千三百十八 1.NHK批判(民放を含めてすべてのマスコミは堕落する)、2.JR東日本批判
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
第一部NHK、民放を含めてすべてのマスコミは堕落する
五月三十日(木)「緊急取調室」「相棒」
本日は午後半休を取った。駅から家まで歩いたときに暑いので、夕方銀行に行くことにして、それまでテレビで緊急取調室3#6「被疑者はウサギ!?保育園に潜入 責任感の強すぎる女」と相棒8#6「フェンスの町で」を観た。
前者は保育園児がウサギのぬひぐるみに誘拐された。そして父親が死んでゐた。父親の死は保育園児のいたづらが原因。たまたま訪問した保育士がみつけ、園児のためひと芝居打ったのだった。ストーリーに無理があると云へば多少はある。しかしそれを感じさせない緊急取締り室の人間関係と、保育士の行動だった。
後者は、米軍基地がある街で、二人の中学生の起こす爆弾騒ぎ。二人が不仲を装ひ喧嘩のふりをするもののまったく怪我をしない。普通なら周囲も変だと気付く筈だ。ストーリーにかなり無理があるものの、それを感じさせない杉下警部とその周りの人間関係、米軍基地と云ふタブーに近いものを扱ふ作品だった。
どちらの番組も良好な出来だったのは、緊急取調室は今回で三作目、相棒は八作目の再放送で現在は十七作目。前者は堕落が無く、後者は堕落が少ない時期のものだ。ここが五十八作目で堕落のひどいNHK大河ドラマとの相違だ。

六月一日(土)「いだてん」再放送
前回のいだてんは見なかった。今回は本日の再放送を久しぶりに観た。これが何と面白く、優れた出来だ。だからと言ってNHKは喜んではいけない。なぜ回によってこんなに出来不出来が激しいのか。
最初は演出者の力量だと思った。しかしそれだけではなく、脚本を放送用に改良する人がゐるのではないのか。不出来の回があるから外部の人間ではない。NHK内部に、つまらない脚本に変へる人間がゐるやうだ。
今回は(1)テンポ、(2)人間関係、(3)登場人物は感じがよいか傲慢さはないか、(4)劇中の音楽。これらすべてが合格だった。

六月四日(火)テレビは堕落する
数日前に民放のテレビドラマで、なぜこんな人たちが主役と脇役なのかと思った。それが原因ではないが、途中でスヰッチを切った。だからその番組名は出さない。数日前と云っても「緊取」「相棒」ではない。
過去にもなぜこの人が、と感じることがたまにあった。芸能事務所が押し込んだか、親の七光りか。どちらも放送局の堕落が原因だ。放送局が公正に人選すれば、芸能事務所と親の七光りは役立たない。

六月八日(土)なぜテレビは他社の「不適切な取材・放送」を報じないのか
Yahooニュースに、上智大学教授、元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター水島宏明さんの
なぜテレビは他社の「不適切な取材・放送」を報じないのか 読売テレビの件で考える

と云ふ題の記事が載った。その理由は、地上局の数が少ないことだ。地上局が無限にあれば競争になるから、互ひに批判し合ふ。数が少ないから慣れ合ひになる。NHKは廃局にすべきだ。他のテレビ局も一年おき、或いは半年おきに入れ替へるべきだ。半年おきなら番組を作っておいて残りの半年でまとめて放送すればよい。

六月九日(日)昨日の「いだてん」
昨日再放送の「いだてん」は、途中で三回スヰッチを切りたくなったが、我慢するうちに、最後は良くなった。我慢強くなることがこの番組の特長だ。
金栗がドイツを放浪し前回と同じやり投げのやりが飛んでくる場面は、前回はともかく今回の二回目は退屈だ。それに続くドイツ人女子選手たちとの展開は今回初めてだが、外国語がほとんど通じない。このやりとりは、視聴者を不快にするだけだ。ここは脚本がさうだったとしてもNHKが演出が無理だとして変更し、通訳をつけるべきだ。脚本をつまらなくするのはNHKの得意技だが、演出が無理なところを直さないのはNHKの寝技だ。
二回目は若き日の志ん生がさいふを盗む場面で切らうと思った。若き日の志ん生役は外れだった。森山未来が下手だと云ふのではない。役と合はなかった。NHLの堕落が人選ミスを起こし、森山未来の未来はやや暗いものになった。三回目は若き日の志ん生、人力車夫などの飲み屋でのつまらないストーリー。これなんか人選ミス組をどこかで使はなくてはと、無理に入れたのではないか。或いは脚本の原作にあったのなら、一年間の放送時間の長さが原因の膨らませ過ぎだ。
志ん生役のビートたけしが寄席で話すと、笑ひ声の録音を流す。これは笑ひ場面の強制でよくない。面白いかどうかは視聴者が判断する。このやり方は、民放が40年くらい前にタモリの番組で始めた。あの番組は機転のきくタモリの話し方が人気の秘訣で、笑ひ声は批判の対象とはならなかったが、あの番組は人気があったからまだよかった。不人気の「いだてん」が同じ手法を用ゐてはいけない。
最後まで見てよかったと感じたのは、シマの結婚の場面だ。ドラマは視聴者が応援しようと思ふ人がゐないと駄目だ。応援しようと思ふのはこれまでに今回のシマのほかに、前回あたりから永井道明、ずっと前では橘家円喬。主役の金栗が違ふタイプだったことは低視聴率の主因ではあるが、NHKの人選、演出が悪い。劇伴は今回よかった。(終)

