千二百二十一 上座部仏教の書籍三冊
平成三十戊戌
十月二十七日(土)「新アジア仏教史04 スリランカ・東南アジア 静と動の仏教」
図書館で、上座部仏教の書籍を三冊借りたので、内容を紹介したい。「新アジア仏教史04 スリランカ・東南アジア 静と動の仏教」は平成二十三(2011)年に出版された。第一章では
在家信者の積徳行、ミャンマーは仏塔、タイは寺院の造成を重視するという違いがある。(中略)ミャンマーでは境内にはいるまえから靴下ごと脱いで裸足になるが、タイでは建物に上がるときに靴だけ脱ぐ。驚愕面でも、ミャンマーでは地方農村の見習僧さえ阿毘達磨を詠唱しているが、タイでは僧侶でも阿毘達磨を学ぶことは少ない。スリランカやミャンマーで三蔵概説書とされる『清浄道論』は、タイではパーリ文にかんする難解なテキストとみなされ(以下略)
私自身はタイに近い。第四章ではミャンマーでウー・ヌなど政府高官や実業家によって設立されたBTNA(ビルマ仏教タータナー・ヌガハ連合)による瞑想センターの設立に始まり、その流れが今に至る動きについて
瞑想センターとは、相続を問わず、仏教の瞑想、特に内観瞑想法を指導・実践する施設である。(中略)中でも規模が大きいのがマハーシー瞑想センターとモゴック瞑想センターである。
後者はモゴックセヤドーが亡くなったときに一人の信者が設立したもので、高僧の次に在家を挟むところがタイのタンマガイに似てゐる。
第七章では、中国雲南省でラオスやミャンマーと接する二つの州のタイ族について調査結果を載せてゐる。ラオス、ミャンマーと接する西双版納では、文化大革命で出家者が激減したものの、その後復活した。ミャンマー籍の僧侶が果たした役割も大きかった。
徳宏タイ族ジンポー族自治州はミャンマーと接する。
徳宏州は住民の多数を漢族と徳宏タイ族が占める。ここであえて徳宏タイ族と言うのは、西双版納やミャンマー側のタイ族と(中略)相違点も存在するからある。タイ族はビルマ語ではシャンと呼ばれる(以下略)
また
住民は(中略)ミャンマーとの間を往来する。
相違点は
ミャンマー側と同様、寺院はほぼ各村落に存在するものの、ほとんどの寺院に僧侶が存在せず、施錠したままの寺院も多いことである。
1寺院当りの比丘数がミャンマー、タイ、カンボジアが4.3、7.3、5.9に対し、ラオス、西双版納、徳宏では1.9、1.4、0.1。共産主義のラオス、西双版納は、タイなどと比べると半分以下だが、それでも1.0は超える。それに対して徳宏の0.1は異常だ。そればかりではない。
徳宏では、寺院内に居住する見習僧たちが、剃髪はしているものの袈裟を脱ぎ、俗人と同じ服装で生活している姿もしばしば見かける。(中略)いくつの戒を守っているのかと尋ねると、見習僧として袈裟を着用する際には十戒を受け、在家の寺子として過ごす際には五戒を把持するという。
徳宏の寺院当りの比丘数は、文革前が0.3、大躍進前が0.4と、もともと低かった。これについて村の老人は
文革前、(中略)子供たちは農業をやって食っていければよいと両親も考えたため、(中略)学校へ通う子も、出家する子も多くなかった
著者は、西双版納では一時出家の習慣があるのに、徳宏にはないことが理由だとする。
十月二十七日(土)その二「上座部仏教の思想形成 --ブッダからブッダゴーサへ」
「上座部仏教の思想形成 --ブッダからブッダゴーサへ」は平成二十(2008)年に出版された。従来ブッダゴーサの著述と考へられたもののうち、清浄道論と四部註以外は、真作性が疑われてゐるとして除外し、真作のものから次の結論を出す。
まづ小部は、ブッダゴーサにより経蔵に組み入れられたし、しかしその前からブッダの真言との伝承があったとする。小部を除いた四部と、律蔵本体について
法蔵部、化地部、説一切有部、大衆部とほぼ共通するから、インド本土で編纂されたことは間違いない。古資料は、三蔵の冒頭に律蔵が置かれ、律蔵の冒頭に波羅提木叉が置かれ(中略)、波羅提木叉が存続する限り、仏教が存続すると説く。
これは貴重な文献だ。上座部仏法は戒律仏法であり、だからスリランカやミャンマーで仏法が衰へたときは、相手国から戒律を逆輸入した。戒律が守られれば、仏法は永遠に続く。
上座部仏法は、パーリ語仏法でもある。パーリ語を学ぶことは、膨大な時間が無駄になる。それにも関はらずパーリ語の仏法を伝へる目的は、ブッダ時代のやり方を自分たちの世代が修行するとともに、後世にも伝へるためだ。そこまで努力するのだから、ブッダゴーサが上座部仏法と他の部派仏法の分岐点になっただとか、ブッダゴーサが上座部仏法と大乗仏法の分岐点になったなどと主張してはいけない。
十月二十七日(土)その三「上座部仏教の政治社会学」
「上座部仏教の政治社会学」は昭和五十(1975)年に出版された。上座部仏法が日本に入る前だから、当時の貴重な資料である。上座部仏教に試験が多いことは、修行第一の仏法とは異なるのではないか。こんな疑問が前からあった。しかし近代にいたる前にも使役逃れで出家する人が多く国力減衰となるため、試験で成績不良比丘を還俗させたことや、試験の近代化の課程など、なるほどと思った。(終)
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