千二百九十五 1.ミャンマー経典学習会、2.サーサナワンサ比丘(日本人)の来日
平成三十一己亥年
四月十四日(日)開始前
本日の経典学習会は、出席が危ぶまれた。昨日の夕方、借した家の住人から電話があった。便所が詰まって業者に来てもらったところ、排水管の工事やり直しが必要だという。この時点で経典学習会に出席できる可能性はほとんどなかった。
今朝九時に現地で待ち合はせ、その前に排水業者の電話番号を幾つか調べた。家の周りのマンホールを空けると便器が詰まっただけと思はれる。業者に電話を掛け、午前中に来てもらへることになった。
あとの対応を賃借人にまかせ、そのまま在日ミャンマー人のお寺に向かった。西船橋から東西線に乗り換へるので、菊名に住んでゐたときと同じやうに千川で降りた。土日回数券が2枚残り残存期間が二週間なので、そのうちの1枚を使った。 ミャンマーのお寺に行くときは、長いこと千川駅前のスーパーライフで昼食を購入し、お寺から150m離れた児童遊園で食べた。休憩時間に行く便所のある小公園である。 後に、サミットがセブンイレブンの隣にできて、ここで購入し児童遊園で食べるやうになった。このころ途中の水道塔が撤去され、ポンプ塔と公園になったので、ここで食べることもあった。更に、サミットは店内に飲食コーナーがあることが判り、飲食コーナーで食べるやうになった。更に、学習会が始まる前の1時間の自主瞑想が30分に短縮され、家で昼食を食べてから来るやうになった。 今回は、ミャンマーのお寺に行けることを想定しなかったため、サミットカードを持ってこなかった。Tカードも持ってこなかった。ローソンカード(今はポンタカードとして有効)は常時持つため、スマホで調べると千川駅前に100円ローソンがある。
と云ふことで、一番理想の昼食方法になった。ポンプ塔の公園で食べた。貸家から直接来たため、お寺へは12時半に到着した。
お寺の到着時刻は昔は12時半頃だった。1時前に着くやう千川駅まで乗るのだが、私は歩くのが速いから12時半に着いてしまふ。家で食べてから来るやうになって12時50分頃付くやうになった。その後、学習会開始前の自主瞑想が30分に短縮され、お寺到着は更に遅くなった。
今回は初期のころの到着時間だが、早起きは三文の得に似て、早い到着は御利益があった。何とミャンマーで七年間出家をされてゐる日本人のサーサナワンサ比丘にお会ひした。次の貴重なお話を聴けた。
ミャンマーは人づての社会なので、シュエディンならどこでも泊まれる訳ではない。ツダンマでもつてがあれば泊まれる。
しかし儀式はいっしょにやってはいけない(シュエディン側が禁止。今は多少緩くなったかも知れない)。
モーラミャインに6年、ヤンゴン近くのタウチャンで10か月修行をしてゐる。


四月十五日(月)学習会
今月は、ダンマパダ(法句教)104、105、115偈について解説があった。104と105はバラモン・アナタプッチャッカの物語で
「自己に克つことは、他人に勝つより優れる。行ひをつつしみ事故を整へる人の勝利を敗北にすることは、神もガンダルヴァ(天の伎楽神)も悪魔も梵天もできない。」
アナタプッチャッカと云ふバラモンがある時、ブツダのところにきて「あなたは有益な実践は知るが、不利益な実践は知らないでせう」と言った。
ブッダは不利益だけではなく有害な実践も知ってゐると答へた。財産を散逸させる六つの行ひについて
一、日が昇るまで寝る
二、怠け癖
三、無慈悲
四、いつも無酒に酔ひ、だらしない
五、とんでもない時間に街をうろつく
六、性的な不道徳
ブッダがバラモンに生計を立てる方法を尋ねると、サイコロ賭博と答へた。時には勝ち、時には負けると云ふ。ブッダは「サイコロ賭博の勝利は、煩悩に対する道徳的勝利に比べたら、どれほどでもありません」と言った。

