百三十六、元「自民、社会、民社の三党」対「悪魔の思想リベラル」(その四)
九月二十一日(火)「加藤紘一氏」
次に加藤紘一氏の「強いリベラル」という書籍を見てみよう。この本に書かれていることは九分九厘同意見である。加藤紘一氏は加藤の乱に失敗して以来、自民党内で飼い殺しとなっている。小沢派は加藤氏を自民党から引き抜いたほうがいい。
加藤氏のお父さんの故加藤精三衆議院議員は石原莞爾の従兄弟である。石原莞爾は満州事変の首謀者として評判が悪い。私も長年そう思っていた。しかし今年六月にあるきっかけで石原莞爾を調べてみると、実際には日中の平和のために尽力したことがわかる。そのため日華事変では参謀本部第一部長を更迭されている。石原莞爾は小ホームページでも取り上げる予定だったが、菅氏の消費税発言、官僚出向問題、元社会保険庁長官大使任命事件、代表選と続いたため遅れてしまった。
今年の夏は鶴岡市に三泊し、石原莞爾の生家跡、予備役となった後に住んだ高山樗牛の実家、その後に住んだ川沿いの家の跡などを見て回った。小沢派が加藤紘一氏を引き抜けばアジアの外交は磐石である。
九月二十二日(水)「おおやけ」
加藤氏は次のように書いている。
- それぞれみんな自分のことを考えるのは当たり前で、許されるのだけれども、中に一割か二割か、人によっては三割の「公」の部分を持っていないと、利己だけでは地域社会で生きていけない。
その「おおやけ」というのはそんなにたいしたことじゃない。みんなで集落の道路の草刈りをするときに、「いつもあの人は時間通りにきて率先していやな仕事をすね」ということであったり「神社の雪囲いするときとか、寺の墓地の掃除をするときには必ずくる」というようなこと。
- 弁舌爽やかというだけでは人がついてこない。とくにそのタイプが多いのは民主党だと思います。
まったくその通りである。前原グループ、野田グループに弁舌爽やかタイプが多い。そしてこのタイプはアメリカの猿真似が好きである。
- 人間のつながりと地域コミュニティを維持しようと必死の努力をしている人たちが社会の中にいる。(中略)一方で人をまとめるなんてことには気を遣わずに、自分の言いたいこと、自分の立場を声高に主張する人もいる。
- そういう(前者の)人たちが自民党を、日本の「保守」を支えてきてくれた。それで、自分の言いたいこと、自分の立場を声高に主張する人が得をする社会というのが、現在の自民党の主流派の政策となっている市場原理主義社会なのではないか。
これも賛成である。「おおやけ」の心を持ったのは社会党も同じであり、だから社会主義を主張していた。
今年の労組の臨時大会で私は、「昔は毎年春になると国鉄も私鉄もストで止まった。工場もストで止まった。工場の労働者も鉄道も商店の店員も学校の先生も皆、一体感があった。今は自殺者が多く社会問題になっているが、総評があったときは自殺者なんていなかった。そういう世の中にしよう。」と挨拶した。社会主義とは今とは別の体制ではなく労働者が農民、中小事業主を含めて連帯した状態のことであろう。だから総評の高野実事務局長の時代は社会主義であったと言える。太田薫の時代は農民、中小事業主が脱落したから半社会主義であろう。その後、労働組合は隠しベアや派遣法賛成など「おおやけ」の心を失ってしまった。自由主義である。
九月二十三日(木)「労働組合と地域社会」
- 地域社会にも「要求する側の人間」が必ずいます。それは自我と個益、自分の利益を主張していく人たちなのだけれども、日本の資本主義の発達の中で、そうした人たちが各地で労働運動や社会主義運動に結びついてきたという経緯がありました。
- 反対に小さいときから、「こいつはこの地域社会のリーダーになるだろう」ということを何となく周囲の人たちから期待されて育つ者は、どうしても控えめに、自分の主張を抑えがちになるのです。(中略)「将来はあの男にこの村を任せよう」いうような言葉を聞く。言われている当人もそれを直接間接に聞いているうちに意識してきて、農村で、農協青年部のリーダーになったり、(中略)町会議員になったり県会議員になったり、同時に代議士の後援会の青年部長になったりもした。
労働組合については同感である。企業別組合は自分の利益だけを追求する組織となる。労働組合は昔からあった訳ではない。しかし同じく昔からあった訳ではない資本主義が導入された以上、労働組合は必要である。中小企業の経営者と労働者の不利とならないように終身雇用と企業別組合の解体は「おおやけ」の心で見れば必要である。
