千二百九十一 宮元啓一さんの著書(3.「わかる仏教史」)
平成三十一己亥年
四月十三日(土)はしがき
3.わかる仏教史(2001年)は1.ブッダが考えたこと(2004年)と2.仏教誕生(1995年)の間に出版された。はしがきに
本書で、少しくどいほど、三昧は智慧を得る手段ではありえないといっているのは、文献上の事実、理屈もさることながら、みずからの実体験をも踏まえてのことでか。

これまでの二冊で、宮元さんの云ふことは、三割正しく、三割間違ってゐると思ふ。だから実体験なんて云はれると、心配になってくる。人は性格が異なるやうに、瞑想の方法も異なるからだ。
わが国の仏教学者のほとんどは、みずからの宗派の教義とか、わが国の仏教諸宗派が基盤にしている大乗仏教とかの視点から仏教を見ようとしてきました。ですから、従来にない本書の第二の特徴は(中略)極力私心のないアカデミックな態度を貫くことだけです。

この志向は私も同じだ。上座に限らず、曹洞宗、浄土真宗、日蓮宗、浄土宗、臨済宗、カトリック、プロテスタント、左翼、右翼と、本籍地を決めずに幅広く参加してきた。その行動様式について、すべては瞑想の方法の違ひなのだと理論づけた。
だから私と宮元さんは同じ立場のはずだが、私から見ると、宮元さんはずいぶん反ブッダ、反仏教だ。それを今回も明らかにしたい。

四月十五日(月)第一章仏教誕生
インド人は(中略)輪廻ともなれば、再死につぐ再死で、無数回、死の苦しみを味わわなければならない。(中略)そこで、心あるインド人たちは考えました。/輪廻の原動力は、善(功徳)であれ悪(罪障)であれ、行い(業、カルマン)にほかならない。そして、行いに人を駆り立てるものは、欲求と、その裏返しの嫌悪とである。/その欲求なり嫌悪を生みだすものはなにかといえば(中略)抑えがたい衝動としての根本的生存欲(仏教用語でいえば渇愛、無明、ショーペンハウァー風にいえば、生への盲目的な意思)である。とどのつまりは根本的生存欲をほろぼせばよいのだ、と。(7頁)
最初の六十余字が無ければ100%賛成だが、六十余字があるため25%賛成に留まる。まづ多くのインド人は輪廻を苦しいものだと感じたか。もしさうならブッダは「苦」を強調するはずがない。次に、根本的生存欲がすべての根源であることはブッダの説だと思ふが、宮元さんは心あるインド人の説だと云ふ。宮元さんはインド哲学が専門なのだから、文献を明らかにすべきであらう。この場合、さう云ふ説を一つ挙げただけでは駄目で、その説が広くインド人に広まってゐたことを示してほしい。
ゴータマ・ブッダは、十六歳のとき、十三歳のいとこヤソーダラと結婚します。それ以外にも、いわゆる妾(めかけ)を二、三人ほどあてがわれたともいわれています。
(17頁)
宮元さんが中立の立場ではないことは、この一文で判ってしまふ。「いわれています」と書くからには、本当のことがどうか不確実だ。それより宮元さんは、時代背景の違ひを説明してゐない。日本だって昭和三十五年くらいまでは、収入のある人は妾を持つことがよくあった。だから「収入は多くないほうがよい。妾を持つといけないから」と世間で云はれたりもした。
我々の周辺にも本妻ではない母の子があちこちにゐたが、差別したことは一度もない。差別してはいけないから差別しなかったのではなく、そもそも差があることさへ気付かなかった。一つは戦争でたくさんの男子が死んだから、女子が余ってしまふ。救済の意味もあっただらう。当時のインドも同じで、戦争がしばしばあった。時代背景を云はず不確実なことを書く。宮元さんの偏向に驚く。
二人の仙人に弟子入りしたあとで
