千三百五十三(その五) 片山一良「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ『大念処経』を読む」
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
九月十四日(土)
片山一良さん著作「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ『大念処経』を読む」は良質な書籍だ。パーリ語の「大念処経」の解説に重ね合はせて、道元禅師の「正法眼蔵」や天台大師の「摩訶止観」「小止観」を引用する。上座と大乗をつなぐ貴重な書籍だ。
私が下手に感想を入れて、片山さんの書籍への批判と取られるといけないが、このまま終了したら、三行で終ってしまふ。だから批判の意図はなく、称賛のつもりで、以下を書いた。
止観の「観」を懇切に説き、「法」を丁寧に語るものです。
(16)
大念処経に、観について説いたと云ふ記述が最初にないから、止についても説いたと思ふ。それは身の随観で特に顕著だ。
私自身は、止と観を分ける意味が今でも判らない。それは曹洞宗も同じで、無理に分けると曹洞宗は止しかないことになる。天台大師の「止観」も二字で一語だから、普段は分けない。
上座の仏道では分けるが、それは各瞑想法が分けるのであって、上座自体が分けてはゐない。瞑想法が異なると、同じ瞑想でも「止」になったり「観」になったりする。
私は在家だから、「観」の定義が簡単だ。苦、無常、無我を知ること。それだけだ。

九月十五日(日)
七仏通解偈はダンマパダに三偈あり、通常は一番目だけが有名だ。
いかなる悪も行なわず もっぱら善を完成し
自己の心を浄くする これが諸仏の教えなり

これについて片山さんは
三句は直接の教えであり、順に戒・定・慧を説くものであります(以下略)
(32)
一句目は戒だが、二句目は戒の裏返しともとれるし慧ともとれるし定と慧とも取れる。三句目は涅槃の姿ともとれるし定とも取れる。戒定慧は修行方法だから、一番目の偈を当てはめるのは無理だと思ふ。
上座と大乗をつなげる壮大な書籍だが、過去に例が無いので、こなれてゐないところがあるのかな、と思ふ。一方で
中国の天台智顗大師も(中略)『天台小止観』の序に、この第一の「七仏通解偈」を引いて、つぎのように述べられました。
「それ泥洹(涅槃)の真法は、入るにすなわち多途あれども、その急要を論ずれば止観の二法を出でず。然る所以は、止はすなわち結を伏するの初問、観はまた惑を断ずるの正要なり」
(33)
ここは大乗が専門の片山さんの威力だ。
比丘たちよ、この道は(中略)涅槃を目のあたり見るための一道です。すなわち、それは四念処です。
(33)
このうちの一道について注釈書にある五つの説明があり(色があせるなど)、これは前に経典学習会で聴いた話なのでなつかしかった。
念処は四に限定されておりますが、それは教導される者、つまり実践者の性向と機根に応じたものと言われます。対機説法です。実践者は、渇愛行者、見(けん)行者、止(し)行者、観(かん)行者の四種に、またそれぞれ遅鈍、鋭敏の二種に分類されます。これによって、「身隋観の念処」は遅鈍な渇愛行者・止行者に、「受随観の念処」は鋭敏な渇愛行者・止行者に、「心随観の念処」は遅鈍な見行者・観行者に、「法随観の念処」は鋭敏な見行者・観行者にふさわしい清浄の道となる、ということです。
(40)
これは貴重な情報だ。私自身は八つから選べと云はれれば、鋭敏な止行者を選択するから、「受随観の念処」が合ふ。しかし人間は時間によって状態が異なる。疲れたときなど精神の働きが遅いときは「身隋観の念処」、お寺に三拝したあと経典が気になるときは、「法随観の念処」も良いことだと思ふ。大念処経は、一つを選べとは説いてゐない。

九月十六日(月)
第三節は「身念処」の冒頭で、念を凝らして坐り、出息、入息について伝統の註釈を引用し
牛飼いが(中略)子牛を調御したいと思い、母牛から子牛を引き離し、傍らに大きな杭を打ち、そこに綱で繋ぐ。子牛はあちこち足掻(あが)くものの(中略)杭のそばに坐り込むか、伏すであろう。
(43)
比丘も増大した邪な心を調御するため
念処の所縁である杭に(中略)逃げることができず、近行定や安止定によってその所縁の近くに坐るか、臥す。
(43)
ここまで註釈を引用するだけでも驚嘆するが、禅宗の十牛図のモチーフだと云ふ。次に第三節の「学ぶ」について
そのとおりに出入息を学ぶ者の戒(防護)は増上戒学に、定は増上心学に、慧は増上慧学になりますから、この実践は三学を所縁とする学びになる、と解されます。身を調え(戒)、心を静め(定)、それより息を業生身の「色」であり、それに向かう念が「名」である、と「名色」を把握し(慧)、これは縁(縁起)と縁已生法による」と観を増大させるもの、ということです。
(47)
生起の法、滅尽の法、生起と滅尽の法について
註釈は(中略)身という息は、因縁により生じ、因縁により滅し、因縁により生じ滅する、ということです。

