千百十四(その百七) 河野太郎は政治屋失格、人間失格だ
平成三十戊戌
四月三日(火)
外務大臣の河野太郎は、外務大臣失格なだけではない。政治屋失格、人間失格だ。河野は次のやうに発言した。
入省前に少なくともTOEFLで100点(120点満点)が取れるように話があったと思う。皆さんのこれまでの努力をしっかり見せてほしい。(中略)今や事実上、世界の共通言語となっている英語の研鑽に励み、交渉力、発信力を高めてほしい。伊達や酔狂で言っているわけではない。

この発言は極めて悪質なのでそれを明らかにしたい。それにしてもこんな伊達や酔狂みたいな男が国会議員とは呆れる。

四月四日(水)
英語の共通度が高いのは、かつてイギリスが世界最大の植民地獲得国だったことと、戦後はアメリカが米ソ冷戦で一方の総本山だったことと、ソ連崩壊後は特にイラク戦争直後辺りは暫く一極だったことによる。
とは云へ特定の言語を共通語にすると、その言葉を母国語とする人間が断然有利になる。またヨーロッパ語族は英語の親戚だから、ヨーロッパ語族を母国語とする人間にとり英語が共通語になることは、他の語族と比べてやはり有利だ。
だからアジアアフリカ人の立場として、英語が一番流通してゐるからやむを得ずこれを習得するなら、それは構はない。また、英語が好きでその専門家になるのも構はない。しかし自分から英語が共通言語だのと発言する人間は、最低の人間、人間失格だ。
ここで河野が批判され続けるのは、偏にお推小臣(お友達濡れ手に粟商法推進矮小大臣)の家来、茶坊主、ご機嫌取り、太鼓持ち、草履取り、奴隷だからだ。総務相の野田さんを見倣ひ、ときどきは安倍を批判すべきだ。
河野は四ヶ月前にも米軍基地内で英語教育とバカなことを云った。これで二度目だから、河野は将来首相になる芽を摘んでしまった。回復する唯一の方法がある。それは安倍批判だ。

四月五日(木)
英語の専門家で立派な人は多い。それに反して英語以外が専門のくせに英語を話せるとかで自慢する人間にはろくなのがゐない。河野はその典型だ。河野は外務大臣として何か功績があるか。何もない。あるのは英語で他国の外相などと英語で話した。それだけだ。
通訳を交へて話すのと自分が英語で話すのでは、前者がはるかに優れる。両国の母国語を使ふからだ。自国語を頭の中で英語に直し、相手は英語を頭の中で自国語に直す。これだと感情、言葉の背景など情報量が激減してしまふ。そんなことさへ判らない男が河野だ。

四月六日(金)
もし「俺は日本語を話せるぞー」と自慢する日本人がゐたら滑稽だ。だれもが日本語を話せる。その出発点に立って、各々が自分の能力を発揮するからだ。同じやうに英語を話せるだけが自慢の男がゐたら、これは英語の専門家を除いて変だ。そもそも英語の専門家は英語を話せるなんて自慢したりはしない。

四月七日(土)
三世の政治屋(一世は政治家だったとしても)はよくない人が多い。特に留学組はよくない。その中でも英語を話すことだけが自慢の人間は最悪だ。過去に相手と英語でやりとりした首相などもゐたが、話題になったのは中身で、通訳を交へたか英語で話したかはまったく問題にならなかった。河野の場合は、英語だけが話題になる。よほど内容が乏しいのだらう。
日本人が日本在住の外国人と話をするときに、100人のうち99人までは相手の日本語力に合はせてこちらも話をする。1人くらいは日本人と変はらない人もゐるがそれは例外だ。我々が文章で書かれた英語を訳すときに一つの単語に多数の意味があってどの場合か判らないことはあるし、ましてや会話の中で多数の意味まで頭に浮かばないし、瞬時に判断するのは無理だ。
英語の学習に割く時間と仕事で必要とする英語力との調和が必要だ。ましてや今後は機械で翻訳、通訳することが一般的になる。そんなことも判らないのが河野だ。(完)

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