千三百五十三(その四) 奈良康明ほか「ブッダの世界」
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
九月七日(土)
「ブッダの世界」は中村元さんが編著と序章と特論、奈良康明さんが第1章と第3章から6章までと年表、第2章が佐藤良純さん、写真が丸山勇さんだ。そのためほとんどを著述した奈良康明さんを表題に使はせて頂いた。
中村さんを中村元選集[決定版]第20卷に見る中村さんの轉落で批判したからと言って、諸橋轍次、中村元「對談 東洋の心」を讀んででは称賛したので、決して除外した訳ではない。書籍を論評するときは、主な執筆者をはっきりさせるべきだと、最近考へ始めた。
第1章「ブッダの大地」は、インドの文化背景が取りあげられてゐる。ここで注目すへきは
カースト制度というとバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの四姓から成る制度と考えられてきたが、「四姓制度」というべきもので(中略)ジャーティ制度とは異なるものである。

ジャーティとは生まれのことで、同一カーストでしか結婚できないし、同じ食卓につけないし、職業を世襲する。スリランカにもカーストがあるが、これは差別ではないと前に読んだことがある。ジャーティ制度であって、四姓制度ではないのだらう。
第2章は、釈尊の一生で、これは多くの本で既に書かれたので省略し、第3章「仏教教団の確立」に進む。得度式について
当該地域-「界」-のサンガが(中略)全員の承認を経て入壇を許す方法である。(中略)しかし、教団が発展し、その地域のサンガの人数が多数になったとき、(中略)界の中に別の小さな界を設けることである。

なるほど。そして
この小界がより象徴的に発展したのが戒壇である。しかし、その詳細は各部派によって幾分の差がある。

さて
得度(中略)によって比丘となることは(中略)聖なる世界に入ったものとして聖性を帯びるものとなる。


九月八日(日)
第4章「インド仏教の展開」の第6節「スリランカの仏教」には
7世紀には、パリッタ防護呪の儀礼が行われている。スリランカでは早くから知られていたものであり、ブッダゴーサも五種のパリッタ経典の名まえをあげている。しかし(中略)慣行はこの時代から確立したと考えられている。

第5章「仏教徒の生活文化」では
呪的な観念ならびに行為というものは、一概に避難されるべきものではない。それは言うなれば、人間の本質的な宗教的要請ともいうべきものである。

ここまで同感だ。奈良さんは駒沢大学長を歴任され、曹洞宗は祈祷を行ふからその影響と考へることはできるが、それとは無関係に、これは正しい。次に呪術と釈尊の悟りの教へとは無関係とした上で
それは二面における禁止である。第一には(中略)比丘にとって無用無益であるゆえにしてはならぬというものであり、第二は、比丘が在家信者のために生活の手段ととして呪術をなしあるいは教えることの禁止である。

これも同感だ。呪術を悟りに使ってはいけないが、衆生が悦ぶ姿を見て、比丘が悟ることは大いにあり得る。

九月九日(月)
第六章は冒頭に
サンガは豊かとなり、そこに住む比丘たちの生活スタンダードは一般庶民よりおそらく上のものであったろう。

などの記述が、2ページに亘って続く。曹洞宗で、江戸時代或いは明治維新以降に問題があったとする。それを奈良さんは2ページに亘って批判できるだらうか。とは云へ、ここに書かれたことの多くは事実なのだらう。奈良さんは公平に書いてゐる。
後期の経典では(中略)「四向四果」といい、仏典は悟りへの段階を分類しはじめる。

私も昨年辺りまでは奈良さんと同じことを考へ、分類が八つあることは教義の複雑化だと思った。今年になってから、四向四果を詳細に見ると、これは比丘や信徒を励ますものだと気付いた。比丘は、普通は一来果か不還果、信徒は普通は預流果だと思へば、励みになる。
大乗仏教において特に空を強調するのは、大乗がそれに対する反撥として生じたところの部派の思想、とくに説一切有部の、すべての現象を成立させる要素(法体)は過去・未来・現在の三世にわたって実有であると説く思想(法体恒有の思想;説一切有部という名称はここから生じた)との差をより明確に言わんがためのものであった。

予て、空は無常、無我と同じだから、なぜ大乗の一派が空をことさら取り上げるのか判らなかったが、なるほど説一切有部への反撥なら判る。

九月十四日(土)
第六章は3ページの途中から、私と大きく意見が異なるやうになる。しかしこれだけ膨大な量の書籍を書いた奈良さんに敬意を表して、個々の違ひを指摘することは、一つを除いて避けたい。その一つとは
大乗の出家菩薩のすがたは、一見、伝統的な仏教の比丘に似ているが、しかしかれらは部派教団で得度した比丘では決してない。かれらは出家するとき(中略)いわゆる具足戒受けない。

現在でもアジア各地の出家者のほとんどは、比丘戒を受ける。日本でも比叡山ができる前までは、比丘戒を受けた。だから私は、比丘のなかから瞑想法として大乗経典が生まれたのだと思ふ。(終)

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