千三百二十八 阿部慈園編「原典で読む原始仏教の世界」を読んで
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月二十一日(金)
中村元さん監修、阿部慈園さん編者の「原典で読む原始仏教の世界」(2000年発行)を読んだので、いろいろと考察をしたい。第一章より前の「原始仏教とは何か?」で阿部慈園さんは
東南アジアや中国・日本などの仏教徒異なってインドの仏教は、宗教の三つの共通要素である(一)教義、(二)教団、(三)儀礼のうちの第三の儀礼の要素を回避し、バラモン僧に死者儀礼をまかせてきたことである。

釈尊の時代はさうだったが、滅後は儀礼を行なふやうになったと、私は今まで思ってきたが、阿部さんは「インドの仏教」であって「当時のインドの仏教は」とは書いてゐない。だとすればこれが仏道滅亡の原因だ。これは重要な話だが、こんなに簡単に、しかも目立たない書き方でよいのか。
次に中村元さんの定めた基準は
(一)『スッタニパータ』や『サンユッタ・ニカーヤ』(相応部経典)「サガータヴァッガ」は、アショーカ王以前のものである。
(二)中でも『スッタニパータ』中の「アッタカ編」と「パーラーヤナ編」とは、釈尊に近い時代の思想を伝えている。
(三)原始仏教聖典のうちの大部分の詩句は、アショーカ王以前のものであるらしい。
(四)現存パーリ語聖典たる「五ニカーヤ」、あるいは漢訳「四阿含」の原本などは、その中にきわめて古い資料を伝えているにもかかわらずむ、その散文の部分は、だいたいにおいてアショーカ王以後に作製編纂せられたものである。

阿部さんは、この基準に従って論を進めるとするが、妥当なところだ。

同じく第一章より前の「原始仏典について」で中村元さんは
経典が尊ばれるようになると、やがて、読誦ということがなされる。そして、お経を読むということが、今日まで続いてきたのである。

それはどの時代のことで、そのきっかけも是非知りたいものだ。仏教学者の今後に期待したい。釈尊が入滅の後は、経典を後世に伝へることは比丘の重要な任務になった。任務を果たすことは、瞑想とともに四向四果に達するための、重要な手段だったに違ひない。
その一方で、バラモン教やギリシャの宗教、イスラム教の影響で読誦が宗教儀式になったとも考へられる。そこを知りたいものだ。読誦に限らず上座の伝統は重要なものだ。伝統を無視して瞑想だけやって成功するなんてあり得ない。せっかくミャンマーで修業したのに日本に戻って伝統を無視し、上座を裏切る人が続出したので、このことを強く思ふ。

六月二十二日(土)
第七章「原始仏教の倫理思想」は編者の阿部慈園さんが執筆され、ここでも三つの要素が登場する。そして
原始仏教は(それにつづく部派仏教・大乗仏教も)第三の儀礼の要素を大きく欠いている。

今回は部派や大乗まで含めてゐる。ブッダの葬儀について
『マハーパリニッパーナ経』によれば、葬儀の導師はドーナという名のバラモン僧であった。葬儀の実質的な準備はブッダと同じカースト(クシャトリア)のマッラ族の人々であった。(中略)以後の仏教徒が、僧俗にかかわらず、各種の儀礼をヒンドゥー方式で行ったことは想像にかたくない。

次に、ダンマパダ126の
或る人々は(人の)胎に宿り、(一)悪をなした者どもは地獄に堕ち、(二)行ないの良い人々は天におもむき、(三)汚れの無い人々は全き安らぎに入る。

を引用するのは良い事だ。

六月二十三日(日)
第八章「原始仏教の在家思想」は山口務さんの執筆だが、私とは波長がまったく異なる。それを指摘したい。
原始仏教経典には、在家者に対する基本的教説として(中略)布施をは、五戒を守るならば死後、天に生まれることができるという教えであるが、(中略)これがすべてではない。/在家者に対して、信・戒・聞・施・慧というように、最後は如実智見の智慧に終わる教えも説かれている。

ここまでは問題ない。しかし
この如実智見は出家者が解脱(悟って)阿羅漢(仏と同じ境地)に達するときに得る智慧と同じものである。(中略)いわゆる在家阿羅漢論である。

まづ阿羅漢を、仏と同じと解説したのはよいことだ。大乗系ニセ学者のなかには阿羅漢は仏より低く、大乗以外は仏になれないと間違ったことを云ふ人が多い。だからこの部分は賛成なのだが、如実智見は阿羅漢と知識では同じになれたとしても、智慧は無理だと思ふ。更には、智慧が同じになれたとしてもそれで阿羅漢なのか。このあと山口さんは経典を引用するから、如実智見なんて云はないで、最初から経典を示せばよいではないか。二十一人の在家信者に対し
仏・法・僧に対する不懐の浄信、(中略)した者は、如来に対して究竟し、不死を見、不死を現証して行動する。