第二部JR東日本批判
六月四日(火)
JR東日本が、公共事業の使命を忘れた高輪ゲートウェイといふ醜い駅名を撤回するまで、国民は批判を続けよう。夕方の帰宅時に、新宿始発の埼京線に乗って発車を待ってゐたら、ホームの放送が「次の始発電車は三番線から発車します」と云ふ。慌てて降りて、階段を上り下りし三番線で行ったたら、二番線の始発電車が発車した。つまり二番線に停車中の次の始発電車は、時刻表だと三番線の発車だが、ダイヤが乱れたためこの日に限り三番線と云ふことらしい。
ずいぶん不親切な放送だが、一回目だから大目に見た。だから本日と五日の分は、七日にまとめて書いた。

六月五日(水)
本日も帰宅時に遅れた。二番線は始発電車が停車中だが混んでゐるので(前が湘南新宿ラインのときは、始発電車でも混む)、ホーム上に数人が次の電車を待って列を作る。私もその後に並んだ。ずいぶん経ってから、ホームの放送が「次の始発電車は三番線から発車します」と云ふ。昨日と同じケースなので三番線に行ったら、場所によっては既に六列(一つの扉は二列だから十二人)が並んでゐた。
二番線は次の電車を待つ人が列に並ぶ。それが見えながら長時間放置し、放送をしたときは、既に隣のホームに座れないくらい列ができる。新宿駅は電光掲示板が不適切だから、昨日も本日もホームに降りて放送があるまで、ダイヤが乱れたことは知らなかった。ましてや発車番線の変更も電光掲示板には表示されなかった。変更後のホームに列ができたことは、私がホームに行った後に電光掲示板が変更されたのだらう。

六月七日(金)
二日遅れたあと、昨日は遅れなかった。ところが本日は遅れた。一週間で三回目だ。今回は遅れが大きいので、3本前の始発電車が2番線に停車してゐた。混んでゐるので乗車せずホームの列に並ぶうちにこの電車は発車し、次の折り返し電車が入線し無事乗車できた。
大崎方面から来る電車は、少し遅れる程度だ。大崎方面から赤羽行きが数分遅れで発車したあと、18時17分の所に17時57分の始発を入れた。これは問題ない。問題はないが、2番線の電光掲示板は18時10分を過ぎても、次の電車は17時57分と表示されたままで、いつ発車するのか分からない。
本来2番線から18時8分に発車する折り返し電車を先に3番線に入れたあと、2番線の17時57分発を18時20分に発車させた。これは問題ない。
本来18時17分に発車する電車は戸田公園で快速に抜かれる。応用性のあるダイヤ変更なら17時57分の次に大崎方面からの通勤快速を入れて戸田公園で抜くが、機械的なダイヤ変更なら3番線の始発を入れるだらうと予想したところ、後者だった。
2番線を18時20分に発車したとき、隣の3番線は空席だらけだった。それは当然で前の始発が発車するときに、次の始発が停車してゐることは普段ならあり得ない。
始発を2本続けて、しかも後者ががら空きだと、その次の通勤快速が混む。すると新宿、池袋、赤羽で遅延が増大する。運転指令、駅員、運転士、車掌は混んだ客室にゐないからよいが、通勤快速の乗客はたまったものではない。もっと乗客の立場でダイヤ変更をすべきだ。
ここで通勤快速を先に発車させると、大宮や川越で折り返し後の運転士、車掌の手配が複雑になる。それを防ぐために、運転士と車掌は後発電車と交代する方法がある。車両と乗務員の分離である。

六月八日(土)
遅れた電車が赤羽に到着するとき、車内では「この電車は戸田公園で通勤快速に抜かれます。武蔵浦和、大宮から先にお急ぎの方は、後から来る通勤快速にお乗り換へください」と放送があった。金曜は抜かれないので無かった。残りの二日はおそらくあったが、もしかすると一日だけだったかも知れない。
電車が遅れたから、赤羽で後から来る通勤快速に乗り換へようとしても、満員で乗れない。この場合は「この電車は戸田公園で通勤快速に抜かれますが、本日は電車が遅れてゐるためお急ぎではない方は、引き続きこの電車をご利用ください」と云はなくてはいけない。(終)

「NHK、JR東日本その他の横暴を許すな100」「NHK、JR東日本その他の横暴を許すな102」

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