八百三十七(乙) ジャパンスネークセンター訪問記(本当の観光地とは、此処のやうな施設)

平成二十八年丙申
五月十六日(月) 家から藪塚まで
昨日の朝は慌ただしかった。まづ5時から6時までNHK教育テレビ心の時代「“ブッダ最後の旅”に学ぶ」を観た。途中観ながら、朝食を準備して食べた。朝一番のバスに乗って駅に行き、JRで北千住、そこから東武鉄道で藪塚まで行った。
北千住では、予定より30分早い区間急行太田行きに乗れた。太田で待たなくてはいけないが、そのまま行った。今思へばテレビをゆっくり観て、二番目か三番目のバスに乗ればよかったが、Yahoo路線情報で調べた乗り継ぎが、北千住まで地下鉄経由だつたか常磐線経由だつたかあやふやなので、余裕を見て早く行ってしまはうといふことになった。
茂林寺駅でホームの高さが低いことが車内から感じた。JRでは通勤圏以外はホームの高さが電車の床より低いが、東武鉄道もそれが残ってゐるのかと思った(JRの客車や気動車が停車するホームに電車が止まったときほどではなく、その中間くらいの高低差だった)。館林駅では、ホーム左側に線路がたくさんあるが、これは貨物列車の名残ではと思った。ホーム右側に貨車を一両単位に切り離して荷扱い所に入れた跡を感じた。
太田は退屈な駅だ。45分ほど待ち合はせがある。館林ならホームのあちこちを歩くと、ここはかつて何だつたと想像して時間を費やせる。太田は橋上駅に改築したから、見るものが何もない。売店まで改札の外を向く。15分後に特急が来るので特急券の値段を改札に訊いたら510円だつた。太田から藪塚まで少ししか乗らないのに高い。45分待って各駅停車で薮塚に到着した。

五月十七日(火) 三種の催し物
スネークセンターのお勧めは日曜に行はれる三種の催し物だ。私は11:30ヘビのお食事タイム、13:30ハブの採毒実演、14:30ハ虫類ふれあい体験教室に参加した。このあと15:30にもハブの採毒実演がある。13:30はかなり混んだが15:30は人数が少なくゆつたり参加できるので、時間のある人はこちらがお勧めだ。私は藪塚16:13の電車で帰るので、13:30に参加した。
三種はどれもお勧めで、まづヘビが食事をするところは一見の価値がある。何匹も餌を与へるがどれも食べ方は同じなので一つ見ればよい。ハブの採毒実演では、こんなに大量の毒を採取できるのかと驚く。ハ虫類ふれあい体験教室では自然環境にはヘビがたくさんゐて、我々が気付かないだけなので山菜採りなどで手を草むらに入れることの危険性、足もサンダルなどではなく素肌の出ないものを履くといふ貴重なお話があつた。

土曜はハブの採毒実演、平日はヘビとのふれあいが行はれる。インターネットによると連休中は日替りでマムシ野外お話会(マムシ野外放飼場)、ブラックマンバの採毒実演、シマヘビと遊ぼう(舞台裏放飼場)、コブラの毒吹き実験(採毒室)が交代で行はれたやうだ。
スネークセンターの特色は催し物にある。平日も土曜日曜も、来場者は必ずどれかに参加してほしい。

五月十九日(木) 古い施設に魅力がある
ジャパンスネークセンターに行かうと決めたのは、インターネットで訪問した人たちの感想を読むと、施設が古いだとかB級観光地だとか入園者が見当たらずレストランが休業してゐただとか書いたものが多かったためだ。将来閉園になるといけないので早く見よう。そんな気持ちだった。
行ってみると多数の来園者で賑はってゐた。黄金週間の過ぎた翌週なので、普段の土日を示す。平日が少ないのだらう。園内が古いのは問題ない。古いと云っても壊れた訳ではない。古い施設にはバブル経済とプラザ合意による円高になる前の香りがする。最近まであった建物で云へば逓信総合博物館や東急百貨店東横店にはその香りがする。
ジャパンスネークセンターに着いて暫くするとヘビのお食事タイムが始まった。その後は売店で昼食を売ってゐるかと思ったら土産物しかない。レストランはうどんが600円台、カレーライスが700円台でやや高い。帰りに藪塚駅前で食べればよいと思ひ、しかし陶陶酒50mlが192円なので、これを買って飲んだ。辛口は29度、甘口は12度なので辛口がお勧めだ。
園内のヘビ、白蛇観音、見晴台、資料館を見るうちにハブの採毒実演の時間となり、終はった後に資料館で見られなかった最後の展示を見たあとハ虫類ふれあい体験教室と続き、スネークセンターを後にした。

