千百九十一 ブッダの時代は、人生が楽しかったのでは
平成三十戊戌
九月六日(木)
ブッダの説いた「苦」「無我」「無常」を並べると、或ることに気が付く。当時は霊魂永続説が信じられたから、無我、無常を説いた。同じやうに、人生は楽だったから苦を説いたのではないだらうか。
多くの人が人生は苦だと感じるところに「苦」を説いても、苦を増大させる嫌な奴として白い目で見られるか、当たり前のことを云ふなと軽蔑されるだけだ。

九月八日(土)
ブッダの時代だけではない。現在もタイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、スリランカは、人生が「楽」だ。暑いと農業が栄え、心は陽気になる。だから逆に、人生を「苦」と説く上座部の仏法が支持される。
中国、朝鮮半島、日本に大乗の仏法が広まったのは、季候が原因だらう。夏は暑いが、冬は農業ができず心も陰気になる。そればかりではない。秋は自殺者が多くなるが、それは昼間が毎日短くなるときは心が沈むさうだ。

九月九日(日)
とはいへ、楽しい人生の中に、苦が老病死としてたまに現れる。それを和らげるために、人生は「苦」だとすることは有効だ。これも全体では楽しい人生を苦に軌道修正することに変はりはない。「楽」に行き過ぎた人生を「苦」に戻す。ここに仏法の中道が活きる。
「苦」は瞑想法としても有効だ。人生は「楽」だと思って瞑想したら、それは夢を追ふ空想になってしまふ。上座部の仏法は、「苦」を瞑想法にまで譲歩する。一方で大乗の仏法は、礼拝を瞑想法だとする。上座部と大乗には違ひはなくなる。
上座部の仏法は、人生を「苦」だとして2500年間続いた。しかし比丘にも信徒にも「苦」の様子は見られない。大乗の仏法は、人生(死後も含めて)を「楽」だとして700年から2000年続いた。
とは云へ、大乗の仏法に衰へが目立つ。上座部仏教国には衰へが見られない。双方の伝統を今後も続けるとともに、上座部の仏法を別の角度から見ることで大乗の地域にも関心をもたせ、それにより大乗の仏法を復活させるのがよい。

九月九日(日)その二
先月から土曜と日曜は忙しく、そのため先月のミャンマー経典学習会は参加できなかった。今月は昨日まで頑張ったが、用事が残ってしまった。そのため本日の経典学習会は出席できなかった。
三日前からそのことを予想し、代替としてこのページを作ってみた。(終)

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