千百九十 1.西和彦さんから返事が来た、2.Diamond Online最終回を読んで
平成三十戊戌
八月二十六日(日)
西さんは偉い。私のページに対し、きちんと反論するメールを頂いた。まづ
MSXは必ずしも失敗ではないといふ。これは正しい。MSX構想をマイクロソフトとアスキーが発表したとき、多くの業界関係者が「やられた」と思った。だから当時のパソコン雑誌などは、マイクロソフトの権威を利用してそんな制定をしてよいのかと批判が載った。これは批判と云ふよりやっかみに近い。だからこの時点ではマイクロソフトとアスキーの圧勝だった。私が失敗と判断するのは、MSX2のあとが続かなかった。
マイクロソフト社と決別したときに出向と発表したことについては、マイクロソフトがそうしてくれと言ったさうだ。
郡司明郎さんと塚本慶一郎さんの退社は、引き留めたけど二人は辞めたらしい。
カンパニー制は興銀がさう云ったさうだ。
どこかの大学のディレクターに就いても浪費すると書いたことについてまだ決まった訳ではないとの反論を頂いた。これは正論である。
西さんの偉いところは、きちんと反論されたことだ。その熱意がかつてはビル・ゲーツとの関係を築いたのだらう。その熱意に敬意を表して、西和彦さんと東京大学を批判は、敵対する表現を削除し友好的で、世の中のIT産業に役立つ内容に変へた。
あまり削ると西さんのせっかくの返事が意味不明になるので、多少は残したが。
八月三十日(木)
Diamond Onlineの西さんシリーズ最終回が発表された。今回は内容がよい。それはきちんと技術内容を説明したからだ。
WindowsモバイルにWindows OSそのものをフルで載せていたら、状況はまったく変わっていたと思います。Windowsが動くスマホならば独立アプリはたくさんあるし、開発もしやすいので、アンドロイドやiOSとも本格的に戦えたと思います。今からでも遅くないと思って、実は東大のうちのラボで試作しています。
どこで軽量化するか。画面の表示方法を分割、縮小、それらの混合。これらをどうするか。今から楽しみだ。軽量化で思ひ出すのは、UNIXに類似したOS-9と云ふOSは、8ビットでしかもメモリ空間の狭い6809で動かすことができた。それどころか昭和60(1980)年代なのにマルチウィンドウを搭載してゐた。
OS開発元のパンフレットには、必要な機能は落とさず、不必要な機能は徹底的に落とし、しかもマルチウィンドウを追加し、モジュール化した各機能は柔軟に搭載可能とあった。英語のパンフレットを翻訳すると「柔軟」「徹底的」の語が並ぶから、単語自体は気にしなくてよいのだが、どうしてそんなことが可能なのかと思ってゐるうちに、富士通のパソコンは半導体事業本部から電算部門(情報機器事業本部、システム本部、営業推進本部、営業本部)に移管された。そして8086系のOSはCP-M86からMS-DOSに変更、6809系のパソコンは開発中止となった。
私は電算部門のやうに大きな組織は合はないから、と云ふより、発言できる立場にしてくれるなら合ふが、子会社の人間にとって大きな組織は合はないから、間もなく転職した。西さんが富士通と取引を始めるのは電算部門に移管してからだ。だから私は西さんとすれ違ひだった。(終)
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