千四百三十七 新河岸水再生センター、アルピコ交通、日本製鉄
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
五月二十五日(月)新河岸水再生センター
自転車小旅行を二日連続で行った。二日目は道を間違へて一箇所寄らなかったので時間が余った。そこで新河岸水再生センターの前まで行った。
かつて浮間下水処理場と呼ばれた。下水の処理には昭和五十年頃には、名称は不確実だが、普通処理と高度処理があった。
普通処理は、ゴミなど固形物を除き、沈砂池で砂など重いものを沈め、沈殿池で溶けた個体を沈めた。欧米など川の流量の多い国は、これが普通の下水処理方法だった。排水はBOD100ppmくらいか。河川水で20倍に薄まれば、魚が棲むこともできる。
高度処理は、下水処理で繁殖した微生物の塊(活性汚泥)を返送して下水に加へ、空気を混ぜ続ける。すると活性汚泥が下水中の汚物を吸着し微生物は増殖もするので、沈殿池でこれを沈め、上澄みを放流する。活性汚泥は一部を返送し、残りは脱水して焼却する。
処理水はBOD20ppm以下で、河川水で4倍に薄めれば魚が住める。20ppmは上限で、実際には10ppm以下なのでそのままでも汚水に強い魚は棲息できる。
浮間下水処理場は普通処理で、日本では別名を前処理とも呼んだ。隣接して新河岸下水処理場を建設中で、これが完成すれば、高度処理が行なはれる。
以上は当時、東京都発行の書籍に書かれた内容だが、一冊だけ板橋区の工業地帯からの排水は汚染がひどいので、二次処理が必要で新河岸下水処理場を建設中と書かれたものがあった。これは下水処理場の区分と比べると正確ではないが、判りやすい解説として、問題になる内容ではなかった。
今回自転車で新河岸水再生センターの前を走り、帰宅後にホームページで調べると、次の記述があった。
この水再生センターの前身である「浮間処理場」は、隅田川汚濁の最大原因といわれた新河岸川を浄化するため、同川周辺にある工場の排水を共同処理する目的で建設されたもので、いわゆる工場排水の前処理施設として昭和41年に運転を開始しました。
その後、工場地帯の排水に加え、住宅の多い練馬、板橋、杉並区の大部分と中野、北、豊島、新宿区の一部地域の下水処理を開始することになり、昭和49年に「新河岸処理場」と名称を変え、平成16年度からは「新河岸水再生センター」になりました。

浮間下水処理場は、生活排水も処理したから、決して工場専門ではない。当時の二次処理がない処理場は今の感覚ではあり得ないので、このやうな表現になったと理解してゐる。
今では、二次処理後の窒素やリンを除去する処理を高度処理と呼ぶやうになった。また浮間水再生センターが新河岸水再生センターから離れた場所にできて、処理を分担するらしい。

五月二十六日(火)アルピコ交通
自転車小旅行では、まづ一日目の往路で、国道17号沿ひに「アルピコ交通」の看板を見つけた。帰宅後にインターネットで調べると、アルピコ交通東京株式会社で、五年前に設立。本社営業所は板橋区東坂下、江戸川営業所が江戸川区北葛西。
親会社のアルピコ交通株式会社は、本社の下に支社が3つ。
長野支社は長野営業所と白馬営業所。これは元の川中島自動車だらう。
中南信支社は松本営業所、新島々営業所、上高地営業所、茅野営業所。茅野営業所は諏訪自動車。残りの全ては松本電鉄だ。中南信支社と松本営業所は、本社と同位置にある。
大阪支社は大阪営業所。
連結子会社でアルピコ交通東京。
Wikipediaに
本社・諏訪支社・長野支社・東京支社を置いていたが、東京支社は2015年4月1日にアルピコ交通東京株式会社として分社化されている。大阪へは2016年6月1日にアルピコ交通大阪株式会社を子会社として設立した後、2019年4月1日に吸収合併し、アルピコ交通大阪支社とした。

とあるので、東京支社がどこにあったのかインターネットで探しても判らない。
東京支社に東京営業所を板橋区に作ったあとアルピコ交通東京株式会社だから、板橋区に支社があった訳ではない。昭和50年頃だらうか、丸ノ内線新宿駅の北側南側改札中間の地下商店街に、松本電鉄の案内コーナーがあった。ここはパンフレットの配布だけで、切符の販売は行ってゐなかったと思ふ。
高速バスが新宿を発着するから、乗務員の休憩所と点呼などをする場所が新宿駅周辺にあったはずだ。或いは京王バスとの共同運行だから、京王バスの営業所で点呼を受けたのか。
平成13年の「ALPICO GROUP 松本電気鉄道株式会社」時刻表がある。電話番号は、変更があって民家に間違ひ電話があるといけないので、黒塗りにした。

鉄道電話が載るのは注目すべきだ。東京都交通局では、「緊急電話」と呼び、交通局(有楽町)、電車部の営業所、派出所、ポイント切替塔、運転指示を出す部屋、道路沿ひ、交通会館(錦糸町)、都営地下鉄の駅、車庫などに設置され、自動車部の営業所でも路面電車が近くを走るところには設置された。
松本電鉄も鉄道関係にはあったはずだがこれは公開せず、JRの鉄道電話は本社に一本加入してゐる。これは災害時に鉄道内部で完結するためだらう。NTTでは、不通になったら対応できない。
あとTELEXがある。TELEXが国内から廃止される前年だ。
東京事務所はOF西新宿ビル4階。不動産サイトによると小さなビルで、一階は商店だ。四階は坪数26.46坪。竣工1993年。同面積が同程度で近所のビルの参考レイアウトだと、机が向かひ合はせ2組(つまり4列)で、1列が3つなので12個。他に打ち合わせコーナーが4人用と2人用。室内に男女別トイレと洗面調理台。これだと普通の事務所なので、発券など来客コーナーを設けたか。
周囲を含めた都市計画で、一昨年に大きなビルが建った。私の勤務する会社から歩いて3分のところだ。

