千二百三 板橋区内で自主瞑想会(追記、『こちら「メンタル産業医」相談室』の記事を紹介)
平成三十戊戌
九月二十三日(日)
昨日は、板橋区内で自主瞑想会があった。毎年、ミャンマーのクムダセヤドーを日本に招聘し、各地で合宿や一日瞑想会が開かれる。参加者のなかから自主瞑想会の希望が出て、今回の運びとなったさうだ。
瞑想は一人で行ふと一時間でも大変だ。皆で坐ると、全体の波動が上がってうまく行く。今回は一時間を三回、つまり三坐を行った。首や肩が凝ることもなく、無事終了することができた。
クムダセヤドーの一日瞑想会は、四年(毎年一回)ほど参加したことがある。あるときは首が凝って大変だった。次は体を前屈みにならないよう気を付けて、大丈夫だった。その翌年は、体を後ろに傾け過ぎたのか、やはり首が凝った。四回目は在日ミャンマー人向けで、このときも首が凝った。
クムダセヤドーの一日瞑想会は四坐を行った後、法話がある。三坐だと大丈夫か。昨日終ったあとは、さう思った。自主瞑想会は、前に仏像を安置するものの、比丘はゐないから法話はない。

九月二十四日(月)
瞑想の始まる前にも主催者のIさんが自主瞑想をしてゐたので、私も三十分加はるうちに十三時になった。
慈経(karaniya Metta Sutta)を唱へた後に瞑想一時間を三回繰り返し、その間に十五分休憩があった。私は首凝りと肩凝りを防ぐために、目いっぱい歩き、走ることも1/3くらい混ぜた。
今回肩らなかった理由は、他にもある。部屋の端に座り、柱と背中が同じ角度(垂直)になるやうにした。やはり一番よいのは、背骨と首を垂直にすることだ。
瞑想には止と観がある。止だけを行ふのが日本の曹洞宗と臨済宗で、私の瞑想は曹洞宗に近い。しかし私の場合は最近、観も入れるやうになった。これは、止だけだと一禅から四禅までの途中までしか行けないと云ふ法話が経典学習会であったし、上座部経典の書籍でも、止だけだと戒定慧の三学のうちの慧ができないと書いてある。
それまで私は、信徒は僧団を支へたり僧侶の法話を聴くことで功徳を積むのが上座部の伝統と考へて瞑想の技術は気にしなかったし、慧は瞑想を終へたあと、或いは経典を学ぶときに慧が完成すると考へて、瞑想の目的は定を中心にしてきた。
ここ数か月、アスバ(死体)を連想、或いは体の中の固体、液体を観察することを瞑想の中でやるやうになった。そのやうな状況で今回の瞑想会に参加して気付いたのだが、曹洞宗の非思量を達成するには自分の心を観察しなくてはならない。つまり曹洞宗では止に観が備はってゐるのではないか。あと曹洞宗はできない場合を除いて結跏趺坐を推奨する。結跏趺坐は足の痛さを観察し、どうすれば痛いのを軽減できるかを観察する。ここでも観が含まれる。

九月二十五日(火)
最後は廻向のお経を唱へて終了した。司会は主催者とは別の方が担当し、その方が廻向のみ独自の旋律で唱へたので、私もそれに合はせた。この方はミャンマーで出家をされてゐて帰国したので、ミャンマーのモービー森林僧院の唱へ方だ。

終了後に、懇親会を開いた。世間で懇親会と云ふと酒を飲むが、自主瞑想会では、飲食物は無く、机を三つ並べて、それに向かひ合った。Iさんはメイミョーのサヤレーの瞑想センターから帰ったばかりだった。メイミョーにはパオ・セヤドーの大きな瞑想僧院を建設中と云ふ話もあった。周辺の住民の奉仕だけで食事が足りるのかと云ふ心配も出た。
モーラミャインは国内向け、メイミョーは高地で涼しいので外国人をおもに対象にするさうだ。モービーは日本人だけではなく、ミャンマー人にも有名になり、かなり混むさうだ。
経典学習会の通訳をしてくださり、数年前に帰国した方は、パオ・セヤドーの助手をされてゐるさうだ。クムダ・セヤドーは六十歳になるので、来日は今回が最後になると云ふ話も出た。
今回ではないが、前にディーパンカラ・サヤレーはパオ瞑想の大先達で、修行中に体の具合が悪くなった人に対して、何をやって、次は何をやって、と指示を出し、そのとほりにやって恢復したさうだ。

九月二十六日(水)
鈴木一生さんと、上座部仏教修道会の竹田倫子さんと吉田さんの話も出た。吉田さんは正学女の衣を着用されるさうだ。スマナサーラ長老の話も出た。あと門司の世界平和パゴダを加へれば、日本の上座部を網羅しさうだ。
実はあと二つある。オモロイ坊主こと藤川チンナワンソさんがタイで出家しそれなりに安定してゐたのに、突然帰国し古く小さいアパートの一室を無料提供してもらひ、上座部仏教協会と云ふ後援組織を作ってまもなく亡くなった。これも記録しておかないと、忘れられてしまふ。あとマハーカルナさんが日本でパオ瞑想センター日本支院を立ち上げたのに、大変なことになった。(終)

追記九月二十八日(金)
日経Goodayの『こちら「メンタル産業医」相談室』に精神科医・産業医の奥田弘美さんが瞑想について記事を書いた。タイの洞窟に閉じ込められて救出されるまでの九日間、パニックにならなかった。それは
仏教式の瞑想を教え実践していたことによって、彼らが平静を保つことができたと報道されました。
ご存じの方も多いと思いますが、マインドフルネス瞑想のルーツは2500年前にブッダが編み出した瞑想法にあります。ブッダが創造した瞑想法はその教義とともにタイやミャンマーといった上座仏教国で主に受け継がれてきましたが、1960年代にその瞑想法が欧米に伝わり、医療やビジネスの現場で活用されたことで広く認知されるようになりました。

具体的な方法は
瞑想はエカポンコーチの人物像のところでも触れた「ヴィパッサナー瞑想」のようです。
ヴィパッサナー瞑想は、マインドフルネス瞑想の一つとしてもよく紹介されている瞑想法で、そのやり方を簡単に説明すると次のとおりです。
(1)床に座布団や布を敷いてあぐら座に座り、背筋を伸ばす。あぐらがかけない環境のときは、椅子に背筋を伸ばして座る。手は膝の上にそっと重ねて置く。
(2)目を閉じて、鼻から息をゆっくり吸い込みながら、鼻先を意識する。空気が鼻腔を通る「感覚」を最も感じやすい場所をひとつ決めて、そこで呼吸の空気の流れを感じる。
(3)空気が入ってきたこと、そして出ていくことを鼻先の一点で「感じ」そして「呼吸をしていることに気づく」。
(4)途中で思考や感情が湧いたら、「考えた」「感じた」と気づいて、また鼻先の呼吸に意識を戻す。
 あとは、この作業をひたすら繰り返していきます。

私は最近、アスバや体内に偏り過ぎて、呼吸の瞑想から遠ざかってゐた。比率を高くしたい。

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