千三百七十三 インターネットで見つけた日本人比丘三人の話題
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
十月五日(土)
インターネットでよい記事を見つけた。上座部仏教修道会で比丘になった日本人の話だ。ニャーヌッタラサヤドーにお会ひし
ミャンマーに行きたい気持ちがあるならば先に行ってきた方がよいだろうといわれ、1年半ほどミャンマー各地の瞑想センターに滞在し、(中略)指導されている長老方は素晴らしい方ばかりでしたが、日本でニャーヌッタラ長老に師事したいという気持ちは強くなる一方で帰国して間もなく浄心庵を訪れ、再度弟子入りをお願いいたしました。しかし、すぐには出家の希望は受け入れられませんでした。
長老は「今すぐにはできません。段階的に勉強したあとがいいでしょう。(中略)在家信者、見習出家、比丘出家の3つの段階があります。(以下略)
これはいい話だ。瞑想だけが目的でミャンマーで出家し、帰国後数年してミャンマーの仏道を批判する立場に転じる人が多い。出家は最大の目的だ。それなのに出家と瞑想の順位が入れ替はる。これが諸悪の根源とみた。だから三段階を経ることはよい方法だ。
在家の段階は先ず三帰依と五戒から始まります。(中略)そして、私は浄心庵で三帰依と共に八戒を守る在家修行者として生活することになりました。(中略)ミャンマーの在家者は必ずこの八戒を備えて瞑想修行することになっています。
在家も修行をするのに八戒と云ふのは、貴重な情報だ。
戒律を備えて台所仕事の手伝いや清掃などの作務を行いながら毎日を送っていると感覚器官がしだいに澄んできて心身ともにとても軽く楽になります。眼耳鼻舌身意の六感がいかに過度の粗悪な刺激によって汚れ、疲れていたのかよく分かりました。欲から離れると心が安らぐ。これは私にとって新しい発見でした。また戒律を守るという決意が確固としたものになるに従い瞑想中の妄想思考が激減し瞑想実践はとても容易になっていきます。
これも貴重な情報だ。
こうして、2007年8月19日、浄心庵で見習出家儀式を迎えることになり、ニャーナーローカという出家者としての名前をいただき晴れて見習出家となりました。(中略)比丘出家になると台所に入ることができなくなるというので、見習出家の内に長老を始めとして浄心庵の修行者の食事のお世話を短期間ですが、させていただくこともできました。(中略)見習出家となってから2年が瞬く間に過ぎました。ニャーヌッタラ長老は「これで比丘出家のための準備学習は全ておわりました。どうですか、比丘になりたい気持ちは変わっていませんか。」と問われました。私は(中略)あらためて比丘出家をお願いしたのでした。ニャーヌッタラ長老は私の決心を受け入れられ、ヤンゴンの僧院に国際電話をかけて比丘出家儀式のための準備を始められました。
その後の2009年1月5日に、比丘として出家した。2016年に還俗されたが、在家の修行者として開始してから長年に亘り、徳を積まれた。
私は二十年くらい前に、上座部仏教修道会会長の故竹田さんに一度お会ひしたことがある。竹田さんが云はれるには、ニャーヌッタラサヤドーの弟子となった日本人がゐたが、後に還俗し、サヤドーは大変な悲しみだったさうだ。三年前のニャーナーローカ比丘の還俗も、日本の上座にとり、大きな損失だったと確信したい。
十月六日(日)
スマナサーラ長老のところの比丘が、やはり三年前に還俗した。ここまでなら、ニャーナーローカ比丘と同じで美談だったかも知れない。ところがこの人は今年になって
さて、突然ですが、(中略)私(〇〇〇〇〇〇〇)は、昨日から〇〇如来(〇〇ブッダ)と名乗ること事に致しました。(中略)去年の8月15日に法の句を聞いた時は、自分は覚ったという解脱知見がありませんでしたが、今年の1月14日、あの難解な金剛般若経が解り始めて、1月15日には解ったと思ったのです。そして、自分は覚ったのだと、特殊な感動がありました。
またか、と落胆した。せっかく上座の比丘になっても、日本に戻ると自分がブッダになったなんて思ひ始める人が多くて困る。この男は三年前に
