千二百八 家の話題(4.仏壇の花瓶と流しと便所、5.近隣の話題)
平成三十戊戌
十月五日(金)
仏壇の花を交換するときに、花瓶の水も入れ替へた。ところが入れ替へたのにどぶのやうな臭ひがする。再度入れ替へても臭ふ。よく見ると、花瓶の入り口に黒いペースト状のものがべったり付いてゐる。葉が中にたくさん残り、それが腐ったらしい。
葉と取れる範囲のペースト状を除去した。花瓶は入口が半径5Cmくらいなので、中までは除去できない。よく洗った後に乾燥させて、あとは剥落を期待することにした。
ここで一件落着だが、その数日後に便所で例のどぶ臭がするやうになった。誰かが外に干してある花瓶に水を入れて便所に流したのかと思ったが、そんなことは誰もやらない。外の花瓶は乾いてきた。一時間後には臭はなくなったから、どうやら二階の流しで洗ったペーストがパイプで一階に流れ着いて、便所からの汚水との合流部を通過するときに臭ったらしい。
昭和四十七(1972)年に新築の時は、浄化槽だった。浄化槽の清掃が必要になってくると便所内が臭った。U字トラップがあっても、臭ひが漏れるのだらう。十年ほど経って地域に水洗が完成した。浄化槽が時機によって臭はなくなった代はりに、かすかに石油臭がすることが稀にあった。
その二十年後くらいに便器が古くなり、交換した。このときからまったく臭はなくなった。しかしどぶ臭が短時間とは云へ発生したので、やはりどこかから漏れるやうだ。
石油臭については、近くのガソリンスタンドが閉店した。それで臭はなくなったのだらう。しかしガソリンスタンドが石油臭の下水を流すだらうか。ガソリン臭なら判るが、灯油臭はないと思ふ。或いは軽油臭か。

十月五日(金)その二
近くのガソリンスタンドは、一昨年だったか廃業した。おそらく昭和三十年代から営業してゐた。昭和四十五年頃、都内から自転車で国道十七号を走り浦和市内に入ると、ここの他に駅前の四つ角に二つガソリンスタンドが向ひあってゐた。まだ民家がほとんどなかったが、これから増える人口増加に合はせて、二つとも営業は順調だったと思ふ。
それから七年後に一つが閉店し、百貨店になった。百貨店は今でも存在するが、インターネットで調べると、平成18(2006)年に一階の食品フロアを残しテナントビルに転換とある。
もう一つのガソリンスタンドは、競争相手が撤退したので順調だらうと思ってゐたが、今から十年くらい前だらうか閉店した。

十月七日(日)
駅前通りは坂を少し上がって降りる。それと並行する細い道は、昭和42年頃は、両側が高さ5m長さ20mくらいの切通しだった。駅前通り側は後に土を撤去し、神社側は毎年土が後退した。そして今ではなだらかな台地の上に神社だけが鎮座する。地形を変へてしまふとは、人間の許容範囲を超えた恐ろしい行為だ。
駅前通りを歩くと、市営の文化ホールに至る。かつては斜面に面した空き地で、埼玉県立教員養成所が一時移転したことがあった。高卒を2年課程で小学校の教員に養成する学校だった。
文化ホールの先は、道路の北側に深いどぶのある道路だった。昭和45年頃だらうか、どぶを廃止して二車線歩道付きの広い道路になった。この道路を次の信号まで歩くと、その先の左側は一面の空き地だった。かつては田圃だったのだらう。東北線と京浜東北線の電車の音が聞こえた。あと、電車が走る影も見えた。
あと大きく変はったものに、NHKラヂオの放送塔が無くなった。柱が二本立ち、夜には赤い電灯を交互に点灯させた。我が家の二階の窓から光景がよく見えた。京浜東北線に乗ると、荒川の鉄橋を渡るときから、放送塔がよく見えた。
あと変はったものに、見沼用水(辻用水)に水が流れず親水公園になった。見沼用水の時代も、上流からの水が流れるのは田植への時季だけだった。それ以外は別の水(南浦和団地或いは岸町方面からの水)が新曾用水路に見沼用水を逆流するとともに、辻用水にも流れた。夏にはウシガエルが鳴き、田植えの増水時には釣りをする人がゐた。(終)

(見沼代用水と地元の話題、その八)へ (見沼代用水、その十)へ

メニューへ戻る (その一)へ 次へ