千三百三十 南浦和教会による一般への布教は大歓迎、日蓮正宗による布教妨害は悪質
己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
七月十四日(日)
予て書いたやうに、南浦和教会の主日礼拝に参列した。新しいところに参加すると、多くの気付きがある。最初の気付きは「止」と「観」だった。
前にも書いたが、すべての宗教は、他の宗教を自分の宗教で解釈することができ、つまり仲間だと思ふことができる。原始の仏道の立場だと、すべての宗教は瞑想の方法だと解釈することができる。キリスト教も、イスラム教も、儒教道教神道ヒンドゥー教も、大乗の仏道も、すべての宗教は瞑想の方法と解釈することができる。
今回、瞑想を「止」と「観」、つまり精神の安定と、智慧の取得に分けて考へると、キリスト教のこの部分は精神の安定、この部分は智慧の取得だと判る。実際には両方を兼ねることが多い。
二番目の気付きは、唯物論の解釈が、キリスト教を含む一神教では、無神論かどうかで決めることが一般だ。だから資本主義を唯物論に含めない考へも、確かに可能だ。それはアメリカは別として、ヨーロッパでは株主や役員、従業員が神を信じると云ふことで、間接に神が経営を支配する。
三番目に、讃美歌にも作曲の出来不出来があるものの、荘厳な雰囲気ではすべての讃美歌が有効だ。しかし日本の仏道が讃美歌の真似をしても、うまく行かないだらう。
四番目に、教会はコミュニティー、そして道徳心を取り戻す矯正機能として重要だ。
五番目に、明治維新以降の天皇の在り方は、まさしく西洋における主イエスの立場であり、西洋猿真似が先の戦争と敗戦を招いた。
六番目に、主イエスを中心に隣人愛を説くことは、道徳の良い方法だと思った。
ここまで短い時間ではあったが、気付くことができた。決して何か気付かうと意図して気付いたのではない。式次第に沿って進む主日礼拝のなかで、ふとそんなことが頭をよぎった。つまり全体に占める時間は、わずか0.1%或いは0.01%であった。
説教にシュエス(主悦?)と云ふ人が出て来て、誰だらう、暫く聴いて立場としてはイエスだが。間もなく主ィエスだと判った。これなんかは初めて日本キリスト教会の教派に参列したことによるエピソードだ。
讃美歌の作曲に出来不出来なんて言っていいのか、と眉を潜める人もゐるかも知れない。今回は教会内で感じたことを素直に書いた。出来不出来があってもそれは作曲者の責任だ。あと曲に慣れないと、不出来に感じるものだ。更に、例へ不出来だったとしても荘厳な雰囲気では有効だから、つまりは上出来であり、それはこれまで歌ひ継がれた歴史が証明する。

七月十五日(月)
南浦和教会による一般への布教を称賛する理由は、社会に貢献してゐるからだ。社会から孤立した人が教会にきて、かう云ふコミュニティに参加したいと思ひ、参加するうちに社会でも活躍する。実によいことだ。
或いは、教会に来て隣人愛を聴くうちに、社会でも実践して社会が良くなる。これもすばらしいことだ。
だから、日蓮正宗と称する宗派が独自に布教講演会を実施し、来場した人の中からお寺に参加する人が現れたとすれば、これも良いことだ。それなのに日蓮正宗は布教講演会を実施するでもなく、他の宗教の講演会で妨害の発言をする。
ミャンマーから来日したクムダサヤドーの瞑想指導会でも、同じやうな質問をした人がゐた。この人はどの宗教なのか不明だが、手口が佐藤さんの講演会と全く同じだ。まづ取っ掛かりの質問をする。回答があるとすぐ質問を繰り返す。これの連続だ。
質問を繰り返したからと言って、日蓮正宗に参加しようと思ふ人は一人も出ない。誰もが、しつこい人だなと不快に感じるだけだ。つまり布教にまったく役立たない。実に悪質な考へだ。
南浦和教会から直線で200mのところに、日蓮正宗の寺がある。佐藤さんの講演会のちらしは、我が家にも配布されたから、このお寺にも配布され、講頭だか幹事だか信徒総代が来たのだらう。このお寺について、悪い記憶がある。15年前にたまたまこのお寺の横を歩いたところ、創価学会副会長野崎勲の若死は罰だ、と云ふ新聞が掲示してあった。
野崎さんは創価学会と日本共産党の協定をまとめた人として、宗教界以外にも広く知られるが61歳で亡くなった。その13年前(今から28年前)に創価学会と日蓮正宗は喧嘩別れしたので、野崎さんの死を罰だと報道したのだらう。
尤も創価学会側も同じことをしてゐる。この寺の講頭だか副講頭だかの御子息が浦和市内で自動車事故のため亡くなった。そのことを報道した。この寺の前住職(この時は大きな寺に栄転)の息子が出家したが、総本山の寮でカビアレルギーのぜんそくで急死したことを報道した。前住職も手が震へる奇病になり、久しぶりに皆の前に現れたときは車椅子で惨めな姿だったと報道した。
人間は誰でも死ぬ。早い遅いの違ひがあるだけだ。だから双方とも、罰だと騒いではいけない。

