千三百三十五 夏休み特別企画第四弾 東急バス1日乗車券で駒沢陸橋と新代田橋に行く(詳細データ公開)
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月一日(木)
東急バスが都県境を超えるのは、多摩川大橋と二子橋だ。今までさう思ってきたのに、なぜ武蔵小杉まで行くバスがあるのか。調べると、この疑問はすぐ解けた。2015年9月1日から土休に限って(と云ふことは9月5日が最初)小杉まで延伸した。9時から19時までだ。丸小橋を東急バスが走るのは四十五年ぶりださうだ。
そして2016年9月1日からは、平日も運行するやうになった。多摩川駅から小杉駅までは無停車だから、急行バス並みだ。これは便利だ。
もう一つ、新しいことが判った。二子玉川から向ヶ丘遊園駅南口までの向02系統は本数が少なく40分に1本だ。だから20年近く前に乗ったときは、高津営業所まで歩かうと思ったのだが、その高津営業所までの渋12系統が2時間近くすべて二子玉川駅行きなことは、先日の「鶴見区と港北区に行く」で体験済みだ。
それより今回判ったのは、溝02系統の新平瀬橋行きは、平日のみで北方が夕方2本、南方は朝に3本だけだ。さう云へば、20年前も、高津から梅林まで1つ歩き、梅林からのバスが待つので高津営業所まで2つ歩いたことを思ひ出した。つまり二子橋を渡ったときは向ヶ丘遊園まで大回りするしかない。
八月三日(土)
夏の間にもう一回バス旅行をしよう。二子玉川、小杉に寄るとともに、森91系統に乗らう。さう計画した。かつて通勤に都バスの宿91系統駒沢陸橋行きを使用したことがあった。この系統と東急バスの森91系統は、元々は1つの路線だった。都バスと東急バスの共同運行だったが、後に新代田橋で分離した。しかし都バスは3本に1本は東急バス側の野沢交番まで乗り入れた。後に折り返し場を廃止し一つ先の駒沢陸橋まで伸びた。
15年くらい前だらうか東急バスの1日乗車券で、森91系統に乗ったことがある。おそらく渋谷からバスに乗り、途中乗り換へて、森91にたどり着いたのだらう。今回は森91に乗ることが目的ではなく、宿91の運行跡を探すことが目的だ。
八月十一日(日)
本日、計画を実行した。幡ヶ谷折り返し場を九時半に出発するバスに乗った。渋谷駅前で二子玉川方面に乗り換へると高津営業所行きだった。珍しいから高津営業所まで乗らうとは、絶対に思はない。高津営業所から戻るバスがあるか判らない。だから予定どほり二子玉川で降りた。
前回も、商業施設と二子玉川駅バスターミナルと地下のスーパーマーケットを観たから、二子玉川は十分に判ったつもりだったが、広場に展開する食べ物販売の車、屋上の草地や湿原で、すっかり観光気分になった。
午前十一時二十分から早い昼食を食べたあと、武蔵小杉行きは中止して上馬まで戻った。ここで森91系統に乗り換へて野沢交番前の一つ先まで乗った。かつて都バスの宿91系統は野沢交番前の一つ先の駒沢陸橋が終点だった。降車停留所と折り返した後の乗車停留所の一方が野沢交番前にかなり近かった記憶がある。
森91系統で野沢交番を過ぎて陸橋に上がるところで、左に駒沢陸橋の停留所が見えた。駒沢陸橋のバス停は、小田急も使ふから今でも存続する。この時点では降車停留所が近いと判断した。次の停留所から歩いて野沢交番前に戻りながら、左を見てもかつてあったバス運転士用のトイレが無くなった。
運転が交通局からはとバスに委託されてからは、ここのトイレの水道で停車中のバスを洗ふ光景が見られた。交通局の時代は提示にバスが来たが、はとバスになってから定時を過ぎてから来るやうになった。途中で時間調整をしなくて済むから合理的だが、路線バスに慣れないはとバスの思考方法だった。
乗車停留所は、道路の反対側の降車停留所よりかなり野沢交番前に近い。小田急バス単独になって移動したのかと、最初は思ったが二回ほど歩いて、昔からこの位置だったことを、歩道橋の位置、民家のコの字形に引っ込んだ入口から思ひ出した。