突然ですが、私〇〇〇〇〇はこの12月15日にテーラワーダ仏教の比丘を止めましたことをお知らせします。(中略)皆さまには、突然と思われるでしょうが、私のなかでは少しずつ心が変化していたのです。今もテーラワーダ仏教を否定するものではありませんが、テーラワーダ仏教の教理にも大乗仏教の教理にも捉われず、解脱をめざす仏教を追求していきたいと思っています。
私は、上座と大乗とすべての宗教は同じところを目指す、と主張することがある。しかし教義を混ぜてはいけない。上座を信じるときは上座、大乗を信じるなら大乗。混ぜたらあちこち選択して、自分に都合のよいものに改変してしまふ。
十月十二日(土)
もう一人2013年に還俗された日本人長老がゐる。この方は1996年ミャンマーのマハーシ冥想センターにて比丘出家。熱心な方だが、私と意見の相違がある。
日本ではパーリ経典や註釈より文献学者の言葉を信じる人が多いのには驚きます。
私はテーラワーダ仏教原理主義者ではありませんし、経典などが無謬だとも思っていませんが文献学者の解釈より註釈者の解釈を優先しています。
ネットで検索していたら宮元啓一先生の非常に分かり安く説明されている記事を見つけました。(中略)『仏教かく始まりき----パーリ仏典『大品』を読む』春秋社、2005年11月
のはじがきに
■複数の文献に共通する部分は成立が古い、という文献学の常識について
■韻文は成立が古く、散文は成立が新しい、という文献学の常識について
私が宮元さんの著書を読み、納得できなかった二つを、この方は賛成してゐる。もちろん複数の文献に共通するから古いとは限らないし、韻文が散文より古いとは限らない。しかしそれは例外だ。ほとんどは複数に共通すれば古いし、韻文は散文より古い。
根本は、この方の
日本ではパーリ経典や註釈より文献学者の言葉を信じる人が多いのには驚きます
が私と異なる。この方がまだ比丘のときの発言だが。まづ、長年続いた伝統は尊重すべきだ。長年続いた伝統を無視して、経典や特定の古文書に直結することは原理主義であり、避けなくてはいけない。しかし長年続いたパーリ経典や註釈は、まづ尊重すべきだ。
次に、そのパーリ経典や註釈が二千五百年間どれだけ尊重されたか。ミャンマー、タイ、スリランカ、ラオス、カンボジアの違ひもある。例へば経蔵は、ミャンマーでは尊重されたが、タイではあまり読まれなかったと聞く。
あまり尊重されて来なかったのに、経典や註釈にあると云ふだけで突然、厳守を始めればそれは原理主義だ。
次に、文献学の解釈は現時点では最も正しい。丁度、地下に地獄があるだとか、上空に天があると云っても、今の人は信じない。今の人は近代教育を受けたから、科学に反せずそれでゐて上座の伝統に従ふべきだ。
その一方で、文献学は確定ではなく、ゆらぎがある。例へば、大乗は大衆部から出たとする説がかつては有力だったが、後に仏塔を守る信者から出たとする説が有力になり、今はまた変はった。だからゆらぎで一喜一憂しないことが必要だ。
さてこの方は
二因か三因でまだご心配の方に参考までにミャンマーの大長老のご意見です。
レーディーサヤドー
勝義諦と世俗諦を分けて理解することができ、道・果・涅槃を求める意欲が強いと三因と思っていいのではないか。
ティッカ・サヤドー
サマタ瞑想をして似相(例:強い光などが見える)に達することができれば三因。
ヴィパッサナー瞑想において名色の生滅をはっきりと洞察することができる生滅智に達することができるなら三因。
このレベルに達していない人が心配すると思うので参考にあまりなりませんが・・・
モーゴッ・サヤドー
二因か三因かが分かるのは仏陀の領域なので、そのような分からないことを心配などする暇があればしっかり瞑想して、生滅智のレベルに達することができれば自信を持って自分は三因だと思って良い。
上板橋の滞在中のウ・オーバーサ長老に教えていただきました。
ありがとうございました。
ウ・オーバーサ長老って誰だらうとよく考へたら、オバササヤドーのことだった。上板橋ではなく中板橋だが。
ミャンマー文化福祉協会 MWCA
