千三百二十八 中村元選集[決定版]第20巻に見る中村さんの転落
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月二十八日(金)
中村元選集[決定版]第20巻を好意的に紹介しようと読み始めたところ途中で、中村さんは若い時のパーリ語経典や上座の仏道への情熱が薄れて、年を取って偏向がひどくなった。
だいたい私が、「上座部仏教」と云はずに「上座の仏道」と呼ぶのは、小乗仏教なる蔑称を使はせないためだ。中村さんについては、若いときからその呼称を用ゐたからと寛大に扱ってきた。しかしこの書籍が出版されたのは1993年。蔑称を使はないことが昭和二十五(1950)年に第一回世界仏教徒会議で決めてから四十三年。
中村さんが蔑称を使ふのは、中村さんが転落したためだと気付いた。

六月二十八日(金)
アショーカ王について
彼の仏教は、最初期の仏教と同様に、他の宗教と対立したものではなかった。
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だからアショーカ王は仏道を信仰しながら他の宗教も保護したと云ふ。これは私も賛成だが、その一方で目を現代に向けると、瞑想を無宗教にする傾向がある。それでは瞑想技術になってしまふし、瞑想が成功する可能性が激減する。そのやうな傾向とは異なるはずだ。
マウリア王朝を倒したプシヤミト・シュンガ(原語略)は、当時としては、いわば反動的勢力を代表しているもので、(中略)仏教を弾圧し、ただちにバラモン教の祭祀を復興した。もっとも、彼以後の同王朝の王室の人々は、仏教に対しても帰依し援助を与えている。
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中村元さん監修、阿部慈園さん編者の「原典で読む原始仏教の世界」では、仏教徒が葬儀などをバラモンで行ふ記述がある。それとの整合をどうとるか。
アショーカ王の時代はバラモンの範囲を抑へて仏道と共存したのに、シュンガ王朝はバラモンのみにしたと云ふことなのか。或いはアショーカ王の時代に仏道がインド中に広まり、バラモンから独立したと云ふことなのか。
大衆部系統は概して一般民衆に支持されていたために、実社会と緊密な接触を保ち、(中略)進歩的改革的態度を持っていた。したがって、時代の経過とともに複雑な変遷を経て、ついに大乗仏教を成立せしめるにいたるのである。
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これに根拠があるか。一般に王朝や富豪から帰依を受ければ、上層部ほど政権側に近付く。しかしだからといって大衆部がより一層、一般民衆に支持されたかどうかは不明だ。比丘は戒律を保ったからだ。また大衆部から大乗が生まれたかどうかは不明だ。
その後、仏塔を守る信徒から大乗が生まれた説が出て、学者の云ふことだから正しいのだらうと私も思ってはみたものの、納得できないことがあった。大乗にも僧がゐるし、伝統戒を保つ。日本も比叡山に戒壇ができる前までは、伝統戒を保ったし、他のアジア諸国では今でも大乗僧は伝統戒を保つ。
その後、新しい説が次々と出たが、確定的な説はない。私は、伝統、大乗、兼務の三種が混在したと云ふ古文書もあるので、瞑想法の文書の進化したものが大乗経典との立場だ。
各部派ごとに(中略)経蔵と律蔵とが成立したのであるが、(中略)昔から伝えられた諸経典のうちで自説に都合の悪い箇所を除去し、反対に自説に都合のよい有利な文句を付加したのである。
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私が中村さんに不信感を持ち始めたのは、ここだ。長い年月の間に、変化することはあらう。しかし意図的に削除したり追加することはない。中村さんが若いときに、釈尊在世当時の経典がどうだったかを研究したのと同じで、多くの比丘は釈尊在世時の経典を見つけようとすることはあったし、一方で師匠から受け継いだ教へをそのまま弟子に伝へることがほとんどだったはずだ。
このやうなことを考へると云ふことは、中村さんも古文書のうち都合のいい部分だけを抜き出したり、既知の古文書を都合よく解説することが1993年前後には多いのではないのか。
我という形而上学的原理を想定しないという点では、説一切有部は仏教本来の立場に忠実であった。しかし、経典の中には、なんらかの意味において、我に類する原理を想定するような思想も表明されていたし、小乗諸派のなかには、このような思想傾向を発展せしめたものもある。
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まづ中村と云ふ下座非仏教徒(大乗を自称する者が小乗の蔑称を用ゐた場合は、対抗して上座の反対の下座を用ゐることにしてゐる。これには下劣な人格、下等な脳力の意味を含む。また第一回世界仏教徒会議で決まったことに従へないのだから、非仏教徒と呼ぶ)は、説一切有部を除いた小乗諸派について論じるが、小乗は一般に説一切有部と考へられる。その周辺の各部を含めるかは議論のあるところだが、説一切有部を除いてそれ以外を、わざわざ小乗諸派と蔑称する必要は無い。次に「なんらかの意味において」とは具体的に何か。一応は学者を自任するのだから、こんな曖昧な表現は許されない。