五月二十日(金) 三日月村の入口まで行って帰路へ
訪れた人が書いたホームページによると、スネークセンターと三日月村は同じゲートから入ることが書かれ写真も掲載されてゐる。ゲートを入ると商店街が続き、その先で左右に分かれるのだらうと、想像した。
入場するときは、外に営業中の食堂が一軒と、閉店し年月を経たため廃屋となった元食堂が一軒あっただけだった。途中、白蛇観音を見たついでに裏口も見たが、ここも寂れた風だった。出たあとは縦型の石に刻まれた道案内に従って歩くと食堂の横に戻った。次に三日月村の入口まで行った。駐車場から登り坂がありゲートがある。しかし先は寺の墓地の参道を兼ねた小道だ。地域ぐるみでスネークセンターと三日月村に協力するといふ昔の良俗が残ってゐると感じた。
その後、農業用水路を見て駅に行った。各駅停車は15:43に発車した後なので16:28まで待つことになった。予めYahoo路線情報で15:13は特急だから15:43で帰らう、ハ虫類ふれあい体験教室に参加してすぐ変えれば間に合ふと調べたのに、メモを家に置いて来たため15:13と間違へた。ここで昼を食べてゐないことに気付き駅周辺を探したが店が無い。旧藪塚本町の中心部は駅から西に十五分ほどあるかなくてはならない。といふことで、昼食は館林で待ち合はせ時に売店で購入した。17時40分のことであった。
間違へたおかげで三日月村の入口まで行けてよかった。家に着いたのは20時30分だから、このやうな旅行計画は立て難い。スネークセンターだけではなく周辺も見る。これが大切だ。
帰路に茂林寺駅のホームを見ると、電車の床とほぼ同じ高さだった。そのように考へると往路も床からそれほど低い訳ではなかった。

五月二十一日(土) 一般財団法人
ジャパンスネークセンターのホームページに蛇研裏話といふブログがあり、これがなかなか面白い。一番古い11年前と10年前を読むと、蛇の餌用に蛙を捕まへに行った話や、電話で蛇の相談をボランティアで受ける話など、さすが財団法人で公共の役に立つと思った。今は法律が改正になり一般財団法人になった。公益性が無くなってしまつたのかと心配して最近のものを読むと、昔と変はらず安心した。
昔は1ヶ月で30件くらい書いてあるのに、最近は3件ほどだ。だから3年分は読んだ。所長が急に亡くなり、蛇の分類の仕事が大変になった話や、一般財団法人になった話もあった。行く前に読んだので、この人が髭の人か、この人がA.Sさんか、獣医のWさんは10年前に転職したのかなど考へながら催し物に参加できてよかった。

五月二十二日(日) 財団設立時の寄付者は
財団法人設立時の寄付者はどこだらうか。調べたが判らなかった。ところが陶陶酒について調べるうちに、陶陶酒本舗が設立したことが判った。同社のホームページにも開発製造部門として陶陶酒製造株式会社、研究部門として一般財団法人日本蛇族学術研究所が載ってゐる。
更に調べると平成15年に陶陶酒本舗と陶陶酒製造は民事再生法適用を申請。その後も創業者一族が社長と財団法人理事長を務めてゐるから無事再建できたやうだ。
財団法人は本来、基本財産の利息で運営するものがだが、この低金利時代で利息収入は年に1500円。入場料収入が2200万円、受託研究が350万円、社会教育事業が124万円、物品販売74万円、蛇毒払ひ下げが24万円と続く。
都会にゐるとそれほど感じないが、毒蛇は山に行けばどこにでもゐる。動物園に行く娯楽性と、毒蛇を理解する安全教育を兼ねて、多くの人に訪問してほしいと願ふ。

五月二十三日(月) 本当の観光地とは
初めて訪れた町を散策する。これは立派な観光地だ。その土地にしかない場所を巡ることこそ観光だからだ。観光客目当ての遊園地やショッピングモールは観光ではない。もし富士山の高さの山を東京の東武鉄道業平橋貨物駅の跡に作ったとすると、これは勿論観光施設ではない。さすがに富士山は作らないが代はりに東京スカイツリーがある。だからあれに行っても観光ではない。東武鉄道は伊勢崎線をスカイツリーラインと軽薄な名称にしたが、公共交通としての責任を逸脱した行為と云はなくてはならない。東武鉄道の太田から先は本数が少なく、しかし地元の公共交通としての責任を果たすのと対象的だった。
ジャパンスネークセンターをB級観光施設、古い、入園者が少ない(平日の場合)と書くページが多い。しかし野生の蛇が多く、餌となる蛙も多い山のふもとに作られたジャパンスネークセンターこそ、本当の観光施設と云へる。(完)


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