千百七十六 ミャンマー経典学習会と用事が重なったので、ミャンマー瞑想に関係する話題を特集
平成三十戊戌
八月五日(日)
本日はミャンマー経典学習会がある。ところが急に用事が入って参加できなくなった。と云ふことで、今回はミャンマー瞑想に関係する話題を特集した。まづは、私の瞑想法だ。私は総持寺の座禅から入ったので、今でも曹洞宗式の座禅が根本にある。
しかしよく考へると、曹洞宗は只管打坐、私の場合は只管打坐のときと周囲の現象や自分の息や内臓の働きに注意を集中するときがある。つまり私の場合は止と観がある。それでも曹洞宗式だと信じるのは、瞑想の目的が戒定慧のうちの定だからだ。定を行ふと(1)終了したとき、(2)日常の生活、(3)経典を学んだとき、慧が現れる。
私がかう考へるのは信徒の立場だからで、信徒の立場でも例へばクムダ・セヤドー(パオ森林僧院モービー支院の住職で、日本人がよく修行する)が来日されたときは、その指導に従ふ。
最近、せっかくミャンマーで出家したのに、日本に戻ったあと還俗し勝手な主張をする人が多い。信徒として仏法を支へるとともに個人的に瞑想法を工夫するのは構はない。しかし僧侶として信徒を指導してはいけない。過去に新しい瞑想法を考へた人は無数にゐて、その人が死んだあと、それらの瞑想法は残らない。
現在残ってゐる瞑想法はタイが二つ、ミャンマーが二つ、インド系が一つ。上座部仏教をせっかく学んだのだから、それを日本に広めてほしい。
八月十二日(日)
経典学習会が行なはれるのは在日ミャンマー人の建立したお寺で、特定の瞑想法に特化したお寺ではない。しかし経典学習会を主宰するIさんがクムダ・セヤドーを毎年日本に招聘し、全国数か所で瞑想会と合宿が開かれる。お寺近くの区民センターを借りて在日ミャンマー一向けの瞑想指導会も開かれる。(写真。仏像を照らす照明が丁度光ったときなので暗く映った。セヤドーの隣でメモを取られるのはお弟子さんのコウィダ比丘)
だからパオ系瞑想とは関係が深い。先日、日本の元暴力団組長が堅気に戻ったあと日本の或る大乗仏教で出家した人のブログを見つけた。この人がモービーのクムダ・セヤドーから沙弥戒を授かり出家した内容だ。ミャンマー大使館へのビザ申請は手書きは駄目なので、人を介してIさんに作ってもらったさうだ。
日本に帰国しても還俗せずがんばりたいと答へると、クムダ・セヤドーが少し嬉しさうだったとある。だから帰国後も、ミャンマーの沙弥の衣で活動し、翌年の年末には再び訪問したいと抱負を語る。コウィダ比丘と並んだ写真もあるので、頬を緩めながら、楽しく順番に拝見した。
ところが翌年の六月頃から活動が俗的になる。もしや、と心配しながらページを進めると、どうやら還俗したようだ。それでも大乗仏教の僧ではあるから、決して堕落ではない。古い民家を借りてシェアハウスや有料で瞑想指導、ヨガ指導をしながら生活をする。だから俗的に見えるのは仕方がない。
ミャンマーへの旅費25万円は、日本のブログ読者などから寄付が集まった。滞在費などは無料。しかし1万円を食事に寄進。
ぜひ日本の活動では、ミャンマーの人々の善意に報ひてほしい。ミャンマー滞在中に重症の便秘になりトイレで倒れて、コウィダ比丘が浣腸を持ってきてくれたり、それでも駄目で近くの診療所で治療を受けた話も載ってゐる。
予めミャンマーは医療状態が良くなく、注射針などからエイズ感染の虞があるとして、この人は点滴を断った。医療関係者の寄進と云ふことで、治療費は掛からなかった。だったら尚のこと、点滴は受けてほしかった。善意を断ってはいけない。エイズに感染するかしないかは、過去のカルマだ。
あと、お金に余裕があるときに、1万円でも2万円でもよいのでモービー支院に寄進してほしい。モービー支院は日本からの寄進も多く、建物がたくさん造られてゐる。しかし二か月滞在して1万円だと少ない。医療の寄進奉仕もあった。このままだと徳を消費してしまふ。受けた恩に対してはいつか日本から寄進してほしい。(終)
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