五月三十日(土)日本製鉄
新河岸水再生センターの手前に、昭和五十年代の雰囲気を残す工場がある。帰宅後に地図を見ると日本製鉄だ。おそらく昔の新日鉄だらうと調べると、新日鉄住金が昨年改名した。板橋区舟渡の工場は君津製鉄所東京地区と名乗る。更に調べると日経新聞2018年3月の記事に
新日鉄住金、君津製鉄所東京地区の鋼管ライン休止 和歌山に移管

の題で
新日鉄住金は君津製鉄所東京地区(東京・板橋)を閉鎖する方針を固めた。機械や建設用などの鋼管(パイプ)を製造してきたが、和歌山製鉄所(和歌山市)に集約する。(中略)休止するのは油田・ガス田の掘削や機械の配管、建設などに使われる「シームレス(継ぎ目無し)鋼管」の生産ライン。人員削減はせず、配置転換などで対応する。2日に公表する2019年3月期から3年間の中期経営計画に盛り込む。

住金からは、中高年受け入れで来た人が後に、私の勤務する会社の社長になった。と云っても株の過半数は会長が持つため、あまり権限は無かったが。その人の鹿島製鉄所時代の同僚が、或る都立特別支援学校の就職コンサルタントをしてゐる縁で、私が特別支援学校でコンピュータのセキュリティを教へた。今となっては懐かしい思ひ出である。

五月三十一日(日)アルピコ交通の補足
アルピコ交通について解説をすると、松本電鉄は松電ストア、松電自動車学校など幅広い事業に進出し、更に諏訪自動車を昭和38年に子会社化した。
川中島自動車は昭和58(1983)年に倒産し、松本電鉄の子会社になった。1992年に松本電鉄グループはアルピコグループと名乗る。2007年にアルピコグループは八十八銀行に対し私的整理ガイドラインによる支援を要請し、債務放棄、減資、オーナー一族を含む取締役は全員退陣などが行はれた。
2011年松本電鉄に川中島バス、諏訪バスを合併し、アルピコ交通株式会社になった。
以上は、インターネットで検索できる情報だが、それ以外に下記がある。
  1. 松本電鉄は、昭和25年瀧澤知足に乗っ取られた。それまでの社長はいい人だった。瀧澤知足は社長室で机の上に靴を履いたまま足を乗せた。(以上、五十五年くらい前に母の話)しかし瀧澤知足は、悪い人ではなかった。(昨年、母の話)
  2. 瀧澤知足は昭和三十年代以降、事業を幅広く展開したから、経営能力は優秀だったのだらう。次の社長になった瀧澤至も、長野地裁から川中島自動車の管財人に選任され、更生計画では10年掛かるはずだった債務返済を6年半で終了させた。
  3. 路面電車の浅間線は、学校前まで併用軌道で、左折したあとは専用軌道だった。昭和39年に廃止した後に、専用軌道は未舗装の松電バス専用道路になった。土の下に砂利が顔を出し、当時は砂利を敷いて土に凹凸ができるのを防いだと思ったが、今思へば軌道の砂利の上に土を敷いたのだらう。
    今で云ふBRTに近いが、松本と浅間温泉駅以外に駅舎はなかった(と思ふ)。路面電車時代の、長椅子に屋根と壁の付いたものは幾つかの停留所に残った。散水車がときどき出動した。
  4. 松本電鉄が2007年に私的整理の前は、松本バスターミナルから浅間温泉まで、新町経由の浅間線が15分に1本、横田経由の新浅間線が20分に1本あった。瀧澤一族が退陣の後は、浅間線と新浅間線が交差する地点(運動場前と下浅間の中間。今は浅間温泉入口と云ふバス停)までを松本バスターミナルから接続して循環線(横田信大線と逆回りの信大横田線)を新設し、浅間温泉入口から先は浅間線が1時間に1本、新浅間線は平日のみで2.5往復にまで激減した。
    今まで浅間温泉を優遇したのは、瀧澤一族が浅間温泉に住んだからではなく、松本電鉄は島々までの鉄道と、浅間温泉までの軌道が発祥のため、それを抜けられなかったためだらう。
  5. 瀧澤知足は、松本電鉄に来る前は、塩尻でタクシー会社を経営してゐた(今年、母の話。昨年から母の話は、間違ひが多くなったので、信ぴょう性が下がる)。(終)
  6. 追記六月十三日(土)松本から塩尻峠を経由して諏訪までのバスは、主要路線だったのだらう。今は廃止されたが、中央線に塩嶺トンネルが出来て、岡谷から塩尻まで短絡したためか。
    主要路線と判断した理由は、母の話として、夏になると上高地案内所に勤務した(五十年前の話)、或いは諏訪にも勤務した(今年の話)。諏訪に応援に行くくらいだから、主要路線と想像したが、或いは祭りや花火大会などイベントがあったためか。
    バスの塩尻峠と、鉄道の塩嶺トンネルは別の場所だと長年思ってゐたが、インターネットで調べると塩尻峠を地元では塩嶺峠と呼ぶらしい。

追記六月六日(土)高速バス運行再開
首都圏や関西圏への緊急事態宣言が解除されて十二日が経過した。他のバス会社は即日高速バスを再開したところも多かったが、アルピコ交通は本日から一部を再開した。しかし千葉線(東京ディズニーリゾート系統、成田空港系統)、大阪線は運休が続く。松本名古屋線は一日から一部再開し、本日からは増便。長野名古屋線は運休。

松本電鉄の古い時刻表

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