千三百十一 長谷川三千子さん「神やぶれたまはず」を読んで
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
五月二十三日(木)第一章折口信夫「神 やぶれたまふ」
長谷川三千子さんの講演「神やぶれたまはず」を聴いて、著書「神やぶれたまはず」も読まなくてはと思った。読み始めると、最初は頭を素通りしてしまふ。二回目に読んでも頭に入らない。三回読んで感想を書ける状態になった。これは長谷川さんの神道色が濃ひ文章と、神々は釈尊の説法を聴いて成仏するとする私の仏道式との違ひによる。
更に、明治維新以降の天皇を神とする長谷川さんと、法皇や天皇も仏道を信じるとする私の江戸時代以前式の違ひによる。
神こゝに 敗れたまひぬ--。/すさのをも おほくにぬしも/(中略)/たゝ゛虚し。青の一色/海 空もおなじ 青いろ--。
と折口信夫の詩で始まる第一章は、天皇と云ふ神がゐながら敗れたことの衝撃を折口と長谷川さんが別の時代から感じたものと云へる。私自身は、薩長の権力者たちが天皇の神格化で政府の威厳を保って来たことと、日清戦争、日露戦争によって天皇の神格化が高められた時代背景が敗れたのであって、第八章に出て来る三島由紀夫の
「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。(以下略)」
に近い。勿論莫大な人々が犠牲になったことは痛恨事であり、これは西洋野蛮人どもが近代に起こした数々の戦争の一つである。日本が悪くて米英仏蘭は正しかったなんて考へてはいけない。それでは仏道式に見ても神道式に見ても我々の周囲にゐるたくさんの神々が敗れてしまふ。
五月二十四日(金)第二章橋川文三「『戦争体験』論の意味」
いまなほ、八月がめぐってくると、「戦争体験を語りつがう」といふたぐひのことがしきりと語られる。(中略)なぜ語りつがねばならないのか?
私も同じことを感じる。語り継いでも次世代の人はもう語り継がない。そのことが判ってゐて語り継がうと主張するその偽善は、今の時代さへ良ければいいとするものだ。戦争を体験した人たちは、東條英機の敗戦責任には怒っても、決して天皇や日本政府には怒らなかった。
戦争体験の話は、ソ連に決起して大量に捕虜となり、立つのがやっとの建物に押し込められた話を聞いたことがある。ソ連に決起と云ふから終戦後の捕虜時代かも知れない。長時間閉じ込められるから気が狂ふ人が出て来る。するとソ連兵が連れ出して外で殺したといふものだった。
そこには敵を憎む気持ちはあっても、日本への憎しみはなかった。戦争体験者たちが我々に語り継いでくれたことはこれだった。長谷川さんは「なぜ語りつがねばならないのか?」の答として
そこに「絶対的な戦争をやった経験」を見ようとしないならば、そんなことをしてなにになるのか。
私は先の戦争を西洋野蛮人の近代化の歪みが秩序を破壊したものと捉へるから、絶対的な戦争だとは思はない。それにも関はらず長谷川さんの著書を読み、今ここに好意的に論評を加へるのは、逆の意味で「絶対的な戦争」と捉へる人が増えたためだ。米英仏蘭が正しくて日本が間違ってゐるとする「絶対的な戦争」である。これの悪いところは社会が虚無化する。或いは日本が西洋化する膨大な年月の混乱に人々は耐へられない。そればかりかその間に西洋は更に変化するから永久に追ひつけない。そもそも西洋野蛮人のやることは地球破壊だから、追ひつく前に地球が滅びる。
五月二十五日(土)第三章桶谷秀昭『昭和精神史』、第四章太宰治「トカトントン」
「あとがき」に桶谷氏は「昭和精神史における”戦後”とは、大枠において、過去の日本を否定し、忘却しようとする意識的な過程である」と述べてゐて、これはまさに「敗戦後遺症」そのものと言つてよいであらう。
ここまで長谷川さん、桶谷さんと完全に同意見だ。しかしここから先は、長谷川さんの云ふことがまったく判らなくなる。
ところが、かうした(中略)「大きな変質」のうちに、桶谷氏は、ただ「敗戦後遺症」と言つて片づけてしまふことのできない、或るわかりにくいものを見出してゐる。