ここから大乗を含めた独自の説明として
三語による説明の真意は何でしょうか。それは「諸法実相」を示すことにあるといえましょう。「内」は諸法、「外」は実相、「内と外」は諸法実相です。「生起」は諸法、「滅尽」は実相、「生起と滅尽」は諸法実相です。
(51)
第四節の行・住・坐・臥の四威儀路について
伝統の註釈は(中略)四威儀路を把握する念は「苦諦」であり、それを生起させる前の渇愛は「集諦」である。また両者(苦・集)の不生起は「滅諦」であり、苦の知悉、集の遮断、滅の所縁、聖道は「道諦」である。(中略)これは四威儀路を把握する比丘にとって、、阿羅漢果にいたる出離の門である、ということです。
(60)
次に
身念処における「四威儀路」の実践は、止観、坐禅の根幹になるものです。
天台智者大師は(中略)まず「調和」について説かれました。
「いかなるをか名づけて調和となす。いわゆる五法を調うるなり。一には飲食を調節し、二には睡眠を調節し、三には身を調え、四には気息を調え、五には心を調うるなり」(『天台小止観』第四章)
(61)
ここはそれほど重要ではない。次に続く前段階だ。
つぎに「方便」として、五法を示されました。
「いかなるをか方便行となづく。いわゆる五法を行ずるなり。五法とは、一に欲、二に精進、三に念、四に巧慧、五に一心なり」(同・第五章)
と。説明によれば、「欲」とは、一切の妄想を離れ、定・慧を得ようとする志、願です。「精進」とは、戒を保ち、五蓋(括弧内略)を捨て、昼夜に励む努力です。「念」とは、定・慧は尊い、正覚の成就、広く衆生を度することは尊いと念じることです。「巧慧」とは、世間の楽と定・慧の楽との得失軽重を量る巧みな智慧です。「一心」とは、世間は患うもの、定・慧の功徳は尊いものと知り(以下略)
(61)
戒定慧のうち、定慧しか云はないことが心配だが、全体は良い話だ。

九月十七日(火)
第六節の髪、毛、爪など三十二部分について
天台智者大師は、『摩訶止観』(巻第九)において、身を三十六物、すなわち髪・毛・(中略)・熟臓・赤痰・白痰に分類し、つぎのように説明しておられます。
「身の中に三十六物を見ること、倉を開いて穀・粟・麻・豆を見るがごとし。もし根本に対すれば、すなわち初禅の位なり。前の八蝕(初禅時に経験する動触ないし滑触)は身の倉に触れるとも、心眼が開かざれば内物を見ず、特勝はすでに観慧あり、蝕が身の倉を開き、心眼がすなわち三十六物を見る。肝は緑豆のごとく、(中略)髪・毛等なり。出入の息はその間を統致し、不浄・無常・苦・空・無我なり。(以下略)」
(83)
多くの日本人は、不浄観について、これが上座の欠点だと短絡してしまふことだらう。しかし不浄観は大乗にもある。
わが国の源信僧都は(中略)龍樹菩薩の偈を引いて、つぎのように答えておられます。
この身は、不浄、九の孔より流れて(中略)身の実相は皆不浄なりと見る 即ちこれ空・無我を観ずるなり もし能くこの観を修習する者は 利益の中に於て最も無上なり」
(85)
ここは大乗にも詳しい片山さんの威力発揮だ。しかし
このような見方に対して、道元禅師はつぎのように述べておられます。
「観心不浄といふは(中略)いはゆる観得は、毎日の行履、掃地掃床なり」(『正法眼蔵』三十七菩提分法)
と。身を不浄と観るのは(中略)活路を見る観でしかない。身は毎日の生活、掃除をする中にあり、掃除がそのまま身を観ることに他ならない(以下略)
(85)
正法眼蔵は他人を教導するのではなく、道元が備忘録で書いたと私は解釈してゐる。だから只管打坐の曹洞宗にあって道元がこのやうに言ったことは意味のあることだ。しかし、私は不浄観の不要が大乗でも鎌倉仏法特有のものであり、禅宗は鎌倉以前の中国の天台と同列と思ふから、本文はいいとして、その後の片山さんの解説には賛成ではない。

