千百九十二 トヨタレンタカーで津田沼から浦和まで
平成三十戊戌
九月七日(金)千葉県から浦和への経路
トヨタレンタカーで習志野から浦和まで荷物を運搬した。私は二十年以上前に運転免許を更新しなかったので、上の子に運転を頼み、私も助手席に座った。
上の子も暫く運転をしなかったので、高速は使はずに一般道を走った。私は最初に勤務した会社で、車を運転する機会が多かった。主に埼玉県内だが、稀に三多摩や千葉県に行くことがあった。
千葉県へは(1)「国道16号」、または(2)「浦和草加線と国府台病院脇の地方道」を主に走った。今は(4)「国道298号」が出来たから、これを使ふことになるだらう。
あと(5)「東関道」を走ったこともあり、これは東金道路で土気中学校ともう一校(誉田中学校か)の浄化水を採取のためだった。浄化槽の管理会社から受注し、埼玉県内は営業課員が廻る。千葉まで営業が行くのは時間の無駄だから、私みたいな技術課員が駆り出された。
東関道の代はりに(6)「京葉道路」を走ったこともある。料金は東関道とほぼおなじだが、何箇所かに料金所があり、通るたびに料金を払った。

九月九日(日)国道16号の怪
国道16号で不思議なことがある。古い道路地図帳に、国道16号が完成する前の地図があった。国道16号は国道4号の東武野田線の西側を走り、運河駅かおそらく江戸川駅の中央を東側に抜けて二回ほど右折と左折を繰り返し今は柏の葉公園となった中を走行して国道16号に合流した。
昭和57年ころ千葉県に出張のとき江戸川駅の中央に踏切はないから北または南を横断し、再び駅前通りに出て地図どほりに右折と左折を繰り返すと、今は柏の葉公園になった辺りで道路が未舗装になる。未舗装どころか30cmくらいの土のへこみがあり、運転が大変だった。周囲に車の影はなく、一部に通行禁止の区間があった。

九月十二日(水)新京成に沿って
私は、国道14号に出て298号に入る経路を予定した。カーナビによると、逆方向に古和釜十字路を左折し、途中何回か左折して松戸に出る。平日午後七時なので帰宅ラッシュを過ぎたと思ったが、途中何回が渋滞した。
新京成は元の鉄道連隊演習線だから左右にカーブが多い。何回か踏み切りを渡った。数か月前に演習線の鉄橋跡を徒歩で見に行ったことがある。演習線を買収した新京成が開業するときに、カーブの末端は一部を短縮した。今回の経路をYahooマップで検索すると、鉄橋跡の横を通る経路も表示されて、偶然に驚いた。

九月十五日(土)トヨタレンタカー
トヨタレンタカーの営業時刻は夜八時までだ。途中で渋滞が何箇所かあったのと、道を間違へた(国道6号から298号に入るところを行き過ぎて金町を左折してUターンした。298号をJR東北線の手前で降りた。トヨタレンタ武蔵浦和営業所は田島通りの左側なのに右側に行った)が、営業所の皆さんに暖かく迎ひ入れて頂き、感謝感激であった。
私は、一番最初の会社でときどきトヨタレンタカーを利用した。営業は全員、車を持つが、技術は1台なので複数が出かけるときは私がトヨタレンタカーに駆け込んだ。企業会員だと1200cc級のバンで平日4700円だと記憶する。
私は日本で10万キロ以上(積算メーターを一周させた)、アメリカで1万キロくらい乗ったから、その後20年間乗らなくても、体が覚えてゐる。だから脇に寄せたり、コンビニに停車するとき、指を右回転や左回転させてハンドルの向きを指示した。
アメリカから帰国後に個人でトヨタレンタカーを一回借りたことを覚えてゐる。記憶にある理由は、車を借りるとき、昔は「運転席でブレーキを踏んでください」と云はれ、踏むと営業所の女性が車外でブレーキランプを確認した。そのとき間違へてアクセルを踏んで「ブォーン」とエンジンがうなった。そのあとブレーキペダルを踏み、ブレーキランプの試験は終了したが「運転は大丈夫か」と心配するといけないので、「アメリカの車は運転席が左なので間違へた」と言ひながら、カリフォルニア州の運転免許証を見せた(見せびらかした?)。
乗ってしまへば間違へることはない。私は最初の会社から転職の後は、1回しか免許を更新しなかった。その理由は眼鏡を強いものに変更すると、次の更新のときに度が進んでしまふためだ。アメリカで免許を取得し、帰国後は日本の免許に書き換へたがこれも更新しなかった。地球温暖化を防止するために不要な車は乗らないと云ふ理由もある。(終)

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