千二百二十三 曹洞宗寺院参拝作法(成願寺の坐禅会に参加)
平成三十戊戌
十月二十七日(土)成願寺三つの縁
会社の昼休みに、散歩をすることがある。西側だと成願寺を越えて桃園小学校当りまで歩く。一昨年まで、会社は鍋屋横丁にあった。このとき東側では成願寺が限度だった。つまり成願寺は、会社の移転前と移転後の両方とも散歩コースだ。
もう一つ会社と関係がある。成願寺の付属幼稚園の先生だった人が、前に私の勤務する会社に転職し、今は出産のため退職した。と云ふことで、私の勤務する会社と成願寺は三つの接点がある。
成願寺は曹洞宗だ。曹洞宗にお参りするには、二つの方法がある。一つは賽銭箱に小銭を入れて合掌する通常の参拝である。もう一つは坐禅会に参加する方法がある。と云ふことで、昨日の夜は成願寺の坐禅会に参加した。
一柱ののちは、週ごとに写経、講義、経行二柱と、盛りだくさんだ。昨日は経行と二柱だった。二柱では坐禅をしながら、修証義の提唱があった。
久しぶりに曹洞宗の坐禅会に参加して感じたことは、日本には曹洞宗が合ふ。日本では形から入る方法がよい。あとパーリ語由来の仏法用語より、漢字の仏法用語が合ふ。

十月二十七日(土)その二総持寺日曜参禅会との比較
会費は500円で、高くはない。適正価格だと思ふ。かつて大本山総持寺に日曜参禅会があった。それが廃止になり、代はりに月に一回、人数制限ありで行はれ、会費が500円だった。このとき高いと感じたのは今まで200円だったからだ。200円は安いが、参加人数が多いし、作務として清掃も行ふし、まあ、あのときも適正価格だったと思ふ。
総持寺と比べて、経行が長いやうに感じた。二十年以上前のことなので記憶が不確かだが、総持寺では坐禅、経行のあと、伝光閣で提唱、そのあと再び坐禅で作務だったと思ふ。だから経行は足を整へるより儀式の色彩が濃かった。あと坐禅は二十五分で、通常の四十分より短かった。尤も早く行って座るから実質は四十分だし、伝光閣から戻ったあとトイレ休憩の時間にも座るからこちらも三十五分は座った。

十月二十七日(土)その三往路と復路
会社が終了したあと、ビルの裏庭から外に出た。ここは照明が足元だけで、慣れないと暗い。前に一回だけ十二社通りから帰宅したことがあり、そのときも裏庭から退出した。だから驚きはしなかった。
初回は午後六時二十分に集合だが、時間があるので廊下に掲示してある写真を観た。成願寺の裏は大正時代には牧場だった。なるほど鍋屋横丁にホルスタイン開館があるのは、さういふ事情だった。成願寺は中野長者の寺と呼ばれる。かつて中野長者は中野区本町から西新宿の土地を持ってゐた。牧場があるのも頷ける。
経行のあと、坐禅をしながら老師の提唱を聴いた。老師を見ずに聴く提唱に最初はとまどったが、これは経行を体験させてもらへる工夫なのだと思ひ直した。
坐禅会が終了後は、十二社通りを歩いた。夜八時過ぎに歩くと新発見があるだらうと予感しながら歩いたところ、やはりあった。飲み屋に「多満自慢」の看板が見える。多摩の地酒がこんなところにも、と喜んだ。

十月二十七日(土)その四信徒が瞑想をする意義
上座部寺院に参拝すると、在日ミャンマー人が熱心に食事のお布施をする。だからこれが本来の信者の在り方で、信者が瞑想をするのは伝統に外れるのではないか。そんな思ひが今まであった。しかし今回久しぶりに坐禅会に参加し、かつては信徒でお経を読める人は少なかったが、今では読める人も多い。同じやうに、かつては信徒で坐禅をする人はゐなかったが今では多い。どちらもお釈迦様の時代にもあったことだと改めて思った。(終)

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