九月二十一日(土)
第八節の墓地での随観について
龍樹菩薩の『大智度論』(巻第二十一)にはこれを「九相」、すなわち(1)脹想、(2)壊想、(中略)「一切の有身皆な無常に帰す、我もまた是の如し(以下略)
(104)
ここはまったく同感だ。上座と大乗に違ひはない。次に
天台大師は、それを受け、『摩訶止観』(第九)において、不浄想を発す「九相」は壊法の人と不壊法の人によって修され、(1)膨想~(9)焼想を修する壊法の人には諸禅の功徳がないとし、不壊法の人は(9)焼想に進まず、つぎのように骨想に住し、倶解脱の人(阿羅漢)になると説明しておられます。
「不壊法の人の九想は、初めの脹想よりこのかた骨想に住し、焼想に進まず、流光・背捨・勝処・観・練・薫・修・神通・変化あることを得る。一切の功徳を具足して倶解脱の人と成るなり」
(105)
ここは複雑だから、『摩訶止観』を学習しないと理解できない。ここで大切なことは、大乗にも不浄観と複雑な教義があり、上座を批判する人たちの根底が無くなった。

九月二十二日(日)
第十一節では五蓋に入る前に
四念処の目的は、身・受・心・法という自己の随観による智慧の確立にありますが、その「自己」とは「身心」のことであり、「五蘊」をさすものであります。
そこで、「身心」(色・非色=名色)によれば、四念処は、(1)「身の随観」が色(身)によって、(2)「受の随観」と(3)「心の随観」が非色(心)によって、そして(4)「法の随観」が色・非色(身心)によって把握されるものになります。
(132)
ここまでは当然のことと云へるし、「法の随観」が身心両方なのが目新しいとも云へる。次に
「五蘊」(括弧内略)によれば、四念処は、(1)「身の随観」が色蘊の把握を、(2)「受の随観」が受蘊の把握を、(3)「心の随観」が識蘊の把握を、そして(4)「法の随観」が想蘊と行蘊の把握を語るものになります。
(132)
ここは「法の随観」が想蘊と行蘊なのが目新しい。
第十二節は五取蘊のそれぞれに
(色)とはこのとおりである、(色)の生起とはこのとおりである、
(色)の消滅とはこのとおりである(143)
最初、五蘊が生起し消滅するのかと驚いてしまったが、五蘊の執着が五取蘊だった。無碍解道に詳説され、清浄道論にも引かれてゐるさうだ。
第十三節の十二処は、本文については何の問題もないが、余談で書いた
唐代の臨済(慧照)禅師はつぎのように述べておられます。
「それ仏の六通の如きは然らず。色界に入りて色に惑わされず、声界に入りて(中略)六種の色声香味触法は皆な空相なりと達すれば(中略)これ五蘊の漏質なりと雖も、便ち是れ地行の神通なり」(『臨済録』示衆)
(164)
ここまで何の問題も無い。ところが引き続き解説で
神通力とは、阿修羅と帝釈天が戦うような神力ではない。色・声(中略)のいずれに出会っても、惑わず、執さず、受け入れることのできるその六処こそ、生身のままで地を行く神通力である、といわれたものです。
(164)
この解説は変だ。臨済禅師は、これも神通の一つだと云はれたのであって、これだけが神通だとは云はれてゐない。片山さんは駒澤大学の教授で、しかも曹洞宗末寺の住職だから、曹洞宗の祈祷は神通力なのかを論じるべきだ。私は曹洞宗の長い歴史があるのだから、神通力だと考へる。

九月二十三日(月)
仏教の考え方と科学の考え方が比較され、論じられることがあります。(中略)しかし、仏教と科学はその目的が異なりますから、充分な比較になりません。仏教はいわば無欲の世界の話であり、科学はいわば欲の世界の話です。(237)
同感だが、仏教が無欲の世界でゐられるのは、苦、無常、無我のときだ。私がときどき僧侶妻帯を解消しないと仏道は復活できないと主張するのは、妻帯すれば苦、無常、無我になれない。妻帯者は准僧侶とし、僧侶を増やすなどの努力を、長期計画で各宗派はすべきだ。
戎について無碍解道を引用し
「何が戎であるか。(1)意思が戒である。(2)心所が戒である。(3)防護が戒である。(4)不犯が戒である」
(246)
このうち防護は五つあり、そのうちの一つがパーティモッカ防護だ。不犯は戎を受けた者が違反をしないことだ。するとパーティモッカ防護とどこが違ふのか。ここは説明が不十分で理解不能だが、パーティモッカに従へばそれで戒が十分と云ふ訳ではなささうだ。
天台智顗大師は、『天台小止観』(第一章)の冒頭で(以下略)
「第一に、それ止観を修せんと欲せば、必ずすべからく持戒清浄なるべし。(中略)この戎に依因して、諸の禅定、および滅苦の智慧を生じることを得、この故に比丘、まさに浄戎を持すべし」
(前略)ここに言われた「戎」とは、四清浄戎、すなわちパーティモッカ防護戎、念による根防護戎、勤(精進)による生活清浄戎、慧による資具依止戎をさしております。
(247)
この辺りを調べてみたいものだ。大乗関係者が上座を批判するきっかけは、止観の複雑な方法や、不浄観だと思ふ。しかしこれらは大乗にもある。これらが無くなった鎌倉の仏道は、大乗の例外だ。(終)

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