六月二十九日(土)
仏教のうちにも諸派があり、大別すると、主として東南アジアにひろがった伝統的保守的仏教(小乗仏教)と、北アジアから東アジアにひろがった大乗仏教とがある。188
ここは変だ。まづインドからスリランカを経て東南アジアに広まった上座の仏道がある。これは南伝とも呼ばれる。一方で、部派の各派が大乗の仏道とともに北伝で中国に伝はった。私は部派と大乗の両方が北伝だと思ふが、大乗のみを北伝と呼ぶこともある。
ここでインドからスリランカに伝はった仏道は、アショーカ王の時代だから部派に分裂する前と考へられる。しかし論蔵は他の部派と類似する。これはイント各部派の影響と考へられる。
北東インドや中国に伝はった部派は説一切有部が多かったが、他もあった。これらを北東インドや中国の人たちは小乗と呼んだ。だから「東南アジアにひろがった伝統的保守的仏教(小乗仏教)」は変だ。昨日は説一切有部を除く小乗が矛盾することを指摘したが、本日はアショーカ王の時代に、しかも南方に伝はったものまで小乗に含めることの矛盾を指摘した。
仏教教団は、アショーカ王以後の時代に急速な発展を遂げ、伝統的保守的仏教(いわゆる小乗仏教)の威勢は強大なものになった。それはのちには、社会の上層階級の支持を受け、僧院のなかに隠棲して、煩瑣な教理研究と修行とに専念するようになった。
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下座非仏教徒はしつこい。しかし赤字の部分を除けば、これは事実だ。上座の比丘も、戒律が緩んだ時期と、回復した時期がある。近年ではタイのタンマユット派、ミャンマーのシュエディン派の改革が有名だ。それなのに
このような教団の人々は、大乗仏教の側から痛烈に非難されるように、ややもすれば利己的独善的な態度に赴く傾向があった。(中略)慈悲の精神はおのずから背後にしりぞかねばならなかった。

この時点で大乗はまだ生まれてゐなかったし、発生したあとも、部派、大乗、兼備の三種が混在したから、慈悲の精神が欠如したことを批判するために、大乗が発生したとは考へられない。一般には、釈尊は師匠であり仏力をお願ひする対象ではないから、いろいろな仏、菩薩を作って仏力を期待したと考へられる。
説一切有部の独特の説として(中略)仏の慈悲などは有情を対象とするのではなくて、五蘊それぞれの自体を対象とするのである。(以下略)
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大乗の特長を挙げるのに、比叡山と三井寺の僧兵の争ひや、織田信長軍に浄土真宗の他派が協力して本願寺派を攻撃したことを挙げるのは適切ではない。同じやうに、膨大な古文書から部派を特定の思想に導く下座非仏教徒の言動は批判しなくてはいけない。
この問題を南方仏教の指導者がどう考えているか知りたいと思って、かつてタイのバンコックに立ち寄ったとき(中略)一高僧に会い、問いただしたことがあった。その高僧の返答は「ここにかりに病人がいて、倒れて苦しんでいたとする。それを見ながら通りすぎるのは、その人がなにものかにとらわれているからである。本当に無執着(non-attachement)の境地に達した人ならば、かれをただちに救助するはずである」ということであった。
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まったくそのとほりだ。高僧ではなくても、長老、比丘、沙弥から信者に至るまで、誰もが同じことを答へるだらう。私には別の回答もある。
倒れた病人を救助するのは人間の良いほうの本能だし、社会の規範でもある。仏道の比丘、サヤレー、沙弥、沙弥尼から在家に至るまで、誰もがこれに従ふ。ただし戒律に違反してサンガ追放になる比丘がごくまれに出るやうに、ごくまれに違反する人が出るかも知れないことは、世間一般と同じだ。
それとは別に、良いほうの本能や社会規範を破壊するものが一般唯物論であり、近代西洋野蛮人の思想は本当は一般唯物論である。そのことを自身は放置するくせに、部派は慈悲に欠けると主張することは偽善者だ。

私がどちらの回答をするかは、相手次第だ。後者は仏道を実践する者が世間一般より慈悲に於いて同等に留まるから、仏道関係者に対して普通は云はない。更に別の回答もある。
善いことをすれば、現世または来世で善いことがある。だから仏道関係者で救助しない人はゐない。

次に
未来に仏となるべき人、ボーディサッタ(菩薩)は、願いによってこの世に生まれてくる。過去のつくった業の報いとして生まれてくるのではない。
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として大衆部系の四つの部派を挙げる。これも比叡山と三井寺の武力衝突と同じで、一部の部派のそれもたまたま現存する文書で以って、部派全体を解釈してはいけない。

六月三十日(日)
南アジア諸国の近代建設はどうも順調に進んでいないらしい。(中略)もしもスリランカ人がもう少し働いて無限につづくジャングルをもう少し開発するならば、いっきょにして自力で経済開発ができる。ところがそれをやらない。タイでも事情は大同小異である。そう思うと経済開発はじつは精神問題なのである。577
ジャングルを切り開くことで、そこに棲む野生の生物はどうなると思ってゐるのか。しかし許し難いのはこの先だ。
これらの国々で主導的・保守的立場にあるのは伝統的保守的仏教(いわゆる小乗仏教)であるが、僧侶たちは静かな瞑想的生活を楽しみ、働くことをしない。そうして草むしりもしない。そういう下等と考えられる仕事は、寺院の雑役夫にやらせる。(この点は日本や中華民族のあいだにおける禅院などと根本的に異なる。)だからタイのバンコクの一寺院では僧侶が三百五十人いるのにたいして若い健康な雑役夫が三百人もいる。
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「下等と考えられる仕事」は、タイの人たちが考へてゐるのではない。中村と云ふ下等な非仏教徒が言っただけだ。中村も自分が言った「下等」を自身に使はれたのだからさぞ満足であらう。タイの比丘が草むしりをしないのは、昆虫を殺さないためだ。更には釈尊当時の修行法を今も守るからだ。
だいたいお寺の仕事も、世間一般の仕事も、どちらも重要なものだ。それを下等だの雑役だのと、中村には呆れる。どんな仕事もいいかげんにやれば雑役になる。心を込めてやれば偉業になる。お寺で在家を三百人雇用することは、お寺が社会の中心であり、素晴らしいことだ。(終)

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