百三十七、アシストとビル・トッテン氏

平成二十二年
九月一日(水)「コンピュータ業界で一番発言をする男」
先日、アシストの営業が来てビル・トッテン氏の著書『「年収6割でも週休4日」という生き方』をいただいた。
日本のコンピュータ業界で一番多く発言する男は私であろう。古くは富士通労働組合の定期大会で多量に発言して一人だけ反対票を投じたことがある。他の中央代議員は全員が賛成票であった。当時国内で一番コンピュータの売上額が大きいのは富士通で、その労組で一番発言する。しかも初代連合会長は富士通の藁科か全電通の山岸か、と言われていた。もっとも他のメーカーにも発言する人はいるだろうし、富士通でも発言する人が中央代議員になるとは限らないが。

その後国会で、民主党の前原代表(当時)が、日米関係を壊そうとする人がいる、と小泉首相(当時)に質問し、小泉氏は、そんな人がいるのですか、ととぼけていた。あれは私のこととしか考えられない。その前に小泉氏の靖国神社での合掌問題も取り上げ、当時私は神社では合掌しようと主張していた。前原氏の問題点はそれより当時の露骨な親米姿勢にあった。その後良くなったが、菅政権誕生のときに日米関係重視を条件にしたことから、完全には直っていないのかも知れない。
そのようなことがあり、コンピュータ業界で一番発言する男を自認していたがもっと発言する人を忘れていた。それがビル・トッテン氏である。

九月二日(木)「消費税」
この本は消費税についても触れている。新規発行株以外の株の売買に一%の税金をかければ七兆円の税収となる。消費税引き上げを議論する前にできることはまだまだあります、とビル・トッテン氏は結論付けている。まったく同感である。

九月十七日(金)「消費税」
この本の題名だけ見ると一部の経営者は喜ぶだろう。一時帰休や解雇することなく人件費を四割削減できるからである。しかしビル・トッテン氏はそのように主張しているのではない。一番初めは給料はそのままで効率を上げて週休四日を提案した。しかし社員からは給料を下げていいから週休四日という希望が出たので、そのような制度を作った。そして市民農園を借りるなら費用を補助する制度も設けた。
日本の消費税増税、法人税減税に反対の理由は、外国の都合のよいところだけを取り入れようとすることだ。ビル・トッテン氏の題名だけを読んで喜ぶであろう一部の経営者と同じである。

十月一日(金)「リストラをしない会社」
アシスト社は今までに一回もリストラをしていないそうだ。これは立派である。アシスト社はソフトウェアの商社である。コンピュータ業界で一番多いのはソフトウェアの開発会社だ。十五年ほど前までは小さな会社でも自社製品を販売していたが、今では多重下請けと偽装請負と技術者使い捨ての業界になってしまった。諸悪の根源は派遣と偽装請負にある。景気が悪くなると元請けは自社の技術者を優先して使う。だから二次請け、三次請けと下に行くほど不景気が拡大する。下請けと派遣は法律で禁止すべきだ。

十月二日(土)「マイクロソフト」
ビル・トッテン氏も認めているが、これまでリストラをしなくて済んだのは大きな落ち込みがなかったためである。しかし今ソフト業界は業績が苦しい。そうなった原因にマイクロソフト社がある。この会社はよくない。 まずWindowsは欠陥OSである。OSとは管理者が何でもできなくてはならない。しかしWindowsはできない。
使用中にWindows Defenderやアップデートが勝手に起動することがある。そうなるとマウスがきちんと動かないからプロセスを消そうとしても消せない。優先度を変更しようとしてもできない。
OSの仕様が公開されていない。レジストリはアプリケーションが勝手にあちこち書き込むから手で直す場合にどこを書き換えるかわからない。次々に新バージョンが出て操作法や仕様が変わる。UNIXの仕様が昔から変わらないのとは大違いである。


ネットスケープ社というインターネットブラウザを開発した会社があった。ところがマイクロソフトが無料でIEをOSに添付したためネットスケープ社は消滅した。一太郎という日本語に適したワープロソフトがある。ところがマイクロソフトがWordを発売したために一太郎を開発したジャストシステムは買収された。NetwareもLotus123も同じ運命をたどった。

