千三百四十 ミャンマー経典学習会
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
七月二十八日(日)
二十一日に予定されたトゥミンガラ比丘の経典学習会は、本日に延期された。自主瞑想の始まる15分前に着くやう家を出たが、15分早い電車に乗れた。そのためお寺には35分前に到着した。
会場は2階の本堂の時と、4階の戒壇のときがある。階段の途中に貼り紙があるが、正しくないことがときどきある。取りあへず貼り紙を信用し、4階に行った。
15分が経過して誰も来ないため、2階に行った。そのとき1階と2階の階段の途中から、小さな男の子がでんぐり返しを繰り返して落ちた。「危ない」と大声を出し、1階の集会室兼食堂から大人が二人顔を出し、一人が抱き上げた。怪我がなくてよかった。
学習会は三人、かなり遅れて一人。予定が変更になったためか、暑いためか、ここ数年で一番の少なさだった。オバササヤドーからは、日本語力向上のため質問をたくさんするやう云はれたので、皆がたくさん質問できてよかった。
終了後に、一階で余った昼食を頂いた。ご飯が多く、おかずは魚を揚げたもの(辛いと説明があった)、豚のひき肉、乾燥したりんご小片、スイカの角切りだった。スープはユウガオの実が入り、ミャンマー人の人たちがトウガンではなくユウガオでミャンマーで採れると説明があり、私が長野県でもユウガオが採れますね、と云ふと知ってゐる様子だった。

上座部仏教修道会のニャーヌッタラサヤドーが、毎月第四日曜夜に池袋でミャンマー人向け瞑想指導会を開催する。ミャンマーの老婦人たち全員はそれに出発し、鍵を閉めるやう話があった。泥棒が入り、一階にあった寄進箱を盗まれたためだ。
暫くして新しいお寺の中心的信者の男性が来られた。お寺の開設準備(装飾取り付けや屋内改築)のときに転倒して、救急車で運ばれた人がゐたが、よくなったさうだ。本日は転落、転倒、盗難と、三つ悪い話が重なったが、障害を乗り越えてこそ修行だ、との思ひを強く持った。
この日は学習会終了後に、新しいお寺のための寄付5万円を行った。前回は母の名、今回は私の名で行った。もっと早く寄進する予定だったが、比丘との都合がなかなか合はなかった。
寄進の集まり具合は、土地と中古の家の代金を支払ったが、1000万円は或る在日ミャンマー人から借りたものだ。最初は寄進すると云ふ話もあったが貸すことになった。中古の家はいづれ建て替へる。私の寄付は借りたお金の返済か新築のときに使用される。
もう一つ学習会終了後の話題で、一階入口から二人の比丘が入られた。見かけない顔なので、ミャンマーから来日されたのかも知れない。
開始前の会話で、モービのお寺の食費寄進は1日4万円で前から行っていたが、最近は近郷の人たちの寄進予約が多く、予約が入らないときに使はれるさうだ。修行者が四十人。ディーハンカラサヤレーの瞑想センターは人数がはるかに多いのに金額は少し多いだけだから、単価が高いのはモービがヤンゴンに近く物価が高いためか。そんな話もあった。
かういふ何気ない会話も紹介することにより、これで発心する人もゐるし、信者の活動を研究する材料になるし、気付きもある。

七月三十日(火)
学習会では次の法話があった。ダンマパダ133、134は
コンダーナが出家してから、女性の影が彼に付きまとひ、他の人には見えるが、コンダーナには見えない。人々はコーサラ国のパセナディ王に報告した。「王様、あの道徳に欠けた比丘を王国から追放してください」。
王は比丘の滞在する僧院に行き、その比丘が出てきて扉に立つと、女性の影もあった。王と比丘が部屋に入ると、女性の影はない。王は、女性は実在ではないと結論し、比丘は無実になり、王は比丘に毎日、托鉢のため宮殿に来るよう招待した。
他の比丘たちはこの話を聞き、比丘に言った。「不道徳な比丘よ、王は国から追ひ出すのでなく、宮殿に托鉢に来るように招いた。」。一方の比丘は、「あなたたちこそ道徳に欠けている。あなたたちは女性とつき合ふやう運命づけられている」と反論した。比丘たちはブッダにこの件を報告した。
ブッダはコンダーナに人を遣はしてかう言った。「我が息子よ、あなたは前の過去世でデーヴァだった。そのとき、互いにとても愛着がある2人の比丘がゐた。あなたは女性に成りすまして比丘の一人に付きまとひ2人の間にトラブルを起こさうとした。その不善な行ひのため今女性の影に付きまとはれてゐる。
「私の息子よ、これからはもう他の比丘と論争しないやうに。さうすれば涅槃を実現できるでしょう」。そしてブッダは次の偈を詠みました。
「荒々しい言葉を使ふな。言はれた人々は言ひ返す。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至る。こわれた鐘のように、声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないから。」

