千百六十三(その二) ミャンマー経典学習会(アスバ瞑想、その二)
平成三十戊戌
七月九日(月)
ミャンマー経典学習会は、先月に続いてアスバ瞑想の二回目だった。メモ書きによると
石や岩などニミッタを覚へてお寺から行く。迷いがないようにするため。アスバのニミッタを覚へてお寺に戻るが、迷はず無事にアスバの状況を覚へるため。
涅槃まで行けるため、アスバニミッタは宝石を貰ったと考へるべき。
悪い臭ひがあるので、風の向きで臭ひの無い道を通る。臭ひがあるときは衣などで鼻を押さへる。ニミッタが壊れたり、体の具合が悪くなるため。
このあと、具体的な観察の方法が続く。観察が終ったあと
不浄だと判る智慧をバーワナーマヤと云ふ。
ニミッタが現れるたびに、何度も念を持って立ってゐるときも座ってゐるときも。オワタニミッタになり、考へなくても目に浮かぶ状態になる。それを続けると禅定になることがある。
ならない人は、死体の前で続ければ禅定になる人もゐるし、ならない人はニミッタを覚へてお寺に戻る。そのとき死体が付いて来たと思ってしまふことがある。注意が必要。怖い気持ちにならないため、岩は動かない、死体も同じと云ふ念を持つ。
アスバは40のうち、一番難しい瞑想。
覚へがいいから死体が付いてくると喜ぶべき。さうすれば次の状態に行ける。
ミャンマーでアスバ瞑想をやりたい人がゐても、先生はなかなか許可を出さない。アナパナなどは感嘆に教へられるが。
お寺からアスバへの道をきちんと覚へれば、岩が影となって見えるだけだと判り、怖くない。
帰りの道で人と会ひ、坊さんに話し掛けられたときは、きちんと答へること。答へないと悪く思はれてしまふ。
細かい注意に至るまで古文書にしてあるところが、伝統の強みだ。因みに私は、現世の欲を忘れることが目的だから、実際に死体を観なくても、想像するだけでもよいのか、と考へてしまふが、これは在家だからかも知れない。
七月十日(火)
お寺に戻って他の坊さんがゐて自分に任務があるときは、ニミッタは忘れないできちんとやる。ニミッタを忘れることがあるので注意する。
お寺に戻ってニミッタを忘れた時、死体に戻っても動物が食べたりして無いことがある。最初から思ひ出すと、ニミッタが戻ることがある。
このニミッタは大切な宝物と思はなくてはいけない。美人に会っても欲望を抑へることができる。瞋りもない。そのため瞑想に励めて、眠くならない。お経を不信にならない。阿羅漢に至る人もゐる。
昨日の指導者がなかなか許可しない話で、狂ったりする人もゐるので注意が必要との話もあった。
七月十五日(日)
今回、法話が始まる前に唱へる護経(パリッタ)を、初めて完璧に唱へることができた。経典学習会に参加して八年以上経つのになぜ今までできなかったかと云ふと、最初の一年くらいは聞くだけに留めた。何を唱へるのか判らないから。判らない人は一緒に合掌するだけでもよい。そこは柔軟に対処すべきだ。その後、護経の資料を頂いたが、あるとき家の中で紛れた。再度頂くのは紙の無駄なので慈経を別途用意するが途中で途切れる。そんなことを繰り返すうちに、資料が再び出て来た。読誦するのは
慈経、仏の十徳、法の六徳、僧の九徳
だ。もう一つ今回初めてがある。小竹向原駅から迷わずお寺まで行くことができた。以前は千川駅から歩いたが、快速が止まらないので不便だ。小竹向原駅から歩くやうになって一年くらい経過する。帰路は間違へなくなったが、往路は住宅公社の団地から右折するところで間違へる。やっと間違へなくなった。
お布施はいつも千円札を箱に入れるが、今回一万円札しかなかった。途中の全日食チェーンで日本茶のボトルを買って一万円札を細かくした。500mlで1万円を出すと高額で悪いから2リットルを買った。よく考へると二十円しか違はない。2リットルを飲むのは大変なので、終了後のお茶飲みは辞退して、しかも要町駅まで歩いて、知人が改築中のシェアハウスがどうなったか見て、更に池袋駅まで歩いてここから地下鉄に乗った。
池袋まで歩いたのは理由がある。ミャンマー祭りに行ったとき170円の土日券を購入した。その一週間前に200円の土日券も購入し、こちらは使用頻度が高い。170円はミャンマー祭りの往復で2枚使っただけだから、池袋から乗って1枚使用した。
お茶を2リットル飲んで大丈夫だらうか。翌日インターネットで調べると10杯くらいまでは大丈夫みたいだ。しかし念のため、翌日はお茶屋コーヒーは一切飲まなかった。飲むのは水だけだった。その翌日はコーヒーだけ飲んだ。その翌日からお茶も飲むやうになった。1万円札しかなかったことが、あちこちに影響する一日だった。(終)
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