百三十六、元「自民、社会、民社の三党」対「悪魔の思想リベラル」(その五)

九月二十六日(日)「民主党リベラル派が対中関係を壊した」
リベラルの最大の欠点は欧米崇拝にある。特にタカ派リベラルはアメリカに頼ってアジアを見下す。ここ二十日ほど中国人船長の逮捕を巡って中国と関係が悪化している。前原氏は民主党内で最も親米反中の強い人である。その人が国交相のときに海上保安庁の巡視船と接触事故が起きた。これだけでも中国は疑心暗鬼になる。その前原氏を騒ぎの最中に外相にした。これでは中国が怒るのも無理はない。立場を逆にすればわかる。日本人が対日強硬派閣僚の省庁に逮捕されたとしよう。外交問題になっているときに対日強硬派閣僚が外相に横滑りした。日本の大手新聞はここぞとばかり対中強硬論を書き立てるであろう。
そもそも大臣の横滑りは自民党時代の悪習でよくない。今まで国交相として経験を積み官僚とも人間関係を築いてきた。それを外務省に回したら一からやり直さなくてはならない。重大な外交問題が起きているときに岡田が後任に前原を指名するからこういうことになる。
今回の騒ぎで損なわれたのは日中関係だけではない。尖閣列島の実効支配が危うくなった。菅や前原はアメリカに頼って中国に強硬に出ようとしたのであろう。それが裏目に出た。アメリカに働きかけるのは日本だけではない。中国だってアメリカに働きかける。アメリカは中国と日本を天秤に掛ける。アメリカだって小さな無人島のことで中国と関係を悪化させたくない。
今回の事件で尖閣列島の実効支配が危うくなったら、菅政権の責任は重大である。

九月二十七日(月)「民主主義と多数決」
民主党の岡田幹事長が「中国が民主主義国家でないことはみんな分かっているが、そのことがあからさまになってしまう」と発言した。これはよくない。独裁者がいるときに民主主義を叫ぶのはいいことである。しかし日本にも中国にも独裁者はいない。
韓国は少し前までは独裁だった。今は選挙で大統領を選ぶが、その度に前の大統領が逮捕されたり自殺したり混乱を伴う。台湾も少し前までは蒋介石親子による独裁だった。アメリカだって先住民が多いときには選挙はやらなかった。選挙権も与えなかった。各国には各国の事情がある。選挙を行うかどうかで世界を二分するデジタル思考はよくない。
日本でこのようなデジタル思考をする人たちの魂胆は判っている。欧米の仲間入りをしたいということだ。アジアで唯一列強の仲間入りをしたという戦前の発想と変わらない。

日本に於いては、民主主義は大切だが多数決は合わない。取締役会も理事会も町内会もPTAも労働組合も、自由に発言したあと、それならこうしたらどうですか、という流れになって皆が賛成してそれに決まる。これが日本には一番合っている。日本に合わないことをしたから戦前は戦争を引き起こし、戦後は自民党の長期政権が続いた。実際には自民党と社会党が裏取引で落とし所を見つけていたのだが。
りんごが木から落ちるのと同じく、人間は堕落する。黙っていると決定権者どうしの馴れ合いになる。それを防ぐために政権交代は必要である。多数決の頻度をどこに取るかで、欧米流、日本式、中国式などいろいろな民主主義がある。
欧米流の民主主義を叫んではいけない。それではアジアは先祖の文化と不連続になる。各国は各国の意思で独自の民主主義を築くべきだ。また新しい制度は平衡に達するのに時間がかかる。その間に弱者が犠牲となる。だから欧米の真似はいけない。日本の労働者派遣法と年越し派遣村騒ぎはいい例である。

九月二十八日(火)「自由と市場経済」
独裁者のいる国で自由を叫ぶ事は尊い。自由なのに自由を叫ぶには下心がある。まずは昨日の民主主義と同じく欧米の仲間入り願望である。欧米が帝国主義のときには帝国主義を真似し、欧米が自由経済のときは自由を叫ぶ。日本人の頭は鹿鳴館の時代から進歩が止まった。
民主党代表選で菅氏当選の功労者は新聞社である。読売は社長が拝米、朝日と毎日は主筆が拝米。産経は拝米偏向がひどくてもはや新聞とは言えない。これでは日本の社会はおかしくなる。新聞は市場経済の枠外にある。まず新聞社の分割、新聞と放送の分離、地方紙の複数化が必要である。市場経済の枠外にいるものに限って自由や市場経済を叫ぶ。
世界の国々を市場経済かどうかで二分するデジタル思考はよくない。日本にも新聞や大都市の鉄道や弁護士や官庁のように市場経済ではないものが多い。その一方で自由主義ではないと欧米にレッテルを貼られている国々にも個人商店など市場経済はある。どちらも程度の問題である。

自由主義とはすべてを見えざる神の手に委ねるということだ。神の手は見えないのではない。ないのだ。神様が人間の貪欲で地球を破壊する経済活動に手を貸すわけがない。自由主義ほど恐ろしいやり方はない。弱者は滅び、強者は次の弱者となり、世界は永久に大きな変動を繰りかえす。そうならないために政治と文化がある。それが人智である。
独裁者がいないのに自由主義を叫ぶ。そのような者は悪魔の手先である。

九月二十九日(水)「再配分機能」
アメリカの猿真似で、日本の政策論争は大きな政府か小さな政府かというレベルに留まるようになった。税金の再配分機能に注目すれば、大きな政府は再配分が高まる。だから再配分論争でもあった。
しかし突然菅政権が消費税増税、法人税減税を言い出した。これは税金の再配分機能を小さくするから、たとえ大きな政府の政策を実行しても所得格差は広がる。
民主党政権が誕生したときに経団連と仲が悪くなった。菅政権になった途端によくなった。菅政権は経団連の代弁者になってはいけない。それでは自民党時代と変わらない。

本物のリベラル(民主党凌雲会)と自称リベラル(元社会党、民社党の菅直人支持派)には、上昇志向が強いという共通点がある。自称リベラルの場合は議席を守りたいという消極的な上昇志向ではあるが。辻元清美が民主党会派に入ったというニュースが先日流れた。辻元も消極上昇志向に転落した。
羽田氏や小沢氏や鳩山氏など自民党離党組は立派である。与党を蹴った。それに比べて民主党凌雲会と自称リベラルにはがっかりである。

九月三十日(木)「日中友好」
先の戦争について中国共産党が、日本人民と軍国主義を分けて、日本人民も軍国主義の被害者であったと述べたことは、日本にとっては暖かく友好に満ちたありがたい言葉である。
国際間ではこの定義を堅持し、一方で国内では国民にも戦争の原因があることを追求する必要がある。原因は三つに分類できる。 三番目の道徳心の欠如は敗戦直後に心ある人々の間で言われた。リベラルと呼ばれる連中はこの三つの欠点を引き継いでいる。タカ派リベラルは新自由主義とグローバリズムを叫び、ハト派リベラルは進歩を叫び、どちらも公益を無視する。道徳心を無視するといってもよい。道徳心は一朝一夕にできるものではない。そこに伝統文化がある。
リベラルは選挙を実施しないアジアの国々を批判する。西洋から見れば不完全ではあっても選挙を実施しようと北朝鮮を除いてどこの国も努力している。この努力をリベラルは優越感で見るから無視する。
リベラルが三つを引き継ぐのは上昇志向が強いからであろう。北朝鮮では金正日の三男が権力を世襲することが昨日明らかになった。共産主義が堕落するとああなる。日本の国会議員が堕落するとリベラルになる。


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