かれは、あとになってはっきりと自覚するのですが、無思考の瞑想の極致、つまり三昧の境地というのは、たんなる特殊な心理状態(気分は最高)にすぎないのです。無思考ですから、智慧など得られるはずもありません。
(21頁)
二人の仙人の瞑想が無思考だけだったとは思へない。一人は無所有処定、もう一人は非想非非想処定だからだ。宮元さんはこれらが無思考だったことを文献で示すべきだ。 このあとブッダは苦行に入るが、それについて
ゴータマ・ブッダは、苦しみや迷いを起こす心のメカニズムを本当に解体するものは「智慧」であり、それは、徹底的に考え抜くという作業から生まれるのであって、苦行によってはけっして生まれないということに気がついたのです。
(22頁)
徹底的に考へぬくのは科学であり、宗教ではなくなる。宮元さんは何を根拠にこの説を云ふのか。
ブッダは次に苦行を止める。そして
大樹の下に坐り、禅定(ジャーナ、静慮)に入りました。/この禅定というのは(中略)最初に習った三昧体験目当ての禅定主義の禅定ではなく、全神経を集中して、苦しみ、世の無常のさまのあるがままを、徹底的に観察し、考察しつくして、完全な智慧を得るためのものでした。
(23頁)
宮元さんは、この結論をどこから引き出したか、これも文献を示すべきだ。書籍を出版したころは、日本にもヴィパサナの瞑想が紹介され出した。私には、宮元さんがその流れに便乗しただけのやうに思へてならない。
ゴータマ・ブッダは、表面的な自己を、心身を構成する五つの集合的要素(五蘊)に分け、そのどれもが我ではないとする、いわゆる「五蘊非我説」を展開しました。/つまり、五蘊のいずれかが我であるならば、人はその部分において永遠に生きます。すると、人生の無常などなく、悲しみも苦しみも生じないはずです。
(42頁)
前半は100%賛成だ。心身を五蘊に分けられるから我ではないとする説がよくあり、これは不賛成だが、宮元さんはそれとは異なる。しかし後半の、五蘊のどれかが我なら、人は永遠に生きるから無常がなく悲しみも苦しみも生じないと云ふのは変だ。人は永遠に生きるから悲しみも苦しみもあり、無常での喜びや楽しみもある。
後世の仏教徒たちは、結局、このゴータマ・ブッダの態度の真意が理解できなくなり(中略)しょせんどこにも我は存在しない、とじつに容易な議論にはまりこんでしまいました。
 (43頁)
これは95%賛成だ。5%反対なのは、涅槃に達した人は我がなくなるからだ。
仏教は「慈悲」を強調するということに最大の特徴と尊さとがあるとよくいわれます。(中略)『スッタ・ニパータ』の「慈しみ」という節にの後半には、(以下略)
多くの人びとは、こうした文言に、大乗仏教的な慈悲を読みとるのですが(中略)修行の目標は、根本的生存欲を断つことです。そこにいたるためには、心が乱れていてはいけません。
(55頁)
人間の本能には、周りの人に好意的なものと敵対的なものがある。例へば誰かが道路に物を落とした。無意識のうちに「落ちた」と教へてあげるのは前者だ。落としたものがサイフなので黙ってゐて暫くしてネコババするのは後者だ。
後者は意識ではあるが根底に、楽して物を得たいと云ふ無意識がある。後者を無くして前者を育成することは、修行の必須条件だ。それなのに
最初期の仏教以来、出家修行者の基本的な心構えとして「四無量心」ということが説かれてきました。それは、つぎのとおりです。
一、慈無量心。教えを説く相手、そして生きとし生けるものを慈しむ無量の心。
二、悲無量心。同じく、深く相手に同情する無量の心。
三、喜無量心。他者の喜びをみずからの喜びとする無量の心。
四、捨無量心。自他にたいして根本的には無関心の態度をとる無量の心。

