千八十九(第一部) 三日月村と桐生競艇訪問計画
平成三十戊戌
二月四日(日)
我が家のヘビはジャパンスネークセンターの出身なので一昨年に訪問した。隣接して三日月村がある。私は木枯し紋次郎を観たことはなかったので、入口まで行っただけで中には入らなかった。先月三つの時代劇を観て、三日月村を訪問しようと思ひ立った。
隣のみどり市は変な地名だ。更に桐生市を地図で見ると離れた楕円が2つだ。飛び地になった理由は桐生競艇を巡り桐生市と周辺町との意見対立だった。それまで開催のほとんどを桐生市、一部を周辺町が主催してきた。競艇が赤字になり桐生市は撤退し、桐生市の分を含めてすべてを周辺町が主催することになった。
平成の大合併で、桐生市は競艇の廃止を条件にしたため周辺町を越えた2つの村とだけ合併し、両方の中間はみどり市になった。

二月五日(月)
桐生競艇は、桐生市が抜けたあと第二主催者の周辺三ヶ町が桐生市の分まで引き受けて黒字を維持した。公営事業でしかも大半の主催者が抜けたあとここまで回復する。その活力を調べるため、桐生競艇を取材することにした。
最初は一泊二日を計画した。一番最初は藪塚を探した。二番目にみどり市内を検索した。みどり市を応援するためだ。三番目に桐生市内、四番目の太田市内を検索した。

二月六日(火)
結局、日帰りで行くことにした。本日、有給休暇で三日月村、桐生市内の西桐生駅、桐生織物記念館、有鄰館など歴史的建造物地域、桐生競艇を観た。私はギャンブルをやらないが、桐生競艇が原因で桐生市の二つの市域とみどり市が生まれた。みどり市の心意気を応援するために、桐生競艇を訪問することにした。
会計資料を見ると、みどり市が誕生した平成17年の売り上げが663億円、市への利益は6億円。一昨年の平成29年は売り上げが1,187億円、市への利益は4億円。これは見事だ。売り上げが8割増加し、ずっと黒字を維持した。

二月七日(水)
インターネットで調べると、桐生市が抜けたあと全国初のナイター競走を開催。これ以外にも、競艇界初の在席投票席(PISルーム)や畳敷きのグループ席を設けた。大阪府のボートピア梅田でも桐生の開催全レースの投票券を発売するようになった。ナイターの成功により売り上げは全国5位・関東1位になった。

二月九日(金)
六日の朝は、あらかじめ調べておいたYahooの路線検索より5分少し早い電車に乗れた。一昨年は、茂林寺駅のホームが車輛の床より少し低かったが、今回は等高だった。前回は一両目、今回は最後尾の違ひだった。
館林到着前の左側に工場があり、その浅草側に折り返し線と工場の引き込み線跡を思はせる扉があるものの、工場への線路はない。どこの工場だらうか日清製粉かと想像するうちに工場の伊勢崎側に電車が進むと単なる車輛工場だった。ホームから遠い側が工場、手前は機関区跡か。
右側の遠い側に線路を撤去したあと、手前に線路がある。前回の館林は乗車中見たので、右側の建物は変電所だと思った。今回車内から見たところだと、あの建物は変電所ではない。その右を前回は貨物取扱所と見たが、今回は違ふ。それが判らないままホームに到着した。
一本早い電車に乗ったおかげで館林到着は予定より11分早かった。もともとの接続は1分なので12分の余裕がある。取り合へずホームの浅草寄り、階段上に行き、改札に質問しようかと思ったが、おそらく判らないだらう。
階段を降りてホームの太田寄りに行くと電車到着を待つ男女の駅員がゐた。ここで質問をすると館林手前右側は貨車の検修を行ふ検車区で、今は保線の所車輛が使用するさうで、その職員も先輩から聞いたさうだ。検車区の説明のときに、機関車はこっちかと館林手前左側を指さしたので、工場のやうな建物は機関区だったことも判った。
太田は、前回は45分くらい待ち時間があり、実に退屈だった。今回は11分だが階下に蒸気機関車「大樹」の展示があったので、退屈せずに済んだ。まもなく小泉線から桐生線直通の2輌編成が到着し、乗車した。

二月十日(土)
車内でお爺さんが、浅間山はしょっちゅう見えるが、日光が見えるのは珍しいねえ、と向かひの女性に話しかけてゐた。その女性は次の駅で降りたので、その老人に訊くと右斜め前に富士山の形をした白雪の山が日光ださうだ。浅間山は前方左側の山脈で同じく白雪。これらは地図を眺めただけだと判らない。その老人も私と同じ藪塚で下車した。(完)

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