「ゆとりを失った日本人」
今から十年ほど前だろうか。まだ小さかった子供を連れて散歩をしていて、郵便ポストの前にいるとちょうど郵便局の職員が収集に来た。子供が何か一言話すとその職員もにこにこして何か答えた。話の内容は忘れてしまったが、郵便局にはまだ心のゆとりがあるのだと安心したことを憶えている。民間ではゆとりを失っていたから日本にまだゆとりが残っていたことに安心したのであった。
民間がゆとりを失ったのはプラザ合意の急激な円高からである。円高を抑えるには、長時間残業をやめることだ。これで失業者も吸収できる。
ゆとりを失った元凶は経済団体と自民党長期政権である。せっかくの民主党政権なのに菅直人はなぜこれを是正しないのか。

十二月三日(金)「不平不満は改革の原動力」
明治維新は下級武士たちの不平不満が原動力となった。既得権勢力に改革をやらせても骨抜きや都合のいいように変えられてしまう。数ヶ月前の消費税増税騒動がいい例である。
当ホームページも不平不満が原動力となっている。まず船橋洋一の英語公用語である。船橋が発表しただけならかまわないが、他の勢力と予め示し合わせていて首相私的懇談会や中教審や文部科学省まで連動したため、今に至るまでホームページで批判を続けざるを得なくなった。
二番目にソフトウェア業界の使い捨て体質である。今から十七年前に今の会社に入った直後に、五十代後半の総務部長が突然営業部に転属させられ数ヵ月後に退職した。だれもが嫌がらせ退職だと判っていた。五十代後半で再就職先はあったのだろうか。似たようなことは入社後に私もたびたびやられたが、特に平成一五年末がひどかった。当ホームページには変換点がある。このときまでは三ヶ月に一回ページを追加していたがこのとき以降毎月になった。アメリカの属領状態と中小企業の使い捨て体質を言論で改善しようと決意した。ここでも不平不満が原動力となった。

十二月五日(日)「社会全体に責任を持て」
私自身は派遣労働者ではない。社内にも派遣労働に従事する人はほとんどいない。それにも係らず派遣に反対するのは、派遣は社会を破壊するからだ。こんなことは少し考えればわかる。
経済団体と政治家と大労働組合には、自分のことしか考えないクズのような連中が多い。(完)


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