以上について私のメモ書きは
声をあららげないならば(沈黙するなら)
パラージカは4つ。女性に堕胎の薬を与えるのもパラージカ。実力無いのに嘘をつくのも。
僧残は13
パーシティア、単堕92
デーウーァは33天の神。1回阿鼻地獄に落ちて、コーナカマブッダとコーナカマブッダの間くらい長い間。そのあと人間に戻った。そして長老に。


ダンマパダ136は
モッガラーナ大長老がラッカナ長老と共に霊鷲山を下っていた時、大蛇のペータを見て微笑んだが何も言はない。祇園精舎に戻ったとき、モッガラーナ大長老はブッダの前で胴体が燃えている大蛇のペータのことをラッカナ長老に話した。ブッダは、悟りを開いたすぐ後にそのペータを見たが、それを話しても人々は信じないだろう。そうするとブッダに対して不善をすることになるので慈悲の思いから沈黙していた、と言った。そして、今モッガラーナもそれを見たのだからこのペータについて話さう、と言った。
このペータはカッサパ・ブッダの時代に泥棒だった。泥棒として冷酷な彼はある金持ちの家に火をつけた。カッサパブッダが托鉢に行っている間、この金持ちがブッダにお布施したホールにも火を放った。この不善な行ひの結果、彼は長いこと地獄で苦しむことになった。いま彼はペータとしてその長い胴体を端から端まで炎で焼かれた。比丘たちよ、愚者は悪い行ないをしてもそれが悪だと分からない。しかしその結果からは逃れられない。そしてブッダは次の偈を詠んだ。
「愚かな者は、悪い行なひをして、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。火に焼きこがされた人のやうに。」

私のメモ書きは
モッガラーナ大長老は神通力1番
大長老は20ワーサ、長老は10ワーサ
セヤドジーは年齢が上のセヤドーに用ゐる。(或る信徒が)インドでゴエンカをゴエンカジーと呼ぶ。
ペータ、餓鬼、死霊、(或る信徒が)英語ではゴースト
どろぼうは昼何しているか聞かれ怒った。7回にわたり、ある金持ち(トゥミンガラ、スーマンガラ)の家に火(牛小屋、畑にも7回)ホールにも7回
火で燃えるから餓鬼。大蛇の餓鬼が炎に焼かれ苦しむやうに。

仏道は、悪いことをするとそれが報ひとなって現れることを教へる勧善懲罰のよい教へだと、改めて感じた。

七月三十一日(水)
トゥミンガラ比丘は日本語力の向上を兼ねて、今は或る大学の聴講生だ。来年度は修士に移る予定だが、まづミャンマーの僧院大学が日本で大学と認められるかどうかが問題になる。
学習会で我々の質問への回答で、トゥミンガラ比丘が「大学では」と云はれることがあり、今まで比丘用の大学だと思って来た。それは正しいのだが、僧院と見做されてしまふと16年以上の学校教育に該当しなくなり、修士に入学できない。
入試科目に英語があることも難関だ。上座の比丘はパーリ語が専門だ。トゥミンガラ比丘は日本語も話せる。その上に英語の勉強をしろと云ふのは時間の無駄だ。院生も一般社会と同じで、チーム内で分担をすべきだ。英語が得意な人は英語文献に当たる。ミャンマー語とパーリ語が得意な人は、ミャンマーの文献とパーリ語の古文書に当たるべきだ。
学費も或る信者が心配した。聴講生と異なり院生は高額だ。私が東京大学の修士なら国立だから安いのではと提案した。どの先生に教はりたいかにもよると云ふ意見も出された。東京大学だとパーリ語、サンスクリット、漢訳の対比が中心だ。それで私も提案を変へて、それなら駒沢がいいかも知れないですね、と云った。駒沢は先生がたくさんゐると云ふ意見も出された。
結論は、聴講の先生に相談することになった。いよいよミャンマーの仏道が、日本の学界に進出するときが来た。(終)

固定思想(二百十四の二)へ 固定思想(二百十六)へ

メニューへ戻る 前へ (その二)へ