これだけでは、在家のままで阿羅漢に達するか不明だし、二十一人が出家してからかどうかは別にして、該当するかどうかも不明だ。現世のことかどうかも不明だ。
在家者であっても出家者であっても、正しく実践するものは、正しい実践の理由によって、正理の善法を成就する。

(前略)「正しい実践」とは八聖道の実践を指すから、「正理の善法」は解脱あるいは解脱にいたる道をさすと見てよいであろう。
八聖道を実践することと、成功することは別だ。成功してもそれが阿羅漢まで達するのか預流果なのかも不明だ。
この法を成就し、比丘たちも成就し、(中略)優婆塞にして在家・白衣の梵行者たちも成就し、(中略)この梵行は完全なのである。(中略)在家と出家を含む集まりは、涅槃に向かい(以下略)

これも在家者が即身で、それも阿羅漢まで達するかは不明だ。なを釈尊が在世のときは、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆が釈尊の説法を聴く立場で、例外として一部の比丘は後輩の比丘や優婆塞、優婆夷に説くこともあっただらう。釈尊が入滅ののちは、比丘と比丘尼は後世に伝へるため経典の暗記が加はり、説法と云ふ釈尊の代はりも務めたから、これだけでも功徳の積み方が入滅後は大きく異なることになった。
また釈尊在世のときでも、出家者と在家では戒律と瞑想が量と質と両方に亘って異なるから、この経典を以って在家が阿羅漢になる根拠にはできない。
智慧ある優婆塞(男性の在家信者)が重病にかかったとき(中略)釈尊は述べられる。

もしかれが(中略)このように解脱した心を持っている優婆塞と、百年の間解脱した心を持っている比丘とに差異が何もない(以下略)

「解脱した心を持っている」が阿羅漢を指すかは不明だ。「百年の間解脱した心を持っている」は 人と天の間を1回往来して悟る一来果あたりが適正だ。
以上見て来たやうに、経典を四つ挙げたものの論証が不十分だ。今後に期待したい。ここまでは波長が違ふ程度だが、ここから先は一転して許し難い文章が続く。
現存の原始仏教聖典は、釈尊の死後、出家者によって編集されたものであるから、(中略)出家者集団に不都合な経説は編纂時に削除されても不思議ではない。しかし、そのような経説が現存しているところに、在家阿羅漢の思想は仏教本来の考え方であったと思われるのである。

悪質な部分を赤色にした。出家者も在家者も戒律で嘘はつかないから、出家者が改ざんするはずがない。だから山口さんでさへ「そのような経説が現存している」と認めたのではないか。悪質な言論は続き
これに対して、出家優先を主張する伝統的、保守的仏教の出家者集団はどのように対処したのであろうか。彼らは、阿羅漢に到達するためには、出家し、厳しい修行が必要であると考える人々であるから黙っているはずがない。

釈尊在世のままに修行するのが伝統的、保守的だ。山口さんは逆の意味に用ゐた。釈尊は苦行を廃したから、厳しい修行があるはずがない。それなのに「厳しい修行」とするのだから、山口さんは大乗仏教、それも鎌倉仏教に偏っていると解釈できる。この時点でさう考へたが、それはすぐにぼろが出る。このあと5ページに亘って
ところが、大乗仏教になると新たに菩薩という考え方が登場するが、(以下略)

で始まる文章が続く。それなら第八章は「原始仏教の在家思想」ではなく、「大乗仏教の在家思想」と云ふ題で書き、インドに密教が現れる前から大乗も出家者が中心で、しかも日本以外では比丘戒を保つこと、日本でも明治維新の前までは妻帯しないなど戒律を守ったことを論評すべきだ。
今回は中村元さんが監修なのと章の題から内容を間違へて、紹介してしまった。(終)

追記六月二十五日(火)
原理主義は悪い思想だ。これまでの経緯を無視して大昔に帰るから、長年に渡る知恵が無視される。明治維新の廃仏毀釈はその例だ。イスラム過激派もその例だ。
昔の方法が廃れたものの、それに反対する人たちがずっと続き、そののち反対する人たちの意見が採用されたのなら、これは原理主義ではない。
大乗が現れた時代にもし在家主義があり、大乗が現れる前にももし部派仏教に在家阿羅漢の教へがあったのなら、山口さんの説は原理主義ではない。しかしどちらの時代にも、そんな考へはなかった。それなのに膨大な経典から無理やり僅かな文章を探し出し、しかもその解釈には無理があることを、一昨日に指摘した。
原始仏教の時代にも在家阿羅漢の教へなんてなかったが、釈尊在世のときは比丘も説法を聴く立場だから比丘と在家の差が少なく、或いは阿羅漢になった人が僅かにゐるかも知れず、それが在家のままなのか出家してからなのかは不明だが、おそらく後者だ。山口さんにすべきことがあるとすれは、過去の文献から真実を探すことだ。

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