千六十一(その七十) 河野太郎は売国奴だ
平成二十九丁酉年
十二月三日(日)
外務大臣の河野太郎が米軍基地内で英語教育を行ふことを検討してゐるらしい。そんなことをする人間は売国奴だ。それをこれから明らかにしたい。
それにしても、首相の実態がお推相(お友達濡れ手に粟商売推進相)だとは云へ、外務相までその実態が害務相だったとは驚く。とんでもない連中だ。
十二月四日(月)
外国軍の駐留は必要悪だ。本来は無いほうがよい。日本の場合は、米ソ冷戦に巻き込まれたのと、冷戦終結後は中国との尖閣列島、北朝鮮の原爆・ロケット騒動が続くため、現在でも駐留すること自体は構はない。構はないがそれは軍事上に留めるべきで、文化属国になってはいけない。
ところが河野太郎は基地内で英語教育を行ふと云ふ。とんでもない売国奴だ。
十二月五日(火)
植民地や属国を支配する道具は宗主国の言語だ。英語を学ぶのはよいことだが、この理由に由り「世界共通語の英語」だとか「第二公用語」「米軍使用言語」の英語を学ぶことには絶対に反対だ。
十二月七日(木)
インド、ミャンマー、マレーシアなどがイギリスの植民地だった時代に、英語を話せる現地人は優遇された。本人たちもエリート意識を持ち、本来は自分の仲間のはずの人たちを支配する側に回った。尤もイギリスは狡猾だから別の民族のエリートに支配させることが多かった。きっとエリート意識を持ち、別の民族を支配したのだらう。
米軍基地内で英語教育と云ふ発想は、それと変はらない。三世議員で留学した人にろくなのがゐない。行った先で国会議員の息子として優遇されたのだらう。お推相と害務相はそっくりだ。
十二月十日(日)
外国語を学ぶには、膨大な時間が必要だ。ヨーロッパの人たちが外国語を得意なのは、欧州の言葉は方言同士だからだ。ゲルマン、ラテン、スラブのグループ内は近い方言、インドヨーロッパ語族内は遠い方言。
遠い方言でも語源が共通だから記憶し易いし、言語構造は同じだから瞬時に訳すのが楽だ。日本語とミャンマー語は語族が違ふが語順が同じだから訳すのが楽だと、在日ミャンマー人は云ふ。
日本人は中国語なら記憶が楽だらう。語族は違ふが漢字と云ふ共通点がある。中国に旅行し博物館で中国語の説明を読めば、だいたい内容がわかる。それに対して、日本語と英語はまったく共通点がない。単語に共通点がないから覚えるのが大変だし、語順も逆だから訳すのに労力が要る。
今年の夏に恐山まで旅行したとき、途中の秋田県の駅で、待合所のテレビがビデオで秋田犬を紹介してゐた。声が小さくまったく聞こえない。英語の字幕が下に出るのでそれを読むが、ときどき読むのが間に合はない。欧米人は英語を母国語としない人でも、私の1.5倍の速さで読むことに気付いた。
外国語を専門とする人たちは、外国語を修めるべきだ。しかし一般の人が外国語を学ぶのは、自動翻訳が急速に発展した今となっては、若い人たちには勧められない。ましてや親米意識、親基地意識のための英語なんて、絶対にやってはいけない。(完)
(その六十九)へ
次、(その七十一)へ
メニューへ戻る
前へ
次へ