千四百三十九 釈尊在世時と入滅直後の違ひ
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
六月四日(木)
タイやミャンマーの国民は間違へないが、日本人が間違へさうなことに、釈尊在世時は瞑想修行の集団だったのに、入滅後は釈尊を拝む(仏像礼拝、読経、お供へ)集団になったと思ってしまふことだ。
もし釈尊在世時に瞑想集団だったなら、入滅後は瞑想法だけが伝はり、釈尊の名は伝はらなかっただらう。たとへ名が伝はっても、それは瞑想指導者としてだったに違ひない。アショーカ王の時代に(或いは、現代に至るまで)戒律と経典が伝はったことは、釈尊在世時に瞑想集団ではなかった根拠となる。
瞑想は、修行の手段である。目的ではない。ここを間違へると、一部の日本人に見られるやうに、瞑想で行き詰まったり、仏道に違反した新しい瞑想法を主張するやうになる。
ここで「仏道に違反した」を入れた理由は、新しい瞑想法がタイやミャンマーで現れたとしても、それらは仏道の範疇だ。過去に同じ種類の瞑想をした人がゐたはずだ。

六月五日(金)
釈尊入滅の後は、経典を後世に伝へることは、僧団の重要な役割になった。比丘や比丘尼が重要な役割を果たすことは、善い結果を生むための原因となる。阿羅漢に近づくことにもなる。
つまり釈尊入滅の直後に、経典を覚えることは、戒律を守ることと、瞑想をすることと並び、阿羅漢に近づくことの一つになった。

六月六日(土)
日本人の間違へやすい二番目に、上座の仏道は自力修行だと思ふことだ。自力とは、例へばランニングをして健脚になった。これは自力だ。同じ感覚で、瞑想をすれば心理学から見て向上し、その最高位が阿羅漢だ。かう考へてしまふと、これは仏道ではない。
仏陀の説法された方法で修業すれば、前世からの因縁や本人の熱心さなどで、上は阿羅漢から下は天界、人間界まで違ひはあるものの、現世或いは来世以降で行ける。これが仏道で、つまり自力ではない。

六月十二日(金)
戒律は、釈尊在世時から今に至るまで、ほとんど変化しなかった。上座部が二百二十七戒、法蔵部が二五〇戒など、基本部分は同じだ。
と云ふことは、新月と満月の日に行ふ布薩(ウポーサタ)も、ほとんど変化しなかった。布薩を行なふ戒壇もほとんど変化しなかった。
この歴史の流れに乗ることが大切だ。私は「仏道」の言葉を用ゐる。昔は普通に使はれたが、今は「仏法」「仏教」が使はれる。後の二つを使はない理由は、一つには宗教対立を避けること、二つには邪悪な連中による「小乗仏法」「小乗仏教」の語を使はせないためだ。
上座の仏道は、歴史の流れに乗るのだから、歴乗仏道と呼んでもよいくらゐだ。

六月二十日(土)
自力ではないが、他力でもない。これが仏道ではないか。判りやすい例を挙げると、自力とは徒歩だ。他力とは公共交通だ。仏道は自家用車だ。そして運転法は、ブッダが既に教へてくれた。
仏道を忘れて瞑想だけに興味を持つと、それは徒歩になってしまふ。その逆で、拝めばご利益(浄土に生まれることを含む)があるとするのは、他力だから公共交通だ。
ただし仏道でも、比丘を支へることで、来世に天界など良い処に生まれることを願ふことは伝統的な方法で、これは半分他力だ。半分自力としたのは、比丘に供養する原資は自分で働いたものだ。働かずに供養したのでは、完全に他力だからご利益はないだらう。専業主婦は家事で働くし、年金受給者は過去に働いたし、障碍者や失業者は社会が働いた原資を回向するから、もちろんご利益はある。

六月三十日(火)
大乗の仏道も、浄土教、僧X系、密教系を除いて、他力ではない。その浄土教、僧X系、密教系も、阿弥陀仏やX経やタントラを用ゐる瞑想だと気付けば、他力ではない。(終)

固定思想(二百四十六)固定思想(二百四十八)

メニューへ戻る 前へ 次へ