大学のコンピュータの教授や研究者はなぜこのことを言わないのか。日本の大学で政治経済とコンピュータの教授はほとんど世の中の役に立っていない。前者は拝米か欧米の学説を鵜呑み、後者はマイクロソフトに無批判だ。こういう役に立たない連中は引き回しの上、磔獄門にしたほうがいい。ちなみにファイルをコピーするときはコピーの上、貼り付け名前の変更を行うが。
開発はWindowsと.NETの単一技術に統合され、ソフト会社はどこも同じような二次請け、三次請けと化した。昔はIBMが得意だ、ミニコンが得意だ、など特徴があった。何より困るのはソフト製品の値段が下がったことだ。それでいて受託開発は元請けがピンハネをするから値段が下がらない。

十月三日(日)「人口分散」
将来給料を下げなければならなくなるかも知れない。そのため野菜を自作しようというのが、トッテン氏の主張である。しかし首都圏で多くの人がこれを実施するには農地が足りない。
昭和四十五年あたりまでは、中山道の戸田橋を渡るとあとは二車線の歩道のない道路の両側は田圃が広がっていた。ほとんど車は走っておらず浦和までに信号が三箇所くらいあるだけだった。だから戸田橋から浦和まで自転車を漕いだまま一気に行くことも可能だった。漕ぎ続けると足が疲れるが。
今は戸田橋を渡ると道路の両側にマンションやビルや民家が、浦和はおろか大宮やその先まで続く。首都圏の人口分散がまず必要である。
現代の農業は農機具と農薬を使う。石油大量消費農業である。これを止めないと自作野菜より買ったほうが安くなる。食料の自給率を高めるために、すべての国民を兼業農家とする政策が今後は必要になるかも知れない。そのときには人口分散と、農機具、農薬の禁止が必要になる。

十月十日(日)「汲み取り便所を復活しよう」
ビル・トッテン氏は自宅の農作業小屋に簡易洋式便器を置き、糞尿におがくずを混ぜて醗酵させて肥料として用いている。
昭和五十年あたりまで日本では、大都市を除いて便所は汲み取り式だった。糞尿は堆肥として再利用された。昭和四十四年に東京の足立区六月町はあたり一面が田畑で、道路わきに肥溜めがあった。これが私の見た都内の最初で最後の肥溜めだった。北区、板橋区、世田谷区は汲み取り車が走っていた。
当時の便所は臭かった。だから窓は開けておいてハエが来ないように金網が張ってある。便器には木製の蓋をしておく。ところが蓋を開けると、ロート製薬のCMで鳩が一斉に飛び立つみたいにハエがどこから入るのか一斉に飛び立った。
その後、電気で汲み取り側から排気する器具が開発された。確か五千円くらいだった。二十ワットとして電気代は月三百円である。あれで便所が臭わなくなった。水洗便所はいらない。化学肥料もいらない。法律で禁止すべきだ。
汲み取り作業は国民が等しく半年なり一年間交代で従事すべきだ。これで国民に平等意識と連帯意識が復活する。

江戸時代に来日したアメリカ人が街中の糞尿に閉口した、という話を読んだことがある。ここから先はまったくの冗談だがアメリカ軍を日本から追い出す作戦を十年前に考えた。
(一)東京メトロに言って溜池山王駅を肥溜山王駅に変えさせる。
(二)肥桶に中身を入れて肥溜山王駅に皆で集まる。
(三)アメリカ大使館のほうに移動する。
その後は何をするのか不明だが、というか誰もが何をするか予想がつくが、そこまでしなくてもアメリカ大使館宿舎の周囲に汲み取り便所と肥溜めをたくさん設置しよう。アメリカ軍はきっと日本から出て行くだろう。相手の嫌がることをアメリカはさんざんしてきた。規制緩和だの郵便民営化だの英語公用語だのと、手先となった売国日本人を使っていろいろな工作をしてきた。日本もアメリカの嫌がることを少しはしたほうがいい。

十月十一日(月)「地球の癌細胞」
ビル・トッテン氏は四年前に日本国籍を取得した。理由はアメリカ国家安全保障局のブラックリストに載り、アメリカに旅行すると空港ごとに徹底したボディーチェックと手荷物検査と取調べを受けるようになったためである。
トッテン氏は言論でアメリカを批判したがテロリストではない。アメリカの言論の自由は贋物だった。

アメリカはイラクが生物・化学兵器を持っているとして戦争を始めた。しかし生物・化学兵器はなかった。カンボジアではロンノルにクーデターを起こさせポルポトの大量虐殺の原因となった。日本を黒船で開港させ日本に軍国主義を発生させた。メキシコ領のテキサスで独立運動を起こさせ併合した。カリフォルニアも奪った。
アメリカは癌細胞である。膨張するとともに世界に転移する。


メニューへ戻る 前へ 次へ