七月二十日(土)
日蓮正宗系の各団体が嫌はれるのは、組織による上からノルマで布教を行ふからだ。布教は、その会派を自分が本心から良いと信じ、その喜びを他人に語るところから始めなくてはいけない。その手段として佐藤さんが講演したのだから、南浦和教会の布教はよいことだ。
日蓮正宗の布教で唯一良い例は昭和四十五年辺りまでの創価学会だった。国内全部に布教すると云ふ目的をもって行ったのだから、実現可能かどうかは別にしてこれは尊い。私は、言論出版妨害事件のときに正面から論争をし、日蓮正宗側も戒壇本尊の後世作を認め、貫首絶対論も放棄することで、1/3弱までは行ったと思ふ。
牧口常三郎が日蓮正宗を選んだのはまったくの偶然だった。田中智学の国柱会は本門宗(戦争中に東條内閣の指導で日蓮宗と統合)の北山本門寺と組んで布教を行った。北山本門寺と兄弟寺でしかも兄の関係にある大石寺を牧口が選んだのは、田中智学の影響と云へる。当時の国が亡びるかどうかのときの決断だから、敬意を表したい。
日興の門流は、日興と弟子の日目が亡くなったあと、大石寺と北山本門寺でそれぞれ後継争ひが起きた。そのため八つの本山に分裂し、つまり大石寺の貫首が今に至るまで正しいと云ふことはない。これが八本山全体の伝統だが、創価学会の布教で均衡が崩れて、つまり原理主義になった。(本門宗は管長を各本山貫首が輪番で務め、文部省の命令で管長が各本山で説法することになった。本門宗に所属する大石寺は、他の本山の貫首に説法(おそらくは導師も)されることを嫌ひ、文部省に嘆願を続けて独立が認められ、日蓮正宗と公称した。)
日蓮正宗は、貫首が次の貫首を指名した時代と、選挙で選び任期が七年だった時代があり、どちらも伝統の範疇に入る。ところが六十五世堀米日淳が急病になり、たまたま隠居した貫首がゐなかったため、後継に指名され血脈相承の儀式を行った宗務総監細井日達は独裁者になった。創価学会の会長とは蜜月だったため、それまでは各僧侶が弟子を育成したのにすべての得度者を貫首の弟子にした。これは原理主義だ。
そして細井日達が急死し、まづ正信会が濱斥(ひんせき、僧籍剥奪)になり、日蓮正宗と創価学会の超蜜月時代を経て、今度は創価学会も破門になった。
大石寺が原理主義になったのは、60年前だからそれほど昔ではない。大石寺の貫首を宗会などが追ひ出したり(58世土屋日柱)、選挙で選出(64世水谷日昇。おそらく65世堀米日淳)した時代もあり、これは伝統主義だ。

七月二十一日(日)
私は、本籍を持たず各宗派、教派に参加する。これについて、さうは云っても上座の仏道と関係が深いではないかと指摘する人もゐることだらう。これについて説明すると、たまたま職場(移転前)の近くに北山本門寺の布教所を開設した僧がゐた。元は日蓮宗の違ふ本山の末寺で出家したが、後に北山本門寺の系統になった。
その布教所が日蓮宗の宗規で決められた結社として登録することになった。世話人が3人必要で、田中智学の死後に国柱会が分裂しそのうちの一つの立憲養正会の会長と、もう一つの分裂先(名称を思ひ出せない)の開く講演会で受付をされてゐた年配の女性と、私がその役になった。
その私がなぜ北山本門寺の結社から離れたかと云ふと、私が試しに旧妙信講に入会したことがあった。これは戦後の日蓮各宗の歴史を調べるために、誰かがやらなければいけないことだ。私はそのとき予想した。一つ上か二つ上の幹部とすぐに意見が合はず長く活動することはない。しかしそれだけだとこの団体に悪いから母を入会させようとした。その後、私が風邪だと云ふのに二つ上の幹部が強引に池袋の喫茶店に呼出し風邪が長引いたため、この団体とは絶縁状態になり、今では組織名を使用することさへしなくなった。旧妙信講と呼ぶのはそのためである。この組織に入った人間が日蓮宗の結社世話人をするのはまずい。そんなことでここの結社とは、何となく疎遠になった。
余談だが、世話人に立憲養正会の会長だと明記するとまづいかも知れない。だから職業は「団体幹部」で立憲養正会とは書かない。明治の日の集会でこの僧侶に会ふと、また連絡しますので、と話される。しかしその後、話がないのでそのままになる。それだけで仲が悪い訳ではない。
この僧侶から連絡が来ないのは、もう一人の世話役の女性が脳梗塞になった。意識がない姿に僧侶が驚愕し、それまで熱心に手書きで機関紙を出されたのに、これ以降出版せず、それで通信が無く疎遠になった。以上は、上座の仏道に関係が深いときに同時進行だった。
他の団体に所属してはいけないだとか、他の宗教を信じてはいけないと規定があると、おそらく既定のあるほうの団体には参加しなくなる。キリスト教に、他の神を信じてはいけないとあるのは、他の創造神のことで、仏道は創造神について無記(議論しない)だから、問題はない。だから私が教会所属の信徒になったり、総代になる可能性だった皆無ではない。(終)

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