野沢交番前から大森操車所行きに乗った。この時点では大森操車所に行く予定だったが変更し、二つ先の平町で降りた。予定にあった小杉への往復を省いたのも同じ理由だが、乗るのが目的ではなく調査が目的で、時間は大切に使はう。今回はこの意識が強かった。小杉は何回も行ったし、大森までも一回往復したことがあった。
平町で降りたのは、反対側のバスが来る時刻だと思ったためだが、10分前に通ったあとだった。15分待たされるが、歩かなければ風があり暑くはなかった。バスが来て終点の新代田駅まで乗った。昔、朝の通勤時に道路が大渋滞したことがあった。交通事故が起きたらしい。だから途中から歩いて会社に行った。午前半休を取ったから、新代田駅前の区立図書館に寄って時間を調整したことを思ひだした。今日も図書館一回の区民コーナーで、折り返しのバスを待った。
八月十二日(月)
大森操車所行きに乗り、若林駅前で降りた。世田谷線の駅とはずいぶん位置が離れる。ここから渋52系統で渋谷駅に行くのだが、反対側のバス停の位置が判らない。駅に近いか踏切の反対側だと判断した。その理由は踏切を過ぎてしばらく行った位置にあるから渋谷駅方面新代田駅方面も踏切を過ぎた位置だらう。しかし踏切を過ぎて先に進むことはせず駅に向かった。
三軒茶屋方面のホームには、地図が無い。下高井戸方面のホームで広告の地図があり、これにバス停が載ってゐた。それによると大森操車所方面の真向かひだ。スマホで調べると1分前に発車し、次は40分待たされる。ホームで電車を二回見た。二両編成を連接台車(二両の中間に台車)でつなぐことと、車掌が乗務することを始めて知った。私は鉄オタではないから、社会全体の一部として鉄道を見るだけだ。ただし路面電車については、欧米のライトレールみたいに発展させることが社会に必要だから、関心の度合ひが多少高い。
ファミリーマートに行くと、澤乃井が4列、多磨自慢が1列ある。多磨自慢は辛口と書いてある。食事コーナーがあるが、飲酒禁止とある。ここからが取引だ。バスを待つ間、多磨自慢一本を飲んでいいか訊くと、それはちょっと遠慮いただいていますと云ふから、そのまま店内で一番涼しい食品コーナーの前で商品を探すふりをして10分涼んだ。買はないのに店内で涼むのは失礼だが、多磨自慢を買ふことを申し入れたし、商品を探すふりをしたから問題ない。
体が冷えてから外に出て、踏切を見た。ここは信号式だが、電車と連動してゐる。電車が来ないと、黄色の矢印にならないし、電車が踏切を渡り終へる手前で、歩道の青信号が点滅を始める。最初は偶然かと思ったが、信号が変はって早く踏切に進入した場合と遅く進入した場合を比べて、どちらも同じ結果だ。
渋52系統に乗ると、次の交差点を森91みたいに地下道を通らず地上を行くから、小田急バスの車庫が見えた。さういへば道路渋滞で歩いたときも、交差点に小田急バスの車庫があり、驚いたことを思ひ出した。右折すると更に驚く。少し先に東急バスの折り返し所があり、それは路線図で確認済みだが、折返所のバス停は渋51だけで、渋52はその先の代田中筋に停車した。
渋52が渋谷方面に向かふときだけ、東急百貨店本店前を経由することも始めて知った。このバス停でたくさんの人が乗車したことも驚きだった。ここから駅まで無料バスがあるはずだ。渋谷駅で降りた人は少ないので、多くの人はそのまま乗り続けた。
同じバス停から幡ヶ谷折り返し所が出ることも始めて判った。今まで何回も利用はしてきたのだが、実際に乗らないと渋52の印象が残らない。
バスは3分前に出たばかりだった。東急百貨店東横店に入り、中を歩いた。来年閉店になるからだ。既に3館のうち東館は取り壊された。昭和三十年代の雰囲気を残す建物だ。地下鉄銀座線の出口が直結なのも珍しい。
このあと幡ヶ谷折り返し所までバスに乗り、新宿まで歩いた。十五時五十分だったが、ゆっくり歩くと暑くはならなかった。(終)
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