六つに該当する人とは友人になってもいけないと解説があった。五戒は自分に、六つは友人になってもいけない。
115はバフプッティカ尼の物語で
「最上の真理を見ないで百年生きるより、最上の真理を見て一日生きたほうが優れる」
七人の息子夫婦、七人の娘夫婦と暮らす夫婦がゐた。父親が亡くなり、母親は財産を個に与へなかったので子共たちは母の面倒を見ると言って説得し、財産を分与させた。ところが子供たちは態度を一転し冷たくなった。
母親は比丘尼になりバフプッティカ(子だくさん)尼と呼ばれた。雑務をしたあと、一晩中ブッダに習ったダンマに従ひ瞑想した。ブッダが神通力でそれを見て、輝きを出し彼女の前に坐ってゐるやうに見え「私が教へたダンマを実践しないなら、百年生きても役に立たない」と言った。

これについて、年令ではなくワサなので雑務をやり瞑想もやった。後に阿羅漢になった、パラミがあったから。以上の解説があった。

四月十九日(金)新寺院の寄付
3か月前のオバササヤドーの学習会の終了後に、ミャンマー語を勉強してゐる既婚の日本人女性の方が、新しいお寺購入建設の寄付をされた。
私は前に母から、お寺購入建設に3000円預かり、それとは別に買物用にお金をもらったりするので7000円追加し、先月寄進しようと思ったが、学習会終了後にその機会がなかった。
今回のトゥーミンガラ比丘の学習会のあと、寄進される方がゐて一旦僧堂に引き上げた比丘に再び本堂まで戻って頂き、寄進の儀式をした。私も、領収書と半券に母の氏名をローマ字と漢字、住所、金額10000円と書いた。半券は綴りなので切り離して、お金の入った封筒と領収書を銀のお更に載せ、寄進者が持ち比丘が手を添へ、比丘に続いてパーリ語を唱へた。
家に帰ったあと、上座の仏法はお釈迦様の時代から続くから、この領収書を閻魔大王に見せるとどこにでも行ける、と母に説明した。上座に閻魔大王が出て来るかと云はれさうだが、話は聴く人に合はせて、寄進した人が満足するやうにしなくてはいけない。

四月二十日(土)新寺院の寄付
1階でお茶を飲み、ミャンマー風チャーハンと鶏肉を御馳走になりながら、日本人比丘が戻るのを待った。5時の予定が40分伸びたが、弟さん一家といっしょに戻って来られた。一家の写真を仏像の前で撮り、弟さん一家が帰られたあと、質問形式で次のお話があった。
パオの学習寺院にゐる。ミャンマー語、パーリ語の暗記。外国人が他にもいるので発音が違っても何とか許容される。(外国人の発音が間違ってゐるとは限らない。ミャンマー語のなまり)
瞑想は夜のチャンティングのあと四十分のみで不十分。ダンマチャリなど試験対策。ミャンマー人は六年で予定組む人が多い。外国人はそこまでは予定を考へない。
比丘の種類に、修行、瞑想、経典、説法、戒律。あと日本に帰国するのかどうか。もちろん涅槃を目指すのが目標だが、どの種類の僧侶になるか。一旦は疑ってみるので、瞑想だが経典で周りを埋めようと。
還俗する人の半分はインターネットが原因で問題になってゐる。小さいとき沙弥で出家し世間のこと知らなくてもインターネットを見て還俗してしまふ。外国人で同じ時期に出家した人で、サマタ終りヴィパサナに行った人でも、ほとんど還俗してしまった。
日本は明治以降、西洋の影響で文献学。上座部の伝統を無視。

以上の貴重なお話があった。一番最後の、西洋の影響で文献学と云ふのは、耳の痛い指摘だ。私自身は、中村元さんなどの研究のうち、大乗の影響を受けたり上座に敵対する部分を除いたもの(中村さんに上座敵対はほとんど無いが)を用ゐるとともに、上座の伝統にも従ひ、科学万能の世の中を乗り越へるものにするとともに、すべての宗教とすべての民俗文化を合はせて、西洋人の始めた地球破壊を停止させたいと考へてゐる。(終)

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