地域社会のリーダーについて、加藤氏の主張を読むと一旦は賛成である。しかしよく読むと問題点が二つある。まず町会議員や県会議員に留まりなぜ代議士にはならないのか。そこに世襲という日本の政界の欠陥がある。世襲でも小沢一郎氏や加藤紘一氏のように立派な人はいるが全体の比率から見れば少ない。駄目な代表は阿倍晋三氏と菅直人氏であろう。菅氏自身は世襲ではないが息子を二回立候補させ二回とも落選した。
二番目に地域のリーダーから町会議員や県会議員になった先輩の姿を見て、自分もああなろう、と自分の主張を抑えた上昇志向の強い人間が出てくるおそれがある。これは労働組合でも同じで社会党を駄目にした。
九月二十四日(金)「小泉政権以降」
- 小泉政権以前と以降との決定的な断層、それはアメリカとの関係にあると私は考えています。それまで自民党は、田中派につながる人々が党の主流派であったために、日米関係を重視する一方で、アジアに対しても等距離でつきあってきました。
- 市場原理主義者といわれる人たちは何かにつけ「アメリカでは、アメリカでは」と繰りかえすけれども、アメリカにはアメリカで、やはり建国以来の精神的な原点というものがあって、それこそピストルを持って一人で馬に乗って荒野を渡り(以下略)
- 一九七〇年代後半からオランダは不況に陥り、大量の失業者をかかえ(中略)、政界、労働界、財界が合意して、これまで三人でしていた仕事を、四人に分割し、雇用を増やすということをしたというのです。
- 日本で採用するのは非常に難しいということもわかりました。オランダでは、そもそも、非正規雇用も正規雇用も、ほぼ賃金が同じだったのです。(中略)さらにオランダの場合、組合が日本のような企業別の組合ではなく、地域別になっており、非正規雇用者も加盟しているので(以下略)
- 日本では企業別の組合であり、その構成員も正社員中心で、全労働者に対する組織率は二割以下と低迷している。企業別でしかも正社員中心の労働組合では(中略)「パートの賃金を上げれば、我々正社員の賃金が下がる」と考え、均一化に反対することになる。
- 法人税率が今より高くて、今より激しい労働運動があったとき、日本経済は急速に発展していった。
今より激しい労働運動があっても日本経済が発展したのには二つの理由がある。一つは政財労の三者に緊張感があったことである。緊張感を失い三者が官僚化した。
二つには平均賃金が欧米と比べて低かった。今の日本を考えると労組の必要なところに労組がなく、労組の必要のないところに労組がある。そのため大企業の正社員の労組は既得権組合と化している。だから日本全体の平均賃金は高くても、我々は消費税増税と法人減税には絶対に反対しなくてはいけない。
民主党の代表選で旧社会、旧民社の議員で菅直人に投票した人に言いたい。国民が選挙で民主党に投票するのは大企業労組の組合員だけではない。未組織労働者や中小企業経営者など広範な国民が投票している。代表選で菅直人を支持したということは消費税増税派である。こういう「おおやけ」の心を持たない連中は国会議員から引きずりおろす必要がある。
九月二十五日(土)「保守とリベラル」
加藤氏は小泉政権以前の自民党を次のように称している。
- こうした日本の「保守政党」のあり方は、アメリカの政党政治に即していえば、むしろ「リベラル」と呼ばれる政治のスタイルの実践に他ならないと思うのです。
アメリカではその通りである。しかし日本ではリベラルと呼ぶべきではない。まずアメリカでもリベラルの定義は変化している。今では悪い意味で使われることが多いという。二番目にアメリカは移民と人種問題があり下流階級を切り捨てる社会である。三番目が一番重要だがリベラルとは自由のことである。封建社会で自由を主張することは尊い。現在の世の中で自由を叫ぶことは社会を破壊する。リベラルの欠点は公益を無視する。
保守という言葉も混乱している。保守とは社会のメンテナンスであり、そのため一つには伝統を守り、二つには弱者を切り捨てないことである。つまり拝米派、自由主義は総じてリベラルであり、昔の自民党と社会党と民社党と共産党は保守であった。
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