宮元さんの捨無量心は変だ。だから更に
「慈」も「悲」も「喜」も、すべて、意味のない世界をあたかも意味があるがごとくに生きるための方便にほかなりませんでした。

とでたらめな解釈をする。「捨」の伝統的解釈は「平静」のことで、「捨無量心」とは他者に対し私心なく平静な心のことだ。『清浄道論』には、「無智捨は捨梵住の近敵なり、(中略)過失と功徳とを伺察せざるにことにおいて捨梵住と同類なるが故に」(南伝大蔵経)とある。無関心と捨無量心は、過失と功徳を見ないので外見は似てゐるが、正反対のものだ。
ここで『清浄道論』は後世のものだと云ふかも知れない。それなら次に、四無量心を並べてみよう。宮元さんの解釈だと、四番目だけ異なることになる。四つ並べたときは、起承転結となるか、結結結結となるか、或いはこれらの中間だ。宮元さんの主張は起起起転で、これはあり得ない。

四月十九日(金)第二章初期仏教(原始仏教)
ゴータマ・ブッダは、解脱して涅槃にいたる唯一の道は出家になることだと、くりかえし力説しました。もちろん、かれは、在家信者にも熱心に教えを説いていますが、その内容は、世俗の善を追及し、出家教団サンガへの奉仕に努めれば、死後、望ましい境涯(天、人)に生まれ変わることができるというものでした。(65頁)
ここまで100%賛成。出家、在家が理想的な平衡状態にあるタイ、ミャンマーはこの状態だ。一方で富豪や国王からの寄進があったため
立派な僧院の奥深くで、修行、教育、驚愕研究に専心することができました。(中略)ひとにぎりの大パトロンに依存するばかりで(中略)ムスリム軍のインド大遠征のなかで、(中略)インドの地から消えてなくなりました。
(67頁)
この状態のなかで大乗が生まれ、その反省から上座が立ち直ったと私も見たいのだが、宮元さんのこの文章は変だ。ムスリム軍のインド大遠征で攻撃されたのは密教寺院だ。更に宮元さんはインド哲学が専門なのだから古い文献を出すべきだ。
戒定慧の(中略)定というのは禅定(ディヤーナ、禅、静慮)のことで、端的な事実を徹底的に観察し、考察しつくすこと、つまり精神集中のことをいいます。瞑想といってもよいでしょう。また、事実をくりかえし観察することを観といいますが、これも瞑想です。
(70頁)
ここで云ふ観が止(サマタ)と観(ヴィパサナ)の観なのか、それとも単に観ることなのか不明だ。観ることを観とは云はないから前者だらう。それなら止(サマタ)はどこに行ったか。
四禅では、思考する対象にたいする善悪、好悪の感情がなくなって中立となり、平安な心境になるといいます。
(70頁)
同感だが、宮元さんの捨無量心の解釈と正反対なので驚く。
瞑想には、対象があります。そのなかで、もっとも重要なのは、四聖諦で(中略)本当の知恵が得られるとされます。
(70頁)
瞑想は戒定慧の定だと言ひながら、すぐ後では智慧だと云ふ。
縁起観というのもありまして、時代が下がるにつれ複雑なものになっていきますが、これは、もともとは四聖諦観の一部をなすものだったと見られます。
(70頁)
ここは100%賛成だ。
初心者には、四念処という以下の観法がすすめられます。「念」というのは、記憶のことです。つまり、観察の対象を、しっかりと頭に刻みつけることをいいます。
一、身念処。いわゆる不浄観のことです。(以下略)
二、受念処。感受作用は苦だと見ることです。(以下略)
三、心念処。心は常住不変ではない(以下略)
四、法念処。すべての事象は無常(以下略)
(72頁)
これは100%賛成だ。
右に紹介したのは、みな、思考のかぎりをつくすという意味での瞑想です。最初期の仏教はの瞑想は、そうしたものだったのです。なにしろ、瞑想は、智慧を得るためのものだとはっきり規定されていたからです。
(72頁)
定と慧の混乱については、先ほど指摘した。
ところが、いつのころからか、三昧(サマーディ)という、心の作用の停止状態、主客合一状態、つまり完全な無思考状態をめざす瞑想というものが、おそらく外部から仏教に取りこまれるようになります。

ここで云ふ三昧(サマーディ)は、止(サマタ)と違ふのか。智慧に至る前段階ではなく、智慧に至った後であることは
四無色定というものが立てられるようになります。

で判る。
三昧めあての無思考の瞑想は、やがて、大乗仏教で大流行し、密教にいたってその頂点に達します。また、ヒンドゥー教のヨーガ学派にこれは引き継がれ、インドをあげて無思考の瞑想に夢中になる状況を呈しました。

ここまで80%賛成だ。20%はヒンドゥー教のことだから判らない。
三昧にいたると自動的に智慧が得られるなどといいますが、無思考で智慧が得られるなど、考えられません。最初期の仏教の戒定慧の体系は、こうして大きな変質をうけることになったのです。

ここは25%賛成だ。まづ無思考で智慧が得られないとするが、思考して智慧が得られると考へるのは科学だ。もちろん苦、無常、非我を悟れば智慧が得られるのだから、ここまでは科学でないとは云へない。しかし神々が称賛したり、神通力を得たりと、科学以外もあり、それを信じることで瞑想すれば智慧を得られるのだから、科学ではない。
後半の、最初期の仏教と変質したとするのは、大乗や密教だけか、それとも初期仏教の後期も含まれるのか宮元さんは云はない。だから総合では25%になる。

四月二十日(土)第三章部派仏教、第四章大乗仏教
古い記録から、経師、持律師、説法師、持法師などがいて、いわば専門的に教えを伝えていたということがわかっています。(79頁)
ここは95%賛成だ。経師と持法師はどこが違ふか、経と律が文字に書かれるやうになって、役割分担がどう変化したのかをインド哲学の専門家なのだから、明らかにしてほしい。
ここから第四章に入り
救済主義的な民衆宗教として成功を収めつつあったヒンドゥー教にあこがれた仏教の在家信者たちが、同じような救済主義的な民衆宗教としての、時分たちのための新しい仏教をつくろうとした、これが仏塔崇拝と連結して生まれたのが大乗仏教運動だとしますと、いろいろな話がうまく説明できると考えます。
(100頁)
ここは20%賛成だ。七世紀にインドへ行った義浄
四部派の中で大乗と小乗の区別は定まっていない。北インドや南海地方ではもっぱら小乗である。中国(唐)では大乗を志している。他の諸地域では大乗と小乗が混在して実践されている。その趣旨を考えてみても、律は異ならず五篇を定めており、[大乗と小乗が]共に四諦を修習している。もし菩薩を礼拝して大乗経典を読むなら、大乗と呼ぶ。これをしなければ、小乗と呼ぶのである。

と記録したから、保守派と変更寛大派があり、出家者はそれまでの家庭生活で社会の影響を受けるから、ヒンドゥー教が優勢になると、修行方法の変更や、経典に瞑想方法資料を追加する派が現れて、それが大乗ではないだらうか。信者か作った、仏塔と関係することは無いと思ふ。(終)

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