千三百一 長谷川三千子さんの講演を聴いて(昭和の日式典)
平成三十一己亥年
四月二十九日(月)
かつて小林よしのりさんと西部邁さんが、西尾幹二さんと反米拝米を巡って保守言論界を二分する激論になったときに、西部さんが長谷川三千子さんから支持する手紙をもらった、本人には公表を事後承諾だが、と話された。或いは、西尾幹二さんも心情は反米のはずだが、と話された。私ばかりか国民の多くが保守派を再評価したのはこのときだった。
そんな経緯があり長谷川三千子さんの講演を一回聴いてみたいものだと思っていた。そして昭和の日式典で講演されることを知った。第一部は長谷川さんの隣に衆議院議員の杉田水脈(みお)さんが座り挨拶もされた。私は毎年、客席の真ん中か後方に座るのだが、今回は最前列舞台に向かって右側に座った。だから第一部は、長谷川さんと杉田さんを斜め前に見る位置だった。
祝電は国会議員の古屋圭司さん、有村治子さん、山田宏さん(新自由クラブ、日本新党、新進党、日本維新の会)、山谷えり子(民社党で落選、民主党、保守新党で落選)。全員自民党だが、それ以外に所属した人は括弧内に書いた。山田さんと山谷さんは労組が支援する政党に所属したこともある。全員が立派な保守政治家であり、安倍みたいに保守政策やその他の政策を出したり引っ込めたりするのとは異なる。

四月三十日(火)
第二部は、まづ元宮内庁掌典補三木善明さんの「宮中の祭祀に奉仕して」。神社本庁が発行した「国やすかれ 民やすかれ」「御代替り」と二冊の小冊子にすべて書かれてゐると話されたあと、1月1日の四方祭について、朝五時半の寒い中を前庭に畳を敷き屏風を細く開け、伊勢の神宮、四方の神々などを遥拝されると説明があった。
「四方拝 呪文」で検索すると孝明天皇のときまで唱へた呪文が出て来て、この世で起こる災難は私が引き受けるので国民を守ってください、との意味で、精神は今も変はらないと云ふ説明があった。
天皇と皇族方は拝礼のとき、日本が平和で繁栄することと、国民がはんねい(聞き間違ひで正しい単語が判らず)に暮らせることを祈るといふ話もあった。
以上は大変貴重なお話だったが新しい元号について、万葉集から採りいつまでも属国ではなく政治の話はこれくらいで、と軽く話された。ご本人も事情が判るから以上の話し方をされて、それは公平で誠実な話し方なのだが、一つ間違ひがある。属国だと言ってしまふと、歴代の元号はすべて属国になってしまふ。また古文書は中国日本ベトナム朝鮮半島共有の財産から、今の中国単独のものになってしまふ。
古文書と今の中国は国が異なり、古文書の入った日本は今でも国が続くから、日本こそ最も古文書と縁が深い。判り易い例を挙げると、徳川家康の弟の子が超長生きで平成年間も生きてゐるとする。その人は家康の子ではないが、家康直系の何十代も後の子孫に比べれば、血縁が家康に近い。そんな長生きをする人はゐないが、日本と云ふ国はずっと続いてきた。つまり漢や唐から日本に入りそのまま同じ国に留まるものと、漢や唐は国が幾つも変はったから、漢籍との血縁は日本が一番近い。

長谷川三千子さんの講演は、私のメモでは次の内容だった。
平成に日本は退化。元首相森さんの「天皇を中心とした神の国」で炎上。キリスト教信者が騒いだ。神の国は最後の審判。
明治神宮で和解女性も鳥居の下で少し頭を下げるのを見て安心。良い事があって「おめでとう」ではなく、新年は皆が「おめでとう」。歳旦祭は全国の神社で実施。
日本語の判らないGHQが憲法を書くから「象徴」と云ふ判らない単語。象徴と云へば富士山、船で海外旅行する時代は富士山が見えると涙が出た。憲法一条前半はそれほどかけ離れてゐない。後半の「主権」は日本に合はない、力で統治の意味。竹に木を接ぎ木ではなく、竹にプラスチック。
九条はすべて放棄だが、最低必要な力は必要。
自民党は祝電でも、昭和は「激動と復興」。委員会で統一したのでは。
大抵の王国は戦争に負けると王制の変更か、最低でも王様が変る。どうして同じ天皇だったのか。
御聖断と云ふ言葉は語弊がある。明治憲法の第一条を読むと天皇に権力があったみたいに見えるが、権力をふるふことはなかった。拒否権すら使はれなかった。終戦は閣議がちょうど半分に分かれた。全員が天皇に聖断を求めた。
花園天皇の日記に、水害をわが身に代へてもとある。終戦のときは天皇と国民が互ひ命を捨て合はうとした。そんな国はなかった。

以上のお話があった。「神の国」については、キリスト教徒に考慮し「神々の国」と云へばよかった。神には二つ意味があり、日本語には複数形がないから区別し難い。神々とすれば誤解はない。(終)

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