千二百九十一 宮元啓一さんの著書(2.「仏教誕生」)
平成三十一己亥年
四月八日(月)四回読んだ感想
今回紹介する「仏教誕生」は、「1.ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ」より9年古い。それを感じさせるのは、今回の書籍では中村元さんから指導を受けたことを強調するのに、「ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ」は中村さんを批判する。それだけ宮元さんが傲慢になったのかな、と思って今回の書籍を読むと、前回の書籍ほど不賛成の部分は少ない。一回目に呼んだときはさう感じた。
今回の書籍は四回読んだので、以下でどこが賛成、どこが不賛成かを明らかにしたい。

四月九日(火)第一章仏教前夜
ウパニシャッド最大の哲人と称されるヤージュナヴァルキヤ(中略)は、志向にもとづいて発現せしめられる各自の善悪の業こそが、輪廻転生の原動力であり、その志向を抱く自己(アートマン、自己同一性の原理、自我、霊魂、生命原理、漢訳では通常「我」)こそがその担い手であることを明らかにした。(35頁)
これは上座仏道の根本だが、その源流がウパニシャッドにあることを示す貴重な情報だ。その一方で
最初期の仏教は、「無我説」というよりは「非我説」というべきものであるが、これもまた、ヤージュナヴァルキヤの「真実のアートマン」説の仏教版といってさしつかえない。

中村元さんの説は、すべての物は不所有の意味で非我と呼び、それは我のない無我とは異なると私は理解したが、宮元さんは違ふことを言ってゐる。だから100%不賛成だ。
プーラナ・カッサバの道徳否定論に対して
かれやかれの弟子たちが、善悪をかえりみぬ(中略)というわけではないということである。かれは出家の修行者、それも苦行に専心していた禁欲の人だったはずである。したがって、かれの節は、修行の目標、つまり解脱の境地を述べたものだと考えられる。
(61頁)
ここまではカッサバを調べないと、何とも云へない。問題なのはスッタ・ニパータに
おだやかな表現ながら、釈尊が、いかに「善をも悪をもかえりみず」といったことを強調していたかがすぐにわかる。いいかえれば、道徳否定論者プーラナ・カッサバの説自体は、釈尊の説と何の変わるところもないということである。

ここは200%不賛成だ。つまり不同意なだけではなく、厳しく批判しなくてはいけない。宮元さんは
釈尊は、窮極的にはプーラナ・カッサバと同じく、道徳否定論者であったが、初心者教育にあたっては、善悪をわきまえよときびしく説く道徳がであった。

阿羅漢を目指す修行には、戒律が必要だ。つまり初心者だけではなく、阿羅漢に至るまで道徳が必要だ。七仏通解偈(諸々の明くをやめ、もろもろの善をなし、みずから心を浄らかなものにせよ、これが諸々の仏の教へである)について
道徳の確立こそが仏教の目標だなどと誤解してはならない。

と云ふが、伝統に従った儀式(読経、礼拝、托鉢、パーリ語経典の学習)を行ふことと瞑想をすることは、云はなくても当然のことだ。あたり前のことと同時に、七仏通解偈にあることをすることのどこがプーラナ・カッサバと同じなのか。

四月十日(水)第二章釈尊の生涯
「ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ」でも取り上げたが
「ブッダ」の訳語「覚者」は、「覚った人」、やがて「悟った人」と読まれるようになる。
(106頁)
これは駄論だ。まづ瞑想をすると自動的に覚者になるとする。拝めば自動的にご利益があるのと同じ感覚だ。これなら「悟った人」とは別の意味だ。しかし宮元さんはさういふ議論はしてゐない。だったら何かを発見したから覚者になったはずだ。釈尊は成道ののち
釈尊が説法をためらった理由について、これまでさまざまな議論がたたかわされてきた。或る学者は、大きな課題を果たし終えた人がややもすれば陥りがちなアンニュイ(精神科用語でいえば「荷おろし鬱病」)だとする。

宮元さん自身は別の理由だとするものの、荷おろし鬱病だなんて説を紹介するやうでは中立ではない。成道した人がうつ病になったら、やはり成道してゐなかったと気付く。
その後、釈尊はかつての修行仲間五人に説法し、ここにサンガが成立した。次に
同業者組合長の息子ヤサ(耶舎)に教へを説き、彼を弟子に迎えた。そのときヤサは(中略)五十名余りの友人たちをさそい(中略)さらに彼の父母はそれぞれ、在家として(以下略)
(118頁)
ここに四衆が成立した。この辺りは宮元さんの中立の書き方がよい。仏教関係者は中立に書けないから、布教の方法が読んでてはっきりしない。とはいへ、宮元さんはこの先が悪い。
釈尊は、ヤサの弟子入りをきっかけに数十人となった弟子たちに、ともかく散らばって、遊行しながら教えを説くように指示した。

ここは信じられない。瞑想を中心とする修行に、散らばることと布教することは不利だ。宮元さんはこの結論を出した根拠を示すべきだ。遊行しながら布教することが組織拡大に繋がったのではないことは、宮元さんも認め
釈尊の名を一挙に高からしめるできごとが起こった。それは、当時マダカ国に大きな勢力をもち、火を拝する儀礼を特徴としていた(中略)カッサパと問答を行いとうとうみずからの弟子にしたというできごとである。(中略)二人の弟もただちに釈尊の弟子になった。(中略)カッサパ三兄弟したがう人たちも、こぞって釈尊のもとに走った。その数、千人といわれている。
(120頁)
これが仏教の広まったきっかけであらう。

四月十一日(木)第三章最初期の仏教の考え方
仏教は、少なくとも釈尊の教えはそうなのであるが、(中略)厭世を促す教えである。(146頁)
この主張は100%不賛成だ。厭世なのではなく、六道を輪廻する姿が厭世だから、六道輪廻を止める教へである。
釈尊が最終的には苦行を捨て、智慧を得るための瞑想の道を選んだというのも、まことにもっともなことであった。
(154頁)
ここは論理的に変だ。釈尊は苦行の後に、それを止めて智慧を得た。しかし弟子たちは釈尊の指導で最初から苦楽中道の修行をする。それでは智慧以外を得られない。このあと宮元さんは、仏教がニヒリズムだとするが、それは宮元さんの厭世説への批判で述べたので繰り返さない。
「仏教は無我にて候」と昔からいわれている。しかし、最初期の仏教では、無我説ではなく、非我説が説かれていたと見るべきである。
(173頁)
仏教は無我説ではない。なぜ初期は非我説で、途中から無我説なのか宮元さんは説明すべきだ。読み終へて感じることは、第三章は読む価値がまったくない。(終)

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