(地域住民との関係上、お寺とは呼んでいません)
宗教しかやらない団体はNPO法人として許可されないため、日本で生活するミャンマーの子供にミャンマー語を教へるなど、文化福祉活動もしてゐる。しかし宗教こそ本当の文化福祉だ。
ミャンマーで比丘は托鉢をして食事を得ているのですが、大学に通って勉強していると授業があり托鉢に毎日行くことができません。大学が休みの土日だけ行くのは難しいそうです。
授業がある日は大学の食堂でお布施がありますが、土日や祭日、試験前の休みなど授業がない日は自費で食事をしているとのことで費用が大変なようです。
そこで来年度2010年6月から食事のお布施として皆さんから個人的に頂いたお布施を国際テーラワーダ仏教布教大学(ITBMU)で大学寮以外に住んで勉強しているミャンマー人の比丘のために使わせて頂こうと思っています。(以下略)
これはいい心がけだ。
瞑想センターはお布施が集まりやすいのですが、教学を実践している学問寺は比丘の数も多く維持していくのが大変なお寺もあるそうです。
マンダレーの学問寺の一つにマソーエンという3000人ぐらい比丘たちが学んでいるお寺があるのですが、授業と住む場所は提供されますが、残りすべては自分で賄うそうです。
一方、今回お邪魔したサガインのミャセッチャ学問寺は250人ほどですが、信者さんが多く必要な物はほとんどお布施されるそうです。
長老にお伺いすると250人以上になると維持が難しくなるので希望者を選抜して選んでいるそうです。
これは貴重な情報だ。
2010年2月25日木曜日
訃報
藤川チンナワンソ和尚がお亡くなりになりました。
テーラワーダ仏教の比丘にないタイプの豪快さで広い層から支持を得ていた思います。
私がミャンマーで修行中、和尚がミャンマーに立ち寄った際には必ず会いに来てくれました。
メティラのお寺での日本語学習のためにご尽力なされて、日本語検定に合格した学生をご褒美に日本へ観光に招待するなど、日本への入国ビザの許可を取るのは大変だったと思います。
和尚の「日本にお釈迦様の教えを広げるには日本人の比丘がもっと努力しないといけない」という言葉を忘れずに、これからも自他の布教に励んでいきたいと思います。
ご冥福をお祈りしております。
昨年か一昨年に、故チンナワンソさんの書いた本を読んで、幻滅したことがあった。タイでの滞在期間を過ぎるときは一旦出国し、数ヶ月僧院訪問(観光?)をしてからタイに戻る話に、違法にではなくても法律の目的に反するし、お金のある人にしかできないからだ。しかしこの方のブログを読んで、再びチンナワンソさんを懐かしむやうになった。
山の頂上は一つ
宗教の世界で教えは違っていても、名前などが違うだけで真理は一つだと言う人がいます。
また登山のルートは色々あるが頂上に着けば同じだと例える人もいます。
この理屈で宗教戦争がなくならばいいのですが、現状はうまくいっていないようです。
宗教戦争なんて無い。近代の戦争は、産業革命で平衡状態が崩れたことの反動だ。唯一の例外がドイツの30年戦争だが、産業革命でカトリックの権威が低下したり、印刷技術がプロテスタントの発展を促したため、産業革命が原因と云へる。
次に、各地域の伝統は尊重すべきで、長い間にはその文化に合った人たちが多くなる。例を挙げれば、戦国時代には何世代かするうちに、それに合った人が多くなるし、江戸時代が長く続けば、それに合った人が多くなる。合はない人は子孫の人数平均が少なくなるからだ。
だからどの宗教が優れてゐるかではなく、その地域に長く続く宗教を信じるのが一番良い。
宗教を比較しなければ、すべての宗教は瞑想だと気付く。一神教から見た場合は、仏道は瞑想する一神を信じて実践する宗教だとすればよい。
もう一つすべての宗教の共通点がある。人間の思考には限界があり、それを教へてくれるものが宗教だ。
この方が還俗されたことは残念だが、人それぞれ事情がある。優婆塞(男の信者)として、仏道のため活躍されてゐると確信する。(終)
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