「わかりにくいもの」とは「無表情な虚無」と「天籟」だと云ふ。なるほど天皇の権威が国民を混乱から救ひ秩序をもたらした。
ここから第四章に入り長谷川さんは『昭和精神史』第二十章の
太宰治は八月十五日正午に『天籟』を聞き、その記憶を持続しつづけ、それを表現した数すくない文学者のひとりだった
を引用する。そして桶谷さんは太宰治の小説を引用する。厳粛な雰囲気で死なうと思ったとき、金槌を打つトカトントンの音が聞こえ、悲壮も厳粛もなくなった。
しかしその小さな音は、私の脳髄の金的を射抜いてしまつたものか、それ以後げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまはしい癇癪持ちみたいな男になりました。
これについて長谷川さんは
精神病理学者がこれを聞けば、それは癇癪ではなくて、鬱病の一症状、あるいは統合失調症にともなふ離人症的な症状の一つと考へられる、などと診断するのであらう(以下略)
とする。このあと長谷川さんは三島由紀夫の自決する数ヶ月前の
日本はなくなって、その代はりに、無機的な(中略)経済的大国が極東の一角にのこるのであらう。
を引用し
ここには、いはばすつきりきよろりとなつてしまつて悲壮も厳粛も消え失せた<トカトントンの日本の姿>がある。
ここは再び同感だ。長谷川さんはその後四十年経過し
もはや「或る経済的大国」すら残りさうにない、(中略)やはり何らかの精神の活力といふものは不可欠なのであって(中略)「きよろり」となつてしまつては、単なる「経済的大国」でゐつづけることすらできないのである。
ここは更に事情が複雑だと思ふ。日本は戦後、欧米に追ひ付くことを目標にした。それは戦前と同じだが、(1)「西洋化が長期に亘り進むことによる社会と精神の混乱」と云ふ副作用をもたらした。そして西洋に追ひついた途端、(2)目標を失った。更に(3)戦前成人になった人の比率が減少するにつれ社会が劣化した。また(4)米ソ冷戦が終結し、社会から緊張感が無くなるとともに、アメリカ崇拝がひどくなった。
社会の混乱は(1)~(4)の結果だが、(5)地球破壊により贅沢な生活を続けられるため、問題意識を消失するとともに、既得権層が現れた。
対策として、世界中が化石燃料の使用を停止し、全体が昭和三十年代の生活に戻れば、すべての問題は解決する。難しいのは日本だけでやる訳には行かない。世界中でやる必要がある。
ここで(3)について説明をすると、決して戦前がよかったと云ふ意味ではない。戦前は戦前の偏向があるし、戦後は戦後の偏向がある。今の人は前者に気付いても、後者に気付かない。二番目に戦後の教育はマッカーサーが押し付けたものだから、自主的に取り入れた戦前と比べて弊害が大きい。私が(3)を云ったのは、戦前の人が多いときは全国に革新知事、革新市長が誕生したのに、戦後の人が多くなったら社会を破壊することばかりをする。その事実を述べただけだが、戦前回帰と誤解されるといけないので、後付けで理由を考へた。
五月二十六日(日)まとめ
第五章以降も、私と長谷川さんの違ひはそのまま続く。これは私が今まで続いたものを守ることが伝統であり保守だとするのに対し、長谷川さんは古事記や日本書紀の時代に戻ることを保守と考へるためだ。
今の日本は、自由主義を中心に、長谷川さんのやうな思想と、私のやうな思想が反対側に展開する。これは、かつての左右とは別の次元だ。一番古いものと、長年続いたもの。どちらを基準にするかの違ひだ。望ましいのは、二つの思想が連携することだ。
第五章以降を論評することは、二つの思想の違ひを明らかにするには役立っても、連携には役立たない。だからこれで今回の特集は終りにしたい。
二つの思想が連携する理由は、もし江戸時代のやうに自由の不足した世の中なら、自由主義との連携が必要だ。自由は不足してゐない。そればかりか自由を叫ぶことは西洋かぶれを増大させる。これまた西洋思想が過大な現在の日本には有害だ。(終)
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