千二百七十六 平川彰さん「インド仏教史 上」を称賛
平成三十一己亥年
二月二十三日(土)序章

平川彰さん「インド仏教史 上」は昭和四十九(1974)年に出版された。良書なので紹介したい。この時期は、上座の仏道が日本に広まる前のことだし、創価学会の折伏大行進が停止して数年だから、いつ再開されるか判らない。世界情勢も資本主義と共産主義が対立する時代だった。平川さんは大学紛争の最中に執筆されたと「はしがき」に書いてゐる。だから仏道の世界にも緊張感があり、上座の仏道を小乗仏教などと貶める連中は存在しない。私が最近、上座の仏道と云ふ表現を用ゐるのは、小乗仏教と云ふ蔑視用語を使はせないためである。
平川さんは序章で
南方仏教(セイロン、ビルマ、タイ等の仏教)は、気候風土がインド本土と似ている。

私も二十年以上前から、上座部の仏道が広まった国は年中暑い国だと主張してきたが、あまり受け入れられなかった。なほ今後は違ふ。インターネットなど世界に伝はる情報量が桁違ひだ。
とはいへ大乗の仏道は四季のある国で広まるから、もちろん日本でも上座の仏道を学びたい人は学び、大多数の人は大乗を信じる。日本の大乗が近年衰へたのは世襲、葬式の仏道など別の理由であり、上座は無関係なのに、そこを判らない人たちがゐる。
大乗から「小乗仏教」として攻撃されたのは、主として説一切有部であったようである。

これも同感で、説一切有部の論蔵は理論が詳細になり過ぎて、大乗から「小乗」と批判されてもやむを得ないとも思ふ。それは上座の論蔵にも当てはまるかも知れないが、仏道を長く伝へた四衆の大変な尽力には感謝こそすれ、批判しようとは思わない。

二月二十四日(日)悟った内容

仏陀が成道において何を悟ったかは(中略)四諦説によって悟ったという説と、十二因縁を悟ることによって仏陀となったという説と、四禅三明によって悟ったという説とが優勢である。
と、まづ宇井伯寿の説をまとめ、次に
四諦説は他に対する説法の形になっており、成道内観の形を生の形と見るには難点があろう。

私は三つの中では四諦がよいと思ふ。平川さんは、このあと残りの二つも難点を述べられたあと
別の説では、仏陀は「法を悟った」といわれる。(中略)「尊敬するものがなく、恭敬するものがないのは苦である。しかしこの世において自分よりも完全に戒・定・慧・解脱・解脱知見を備えている人を見ないから、自分はむしろ自分の悟った法を尊敬し、恭敬して住しよう」
(40ページ)
これは今後考察したい。おそらく数年は掛かる。

二月二十六日(火)無我
無我について
固定的な実体我は存在しないという意味であり(中略)常識で認める自己(仮我 けが)や認識主観、人格あるいは理性などを否定する意味ではない。(中略)凡夫は事故を静止的に見て、固定的な自我を釈定し、それに執着する。(中略)原始仏教では心身を「五蘊」に分析して無我を示している。
平川さんの優れたところは、固定の我を否定したことだ。その流れで五蘊に分析して無我を示すことは、無理がない理論だ。前に別の人の著作した本を読んだときに、我は五蘊に分解できるから自動車の部品と同じで自動車(我)は存在しないと書いてあったが、これだと五蘊から無我は出て来ない。

三月一日(金)
前々回に取り上げた「法」について、考察におそらく数年は掛かると書いたが、平川さんは既に書いて下さってゐた。まづ戒定慧の三学の戒を守り、次に定は
四禅の実習が主であるが、その準備的修行として、呼吸を観ずる数息観、身体の不浄を観ずる不浄観、身を不浄と見、受を苦と見、心を無常と見、法を無我と観ずる四念処観、さらに慈・悲・喜・捨の四無量心、空・無相・無願の三解脱門など、その他種々の観法がある。

これは瞑想法の貴重な情報だ。さて、定は止と観に分けることができて、観は慧に含めてもよいとする。ここも重要だ。定と慧は、どこまでが定、どこからが慧と分けられるものではない。
「観」には四念処観や四無量心なども重要であるが、特に四聖諦を観ずること、五蘊のいちいちを無常・苦・無我と観ずること・十二縁起を順逆に観ずることなどが、正しい智慧の実現のために重要視されている。

重要な部分を赤色にした。まづ五蘊はそのいちいちを無常・苦・無我と観ずることが重要であって、生命が五蘊から構成されてゐると観ずることは意味がない。十二縁起も、順逆に観ずることが重要で、十二縁起自体は輪廻の原理ではない。どちらも観法であった。
三学が完成すると、その上に解脱が実現し、解脱したとの自覚(解脱知見)が起こる。(中略)これを「無漏」という。そして無漏の戒・定・慧・解脱・解脱知見を「五分法身」と称する。これは聖者の備える実践的な「法」である。


三月二日(土)分別説部
第二章部派仏教では、アショーカ王の仏教教団支持により、教団は経済的に豊かになった。そのためサンガの戒律や修行が乱れ
モッガリプッタ・ティッサがアショーカ王の支持を受けて、サンガを粛清した。すなわち仏教を「分別説」(パーリ語略)であると答えた答えた者は仏教徒であり、これに反する反する比丘は仏教徒でないとして、サンガから追放したという。(中略)セイロン上座部は仏教を「分別説]であると理解している。すべてのことについて、一方的に断定(一向記)しないのが、分別説である。真理を一方的に主張すると、そこには必ず争いが起こる。(中略)肯定的なものと否定的なものとを区別(分別)して、現実を理解するのが「分別説」の立場である。

このあと第二章は各派の論蔵に移るが、私は戒蔵と経蔵は原始の仏道、論蔵は部派の仏道と解釈してゐる。だからこれ以降は割愛したい。(終)

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